ミソジニー
我妻和樹.icon僕は「ミソジニー」を単なる「女性蔑視」「女性嫌悪」とは捉えていなくて、「女性は男性に奉仕・隷属すべし」とする家父長制を維持するための集団的監視・制裁のシステムと捉えている。となればミサンドリーとはその男性支配構造や抑圧への反動であって、単なる「男性嫌悪」とは言えないのではないか。ちなみに僕のミソジニーの定義は『ひれふせ、女たち ミソジニーの論理』(ケイト・マン/2019)に依拠している。この本は400ページと内容が分厚いのだが、江原由美子さんがその内容を的確にまとめてくれている。これらを読むと単なる感情レベルではない問題の根深さが分かる。https://x.com/zukizuki_kun/status/1925546051043565680
この指摘、むちゃくちゃ真っ当、かつ重要なのだが、Xでこんなこと言って通じるか?
「ミソジニー」という言葉がある。「女性嫌悪」「女性蔑視」などと訳されたりする。女性や女らしさに対する嫌悪や蔑視のことだという。男性が女性に対して持つだけでなく、女性が同性に対して持つこともあると言われる。
よくフェミニズムで使われるという解説もあるが、私は、フェミニストであると自認しているにもかかわらず、これまでこの言葉を使ってはこなかった。
なぜ使わなかったかというと、素直に分からなかったからだ。この言葉を使うことで何か明らかにできると感じたことは一度もなかった。その言葉に、何かを明らかにしてくれる分析力を感じるよりもむしろ、来歴も機能もおそらく異なるはずの様々な現象を、一緒くたにしてしまう気持ちの悪さを、感じていた。
DVも、セクハラも、女性政治家の少なさも、会議での女性の発言権の少なさも、「ミソジニー」ゆえだと言われたとしても、「それはそうかもしれないが、ではそれは『男性支配』とか『性差別』という言葉とどう違うのか」という疑問に、即座に直面するだけのことだったからだ。 「ミソジニー」って最近よく聞くけど、結局どういう意味ですか? / 江原由美子
moriteppei.icon江原節すぎるやろwww かっこよ。
江原は家父長制についても同様のスタンスなんだよな。なんでも「ミソジニーだ!」「家父長制だ!」って言うだけのフェミニズムに対して「ちょっと待てよ」を言い続ける=「それは説明されるべきことであり、説明のための用語ではない」ってのが江原のスタンス。
家父長制秩序の下では、男性は、「自分は、女性から何等かの『奉仕』を受ける『特権』がある。だから『奉仕』しようとしない女性に対しては、罰を与える正当な権利を持っている」という無意識の規範意識を、もちがちになるのである。この「無意識の特権意識」に基づく、家父長制秩序に従わない女性に対する「処罰」行為こそが、ミソジニーだと、著者は言う。 「ミソジニー」って最近よく聞くけど、結局どういう意味ですか? / 江原由美子
ケイト・マンの解説(著者=マン)。
moriteppei.iconそれはいいけど処罰「行為」を「ミソジニー」と等値はこれ、合ってるの? (処罰行為を可能ならしめるような感情や信念の諸体系=ミソジニーとするべきでは?)