色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年
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まず、簡単にこの小説のストーリーを説明してしまおう。(ネタバレ多発)
高校時代の仲良し五人組。だが、主人公(多崎つくる)は大学生になってから、そのコミュニティから追放される。「もう二度と連絡しないでほしい」と言われる。だが、とあるきっかけから、多崎つくるは16年後に自分がコミュニティから追放された理由を聞きに、残りの4人(アカ、アオ、クロ、シロ)に会いに行く。そしてそこで驚愕の真相を聞かされる。主人公がシロをレイプした、それでシロは妊娠した。そのようにシロが残りのメンバーに「証言」したからだというのだ。もちろんこれは「事実に反する」。主人公はシロをレイプなんかしていない。残りのメンバーも実はシロの証言を信じたわけではない。ただ、誰だかわからないがレイプされたこと、それで妊娠したこと、その後流産したこと、そして数年前に浜松でシロが絞殺されたことだけは「確か」である。残りのメンバーはみな「お前がそんなことをするやつだとは最初から思ってない」「でも仕方なかったんだ」「そうするしかなかった」と言い訳をする。誰も悪くなんかない。誰もが傷ついて失って。それでも人はただ生きていく。この長い旅路、誰も知ることのない明日へ。おしまい。 って、思いっきり冷蔵庫の女やないかーい!! あまりにひどくて、こんなんを「ネタバレ」にしていいのかすら迷うわ。村上春樹にポリコレなんか最初っから期待してないし、中身がなくてもまあいいかと思ってたし、圧倒的に「自分の声を聞きたい」ナルシスト作家だとは思っていたが、まさかここまでひどいとは。 とにかくストーリーが本当にこれしかない。一応、つくるとその彼女の沙羅(三度目のデートでつくるとはじめて寝た)との交流があったり、大学時代の友人・灰田との交流が描かれたりはするのだが、メインストーリーは単に「自分が迫害された理由を聞きにいった」「レイプを偽証されていた」「でもシロがそうするには理由があった」「シロは実際レイプされ妊娠し殺された」。これだけ。絶句。
もちろん無実の女性がレイプされ妊娠し殺される、そんなミソジニー全開のこの社会の権力勾配や性差別構造に語り手やつくるが言及することは一切なし。なぜなら女性が性被害に遭う/遭いそうになるのは、現実には残念ながらこの腐った日本社会の「日常」「デフォ」だが、心地よいこの小説の語り手や登場人物にとっては、単に1回限り、たまたま偶然の、でも自分の人生にとっては必然の、個人的なトラウマであり「成長の糧」でしかないからだ。
くっだらねーーーーーーーー。
これを読んであまりにもイラっとして、誰かフェミニスト作家に村上春樹を糾弾してもらいたくて仕方なくなった。フェミニズムや女性差別について積極的にSNSで発信している女性作家と村上との対談をセッティングしてもらって、そこでその作家に村上をボッコボコにしてもらうのはどうだろう。クソミソジニストが!!って。川上未映子あたりはどうか。村上と対談。してくんないだろうか。 とまあ、話は非常に単純なのだが、ここに村上はシロの「偽証」が偽証とは限らないような、「単純ではない」事情を入れてくる。というのも、つくるは「つくるの記憶上は」シロとセックスどころか、手をつないだこともないが、何度もめちゃくちゃ生々しい「夢」の中でシロを犯しているからだ。
とくにシロとクロと交わる性夢を見るようになってからは、生身の彼女たちと顔を合わせる勇気は、つくるにはとても持てなかった。それは想像の中で彼女たちをレイプしているのと同じことだからだ。たとえその夢が自分の意思とは繫がりのないものであり、彼がどんな夢を見ているか相手に知りようがないとわかっていてもだ。あるいは彼女たちは、つくるの顔を一目見ただけで、彼の夢の中で何が行われているかを、すべてを見抜いてしまうかもしれない。そして彼の汚れた身勝手な妄想を厳しく糾弾するかもしれない。彼はマスターべーションをできるだけ抑制していた。行為そのものに対して罪の意識を感じていたからではない。彼が罪の意識を感じるのは、そのときにシロとクロの姿を思い浮かべずにはいられなかったことに対してだ。何か別のことを考えようとしても、必ず彼女たちがそこに忍び込んできた。しかし自慰を控えるぶん、折にふれて性夢を見ることになった。 村上春樹. 色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年 (Japanese Edition) (p.122). Kindle 版. つくるから見るとこういうことだ。この時つくるはまだ童貞なのだが、自慰しようとするとシロとクロを思い浮かべずにはいられない。だから自慰を我慢する。すると同じ性夢を定期的に頻繁に見ることになってしまう。つくるはその性夢を見ると必ず無精する。つくるからしたら犯さないように犯さないように努力しているのだが、それでも夢の中にまで出てくるクロとシロ に犯されてるのは自分だとでも言わんばかりなのだ。
想像の中ですら犯したくない。だから自慰を我慢する。ところが自慰を我慢しても夢の中で犯してしまう。そこでつくるは現実で年上の女性とつきあうことにする。この「年上の女性」には、つくるとは別に故郷の新潟に幼馴染の婚約者がいるのだが、それを知った上で、つくるはただ自分がシロを夢の中でも犯さないようにするためだけにその肉体を求める。
しかしつくるがその年上の女性に積極的に接近し肉体を求めたのは、情熱のためでもなく、彼女に対する好意のためでもなく、あるいは日々の淋しさを紛らわせるためでさえなかった。彼がそうしたのは、自分が同性愛者ではないことを、また自分が夢の中だけではなく、生身の女性の体内にも射精できることを自らに証明するためだった。それが──つくる自身はおそらく認めなかっただろうが──彼にとっての主要な目的だった。村上春樹. 色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年 (Japanese Edition) (p.126). Kindle 版. 高校生の仲良しグループの他のメンバーはアカ、アオ、クロ、シロ。みんな名前に色が入っているのに「多崎つくる」にだけは「色彩」がない。そのことがつくるの少なからぬコンプレックスになっていたのだが、この「年上の女性」には「色彩」どころかそもそも名前がない。名前もない、「年上」という属性と、「女性」という属性しか持たない「年上の女性」は避妊薬を飲んでいる。だから、つくるは「心置きなく彼女の中に精液を放出することができた」(p.126)。彼女も楽しんでるようだし、自分は現実の女でも射精できる。同性愛者でもない。そのことが証明できた。本当に、本当にそう書いてある。
つくるががするセックスは、それが夢であれ現実であれ、妊娠にいたらないことが常に保証されている。夢の中のセックスで妊娠するわけがないし、避妊薬を飲んでいるなら妊娠はしない。つまり、男=つくるには射精責任が一切発生しない。 さらにつくるのセックスには常にエクスキューズがつく。自分は犯そうとなんてしていない。逆だ。犯さないように犯さないようにと可能な限りの「主体的な」努力をしてきた。自慰ですら我慢した。それでも今度は「犯す」夢を見て「しまう」(夢は無意識なので自分の意思で止めることがどうしてもできない)。だからそんな夢すら見ないように、①妊娠も絶対しない、②別に幼馴染の婚約者もいるからこちらに気持ちがなくてもまったく問題はない女(色彩どころか名前すらない)を、③彼女の同意の上、彼女を喜ばせるために「犯した」のだという。
要するに「犯したのは犯さないためだった」というロジックでの欲望肯定が、つくるの「セックス」なのだ。暴力であることがテキスト上、あらかじめすべて免罪されているつくるのセックスは、男にとってはある種の理想だろう。セックスの加害性はすべて棚上げ。現実の性搾取や性暴力も無視。興奮していっぱい気持ちよくなって射精までしておいて、責任は皆無。どころかそれはそうした男性としての加害性=欲望を否定するための主体的積極的な努力だったと言っている。
そして、この「犯したのは犯さないためだった」はまさに従軍慰安婦肯定のロジックだ。 大塚英志は多崎つくる個人の話を村上が歴史の比喩で語っていることに着目し、つくるがシロの冤罪をはらす構造が、国家の歴史と重ね合わせられていること、従軍慰安婦の話とパラレルになっていることを指摘している。 そして、この「誤解」を解く「巡礼」は、実は「歴史」の比喩だ、とつくるは仲間の一人と話す。この不意ともいえる比喩からこの小説は読みとけるようにつくられている。
「なんだか、歴史の話をしているみたいだな」
「ある意味でおれたちは歴史の話をしている」
(前掲書)
つまり、この小説は「歴史」の捏造からなる冤罪を晴らすことの比喩として書かれていると村上は作中人物に代弁させようとする。大塚英志 感情化する社会 (Japanese Edition) (Kindle の位置No.2749-2754). Kindle 版. そこで明らかになった真相はこうだ。
「彼女は精神的に、それくらい深刻な問題を抱えていた。そういうこと?」
「そう、精神的にそれくらい深刻な問題を抱えていた。はっきり言って、切羽詰まったところまできていた。誰かがあの子を全面的に保護しなくてはならなかったし、その誰かは私でしかあり得なかった」
(前掲書)
「シロ」はつくる以外の誰かからレイプされ、妊娠し、流産し、本当に「傷ついて」いた。つまりレイプそのものは「歴史的事実」であり、否定できないが、同時につくるがレイプしたわけでもないことも「歴史的事実」である。そして「シロ」がそのような証言をしたことは、彼女が「精神的」に「深刻な問題」を抱えていた、つまり正気ではなかったから「偽証した」のだ、という説明である。大塚英志 感情化する社会 (Japanese Edition) (Kindle の位置No.2767-2775). Kindle 版. 大塚の読みではシロが「従軍慰安婦」だが(異論はない)、ぼくはこの「年上の女性」もシロと対をなす「慰安婦」だと考える。なぜならこの「年上の女性」は①シロを犯さないために必要とされる存在だからであり、②同性愛者ではない、「男だという証明」に必要な存在だから(戦時中のホモソーシャル強化に使われる)。この年上の女性には③名前がなく、単に「女」という属性しか持っていないことも重要だ。そしてこの「年上の女性」は④自ら望んで関係を持ったし、セックスで喜んでいたし、地元に帰れば結婚相手もいるのだから何も問題などないとされる。
結局のところ、ここでは、精神的に深刻な問題を抱えたために「レイプされた」と偽証せざるを得ない、実際にレイプされた女と、セックスはしたかもしれないが何も被害がないどころか本人だって楽しんでた=メリットあったし、その後も幸せにやってる女、そのどちらかに「女」が、男の都合のいいように切り分けられてしまう。「本人だって同意の上だ」(カネをもらってたんだろう?)と「セックスなんてしてない」(被害妄想の偽証では?)は従軍慰安婦否定とまるっきりロジックが同じだ。
こうして多崎つくる=男はいつの間にか、レイプを赦される側ではなく、冤罪を受けたことを赦す側に立っている。
それでも彼はシロを──ユズを──赦すことができた。彼女は深い傷を負いながら、ただ自分を必死に護ろうとしていたのだ。彼女は弱い人間だった。自分を保護するための十分な堅い殻を身につけることができなかった。迫った危機を前にして、少しでも安全な場所を見つけるのが精一杯で、そのための手段を選んでいる余裕はなかった。誰に彼女を責められるだろう?村上春樹. 色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年 (Japanese Edition) (p.348). Kindle 版. つくるは何も悪いことはしていない。単にシロのことが好きで(つくるのシロへの好意は作中で明確に語られる)、冤罪をかけられてコミュニティを追われたがそれでもなんとか生き延びて、夢の中で何度もシロに射精し(シロのほうがつくるの上に乗って腰を動かしてくる)、それすら避けるために最大限の努力をした。偽証をしたシロを赦し、シロが無惨にも死んでしまった悲しみを乗り越え、ただ、鉄道の駅をつくるという彼の仕事を真面目にこなしながらこれからも生きていく。
「ねえ、つくる、ひとつだけよく覚えておいて。君は色彩を欠いてなんかいない。そんなのはただの名前に過ぎないんだよ。私たちは確かにそのことでよく君をからかったけど、みんな意味のない冗談だよ。君はどこまでも立派な、カラフルな多崎つくる君だよ。そして素敵な駅を作り続けている。今では健康な三十六歳の市民で、選挙権を持ち、納税もし、私に会うために一人で飛行機に乗ってフィンランドまで来ることもできる。君に欠けているものは何もない。自信と勇気を持ちなさい。君に必要なのはそれだけだよ。怯えやつまらないプライドのために、大事な人を失ったりしちゃいけない」村上春樹. 色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年 (Japanese Edition) (p.313). Kindle 版. そして、つくると同じく、シロを失った悲しみを乗り越え、フィンランドで生きているクロから「そのままの多崎つくるで大丈夫だよ」と全肯定の言葉をもらい、「もしよかったら、私をハグしてくれる?」という女側の求めに応じてハグをする。クロは高校生のときつくるが好きだったのだ。
このクロの言葉には「政治」や「社会」がまったくない。税金も納め、選挙にも行き、健康で一生懸命仕事をしている。それだけで「君に欠けているものは何もない」立派な「市民」だという。これはジャニー喜多川の性加害が明らかになったときの山下達郎の声明文を想起させる。 性加害に対する様々な告発や報道というのが飛び交う今でも、そうした彼らの音楽活動に対する私のこうした気持ちに変わりはありません。私の48年のミュージシャン生活の中で、たくさんの方々からいただいたご恩に報いることができるように、私はあくまでミュージシャンという立場からタレントさんたちを応援していこうと思っております。彼らの才能を引き出し、良い楽曲を共に作ることこそが私の本分だと思ってやってまいりました。このような私の姿勢をですね。忖度あるいは長いものに巻かれていると、そのように解釈されるのであれば、それでも構いません。えー、きっとそういう方々には私の音楽は不要でしょう。以上が、今回のことに対する私からのご報告です。長々失礼しました。今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。【全文】山下達郎、ジャニーズへの忖度は「根拠のない憶測」 事務所の契約巡る騒動に初言及 | ENCOUNT 必要なことは政治的なコミットメントでもなければ社会の構築でもない。レイプされて殺されたシロは悪霊にとりつかれていただけなのだ。誰も悪くない。
個人のトラウマとその癒しが国家の歴史と重ね合わされるとき、そこに登場するのは個人が望む国家ではなく、国家が望む「個人」になる。そのような「個人」は自身の本分を知り本分を弁え、余計なことは言わず、ただただ置かれた場所でものづくりにだけ邁進していくことだろう。それだけがこの国の歴史を「つくる」とでも言うかのように。 そんな「個人」をこの国では「市民」と呼ぶ。権利だ義務だはおよびじゃないのである。
沙羅はため息をついた。「義務とか権利とか、できればそういう言葉を出さないでほしい。なんだか憲法の論議をしているみたいだから」村上春樹. 色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年 (Japanese Edition) (p.323). Kindle 版.