伝わらないように伝える
「読みたい人だけが読んでいた」から「読みたくないのに読まされる」へ
そこで以下のような伝わらないように伝えるテクニックを使っていくことにする。
リンク先の記事に飛ばす
ぶっちゃけリンクをまたぐだけでほとんどの人は見ない。ワンタップしてその内容を確認するのすらめんどいという怠惰な人間がほとんどなのに、みんなあんなに偉そうにしているわけ。逆に言えばリンク先の記事に飛ばすだけで、知的に怠惰な人間を落とし、「それでも見たい」という人にだけは誰であっても見せることができる。
インプレッションやリアクション数、拡散性は下がるが、数はそんなに大事だろうか? 書いている内容を理解しようとしない、読めない人にいくら多数読まれたところで、思わぬ炎上や誤解を生むのがオチ。リンク先の記事に飛ばすだけで、そういう人たちを振り落とすことができる。
Threadsは拡散性が非常に高い。ちょっとバズるとすぐいいねが100近く行く。でも、いいねした人のその後の投稿をチェックすると理解の低さに驚きを隠せない。こんななら「広がらないほうがマシ」である。
インプットとアウトプットの距離が近いからついついSNSで見た投稿にSNSで反応してしまう。インプットは別に悪くない。アウトプットするのも別にいい。ただその距離を離すだけでリアクションを大きくコントロールすることができる。
文章を長くする
文章を長くするだけで必要がない人は読まなくなるので、伝えたくない相手には伝わらないが、一方でその情報を必要とする人には論旨がより明確になるので伝わりやすくすることができる。
無駄に長くする必要はないが、140字だ500字だと字数やスタイルを気にする必要はない。どうせ小分けに投稿してもすぐ字数は多くなってしまう。ツイートのような短文の形にバラバラにするだけで「読めないのに読む」人が増えてしまう。おむすびと同じ。小さく握るとたくさん入るが(もう一ついけそう)、一個一個を大きく握ると「もういいです」となる。
文章に論理構造を持たせる
文章に論理構造を持たせることで、脳内のワーキングメモリを使用させることができるため、他人が言ってることを粗雑に歪曲しようとするような人にとっては「何を言ってるのかわからなく」なり伝わりにくくできる。
逆に言うとそれができる人に対しては、大雑把なプロコン対立ではなく、細かい相違や論点まで、なぜそう言えるのか、どのような論拠があるのか、どういった意味でそう言えるのかを伝えることができる。論理的に細かく伝えれば伝えるほど「どちらか」と一言で要約できなくなるので拡散性も低くなり、結果、不要な人間に「伝わらない」ように伝えることができる。
時間差で発表する
ポレミカルな内容については、その出来事がホットなうちに投稿しないとインプレッションは稼げないが、インプレッションを稼ぐとは「その投稿の価値以上に読まれるようにする」という意味である。→短期的に注目を集めない記事は無価値だという勘違い
単にインプレッションを稼ぐ、アテンションを稼ぐ、承認を得ることを目的に、SNSで意見を述べる人たちは本人にはその自覚はなくとも無数にいる。そうした人たちは社会的事象に強い関心を寄せていると言ってはいるが、目の前に提示された「最新のホットトピック」を優先するため、タイミングが遅れた意見については一顧だにしない。その問題に誠実に関心を持ち続ける人間は、タイミングにかかわらず、後から折を見て落ち着いて思考する。そうした人たちに「伝える」ことができればいいのであり、そうではない人には「伝わらない」ほうがいい。
諧謔を埋め込む
他者を否定するときもハッキリとは否定せず、意地悪まで昇華する。多くの人は自分のことだとは気づかないため、伝わらないように伝えることができる。
最低三秒くらいは考えていただかないと分からないかもしれませんが、「啓蒙」というのはバカがいないと成り立ちません。今や多くの人は「自分はバカじゃない」と思っているので、「啓蒙」ということを嫌います。でも、「あんたはバカだ」と言っているわけではなくて、「バカな人がいないと啓蒙は成り立たない」と言っているだけなので、「あ、私には関係ないことだ」と思っていただければそれまでの話ですね。【このことで私がなにを分からせようとしているのかは、当然「自分で考えな」です】いとも優雅な意地悪の教本橋本治p.35
特定のボキャブラリーを使用する
自分が読んでほしい、想定している読者なら既に持っているべき概念理解や、言葉を前提にした文章を書く。そうした言葉を知っていなければ読めない程度に概念や言葉を入れると、人は追いかけるのをやめる。伝わらないようにして伝えることができる。
人は「自分が知らない」ことを提示されると劣等感を持つ。劣等感によって「顧客」でない人を追い返すことができる。本人の希望の通りに。
ただし、そうした狙いもなく、不用意に横文字や専門用語を使うべきではない。逆にそれは「伝わるように伝えない」ことになってしまう。家父長制やミソジニーといった言葉や新自由主義といった言葉を特に意味もないのに連発すれば「仲間」には「伝わる」かもしれないが、「仲間」の中にしか伝わらない。