スプートニクの恋人
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村上春樹の長編。長編と言いつつ1冊なので、春樹的な分類で行くと「中編」って感じもするけど。 やれやれを一回も使わないという、非常に実験的な文体を用いている。 話の骨格はめっちゃくちゃ単純で、以下の説明のセリフに尽きる。 この女性はすみれを愛している。 しかし性欲を感じることはできない。 すみれはこの女性を愛し、しかも性欲を感じている。ぼくはすみれを愛し、 性欲を感じている。すみれはぼくを好きではあるけれど、 愛してはいないし、性欲を感じることもできない。 ぼくは別の匿名の女性に性欲を感じることはできる。 しかし愛してはいない。とても入り組んでいる。 まるで実存主義演劇の筋みたいだ。 すべてのものごとはそこで行きどまりになっていて、誰もどこにも行けない。 選ぶべき選択肢がない。そしてすみれがひとりで舞台から姿を消した。 村上春樹. スプートニクの恋人 (Japanese Edition) Kindle 版. 157ページ 主な登場人物はすみれ、ぼく、ミュウの3人。ぼくはすみれに、すみれはミュウに好意を持っている。14年前のある事件をきっかけに「本当のわたしの半分になってしまった」状態となり、人とセックスできない状態になっている。そしてすみれが姿を消す。すみれと結ばれることはないと知っていた主人公は他に女性と付き合っている。生徒の母親との不倫関係。あるときその生徒が万引きをして呼び出される。生徒の母親から連絡を受けた主人公はデパートに話を聞きにいく。その後、母親にもう会わないようにしようと言う。最後、すみれが戻ってきて電話をかけてくる。以上.....。
すみれ:小説志望の処女。それまで人を好きになったことがないし性欲もない。小説家志望と言いつつ完成した作品を書き上げたことが一度もないが22歳の春、突然出会った17歳年上の韓国人「ミュウ」に恋をする。その後、ミュウの会社で働きはじめる。茅ヶ崎出身。母親は31歳で亡くなっている。躁鬱気質があるという。
ぼく:すみれが好き。「ごく普通」の家庭の出身で杉並生まれ、津田沼育ち。職業は小学校の先生。いつもの春樹的「ぼく」キャラ
ミュウ:本名は知られていない。国籍的には韓国人。夫は5歳年上の日本人。ワインなどの輸入をする会社を経営している。すみれと知り合い、すみれを会社で雇う。14年前のとある事件をきっかけに一夜にして髪が真っ白に。人とセックスできない体になる。
「主に外国関係」とミュウは言った。 「父親が経営していた貿易会社を、 13年ほど前に長女のわたしが引き継いだの。 わたしはピアニストになるための勉強をしていたのだけれど、 父が癌で亡くなってしまって、母は体が弱いうえに日本語もあまり自由じゃなかったし、弟はまだ高校生だったから、 わたしがとりあえず責任者になって会社の面倒を見ることになったのよ。 生活をうちの会社に頼っている親戚も何人かいたし、簡単に会社をやめてしまうわけにもいかなかった」村上春樹. スプートニクの恋人 (Japanese Edition) Kindle 版.・28ページ 14年前のミュウが体験した出来事
ミュウをストーキングしていた男がいた。
あるときミュウがその日最後の便の観覧車に乗る
担当者のミスか帰ってしまい、観覧車に途中で閉じ込められる。
観覧車から自宅の窓が見える。中を見ると、自分がいて、ストーキングしてきた男とセックスをしていた
「ここにいるわたしは本当のわたしじゃないの。 今から14年前に、 わたしは本当のわたしの半分になってしまったのよ。 わたしがそっくりわたし自身であったときに、あなたに会えたらどんなにか良かっただろうと思う。でもそれはいまさら考えても仕方のないことなの」 村上春樹. スプートニクの恋人 (Japanese Edition) Kindle 版. 61ページ この「半分になったわたし」「半分だけどこかいった」も村上作品では繰り返される。海辺のカフカ にも同じようなシーンあったよな。 スプートニクの恋人の由来
ミュウは小説を書いているというすみれのことを「ビートニクみたいな?」と言おうとして「スプートニク」と言ってしまう。それですみれはミュウを「スプートニクの恋人」と呼ぶようになる。
ねえ、あなたはスプートニクというのがロシア語で何を意味するか知っている? それは英語でtraveling companion という意味なのよ。 『旅の連れ』。わたしはこのあいだたまたま辞書を引いていて、そのことを初めて知ったの。 村上春樹. スプートニクの恋人 (Japanese Edition) Kindle 版. 126ページ レズビアンおよびアセクシャル描写の問題点
すみれはレズビアンではなく、相手が女性であることは「たまたま」だということが強調される。 だから相手がたまたま女性であるというようなことは、その時点ではすみれにとってまったく問題にはならなかった。 村上春樹. スプートニクの恋人 (Japanese Edition) Kindle 版. 12ページ すみれは溜息をつき、しばらく天井を眺め、それから煙草に火をつけた。考えてみれば妙なものだ。22歳になって初めて真剣に恋に落ちたら、その相手がたまたま女性だっただなんて。 村上春樹. スプートニクの恋人 (Japanese Edition) (pp.43-44). Kindle 版. 恋に落ちた相手はすみれより17歳年上で、結婚していた。さらにつけ加えるなら、女性だった。村上春樹. スプートニクの恋人 (Japanese Edition) (p.5). Kindle 版. すみれ自身も自分のアイデンティティについて「よくわかっていない」という描写がなされる。
「このあいだ新聞に出てたんだけど」 、 すみれはぼくの発言をあたまから無視して言った。 「レズビアンの女性は生まれつき、耳の中のある骨のかたちが普通の女性のそれとは決定的に違っているんだって。 なんとかいうややこしい名前の小さな骨。 つまりレズビアンというのは後天的な傾向ではなく、 遺伝的な資質だということよね。アメリカの医者がそれを発見したの。 彼がどんないきさつでそんなことを研究しようと思いたったのか見当もつかないけれど、 いずれにせよそれ以来わたしは、その耳の奥のろくでもない骨のことが気になってしかたないのよ。 わたしのその骨はいったいどんな形をしているんだろうかって」村上春樹. スプートニクの恋人 (Japanese Edition) (pp.). Kindle 版. 68ページ 耳の骨を確かめれば自分のセクシャリティがわかることになる。すみれは自分がレズビアンなのか、そうではないのかが知りたい。
「時間と経験」とすみれは言って、 空を見上げた。「時間はこうしてどんどん過ぎ去っていく。 経験?経験の話なんかしないで。 自慢じゃないけどわたしには性欲だってないのよ。 性欲のない作家にいったいどんなことが経験できるっていうの? そんなの食欲のないコックと同じじゃない」 村上春樹. スプートニクの恋人 (Japanese Edition) Kindle 版. 22ページ 他方で「性欲自体がそもそもない」「ミュウだけがなぜか性欲の対象になる」というあり方も示唆される。
ミュウがアセクシャルになったのは擬似レイプ体験があったからだと因果が説明されてしまう。これも非常に問題では。
「わたしはこちら側に残っている。 でももう一人のわたしは、あるいは半分のわたしは、あちら側に移って行ってしまった。 わたしの黒い髪と、 わたしの性欲と生理と排卵と、そしておそらくは生きるための意志のようなものを持ったままね。 そしてその残りの半分が、ここにいるわたしなの。 わたしはずっとそう感じ続けてきた。 村上春樹. スプートニクの恋人 (Japanese Edition) Kindle 版. 201ページ 「ぼく」の交際相手
だからぼくは苦痛をやわらげ、 危険を回避するために、ほかの女性たちと肉体的な関係を持つことになった。 そうすればすみれとのあいだに性的な緊張を介在させずにおけるだろうと考えたのだ。村上春樹. スプートニクの恋人 (Japanese Edition) Kindle 版. 76 ページ ぼくはすみれと「友だち」としてつきあっているあいだに、二人か三人の女性と交際した(数をよく覚えていないというのではない。数え方によって二人になったり、三人になったりするのだ)。一度か二度だけ寝た相手を加えれば、そのリストはもう少し長いものになる。彼女たちと身体を触れ合わせているあいだ、ぼくはよくすみれのことを考えた。というか、頭の片隅には多かれ少なかれいつもすみれの姿がちらついていた。ぼくが抱いているのはほんとうはすみれなのだと想像したりもした。もちろんそれはまともなことではなかっただろう。でも正しいとか正しくないとかいう以前に、そうしないわけにはいかなかったのだ。村上春樹. スプートニクの恋人 (Japanese Edition) (pp.9-10). Kindle 版. 2人か3人とボカすあたりがめちゃくちゃキモい。
そこになにか問題があるとすれば、 相手の女性たちの全員がぼくより年上で、 夫なり婚約者なり決まった恋人なりがいたことだった。 いちばん新しい相手は、ぼくのクラスの生徒の母親だった。 ぼくは彼女と月に二度ばかり、こっそりと会って寝ていた。 村上春樹. スプートニクの恋人 (Japanese Edition) Kindle 版.・77ページ このパターンではなぜか常に年上とセックスする。年上=経験が自分より上=今更自分がセックスしても相手のことを搾取していることにはならないし責任も持たなくていい=なんなら若い子とできて楽しかっただろ?ってことでは。
「多崎つくる」では相手は「婚約者のいる年上の女性」だったが、今回は不倫ってだけ。
不倫、つまり「自分が本気で愛さなくても既に相手がいるので問題ない」というエクスキューズともとれる。
しかしある種の女性たちはなぜか (その理由はぼく自身にもよくわからないのだが) ぼくに興味を持ち、それとなく近づいてきた。村上春樹. スプートニクの恋人 (Japanese Edition) Kindle 版.・77 ページ 要するに常に様々なエクスキューズがつけられた中で性的接触だけの性的接触が描かれる。
そして「ぼく」はなんと不倫相手の息子に「自分語り」をし、その後に不倫相手にもう会わないようにしようと言うっていう.....。
そこから彼女の家までは、歩いて30分ほどかかった。並んで歩いているあいだ、 ぼくとにんじんは一言も口をきかなかった。 村上春樹. スプートニクの恋人 (Japanese Edition) Kindle 版. 252ページ 「にんじん」というのは不倫相手の子であり教え子のこと。
「あの子は何か感じているのかしら?」と彼女は信号待ちのときにぼくにたずねた。 もちろんぼくと彼女のあいだのことをだ。 ぼくは首を振った。 「どうしてそう思うの?」「さっき一人で家にいて、 あなたたちが帰ってくるのを待っているあいだに、 はっとそんな気がしたの。とくに根拠もなく、 なんとなくね。 村上春樹. スプートニクの恋人 (Japanese Edition) Kindle 版.・256ページ 自分語りをしないのは自分語りのためである
そういうことを考えれば考えるほど、 ぼくは自分自身について語ることを(もしそうする必要があるときでも)、保留したくなった。 それよりはむしろぼくという存在以外の存在について、 少しでも多くの客観的事実を知りたいと思った。 そしてそのような個別的な事柄や人物が、自分の中にどのような位置を占めるかという分布なり、あるいはそれらを含んだ自己のバランスの取り方なりを通して、 自分という人間存在をできるだけ客観的に把握していきたいと思った。 村上春樹. スプートニクの恋人 (Japanese Edition) Kindle 版. 71 ページ にもかかわらずぼくはもう二度と、これまでの自分には戻れないだろう。 明日になればぼくは別の人間になっているだろう。 しかしまわりの誰も、ぼくが前とは違う人間になって日本に戻ってきたことには気づかないはずだ。 外から見れば何ひとつ変わってはいないのだから。それにもかかわらず、 ぼくの中では何かが焼き尽くされ、消滅してしまっている。 どこかで血が流されている。誰かが、何かが、 ぼくの中から立ち去っていく。 顔を伏せ、言葉もなく。 ドアが開けられ、ドアが閉められる。明かりが消される。 今日がこのぼくにとっての最後の日なのだ。これが最後の夕暮れなのだ。 夜が明けたら、 今のぼくはもうここにはいない。 この身体にはべつの人間が入っている。 村上春樹. スプートニクの恋人 (Japanese Edition) Kindle 版. ・ 231 ページ ところが結局、この作品で書いていることは、すみれが行方不明になり、いかに自分が自分ではなくなってしまったかという単なる自分の変化、自分語りでしかない。
すみれについては実はろくに語ってない。すみれもミュウも、自分を語るためのアイテムって感じ。
この小説自体が「自分が不倫をしてた理由とそれをやめた理由」の説明にしかなってない。
すみれとの性的緊張をなくすために不倫してた
すみれがいなくなり自分が決定的に変わってしまったのでもうやめようと思って不倫をやめた
やめた瞬間にすみれが帰ってきた!