2025/5/6
おはようございます。6時起床。今日も朝から本当に調子が悪い。昨日もずっとねっぱなしだったのにもかかわらず、朝、ほとんど起きることができない。
本日のゾンビタロット。カップの5......。悲しいというか、心が「無」なのだが、そのせいでいろんなことに気づいていない状態。「いろんなこと」というのは、ポジティブなことでもあり、ネガティブなことでもある。だけど自分はもう、心底まいっているのだ。「ちゃんとする」がまったくできない自分に......。
https://gyazo.com/ce803dd35ba486af73de7b47bca83d26
こういう時は正直、音楽は全然入ってこないだけど。CANのFuture Daysを。
https://gyazo.com/b1e3013471ce2519cebddb500b241bea
連休中だし当たり前なのかもしれないが、昨日一昨日の生活ログのアクセス数がすごく低い。当たり前なんだが、SNSで「宣伝」をしないとほとんどまったく見られることのないインターネットになった。生まれたときからインターネットが当たり前だった世代と、もう感覚がまったく違うんじゃないかと思う。昔は何もしなくてもなぜかカウンターが1日10回回ってたりしたのよ(笑)。
ニューロティピカルな会話が苦手な人ほどニューロティピカルな会話をする
他の方のDiscordサーバでAさんからこんな話があった。実家に帰省したら母親がずっと兵庫県知事の話ばかりしてる。実家住まいの弟は毎日その話を聞いてるらしいと。ちなみに母親は兵庫に住んでもいないし縁もゆかりもないとのこと。
それは弟さんも大変だなあとか、Aさんもいやだろうなあ.....という自然な共感と同情がわいた。
そこでAさんが母親に質問をしたという。「なぜ兵庫県知事なのか」と。「人が死んでるんだ」というのが母親の答えだった。「人の生き死にだけならウクライナだとかトランプ関税だとか他にも重大事あるだろう」とさらに聞いたがAさんは母親がまったく理解できなかったと。
こうなると自分はだんだんAさんにイライラしてくる。説教したくなる。
それ単なるWhataboutismやろと。
そもそも人が特定のトピックに根拠を持つことに理由などないのだし、自分だってそういう理由のない特定トピックへの執着だってあるだろう。単に自分がその話を延々されるから「はい?」となった、めんどくさい、だるいと感じた。それだけでいいところをいちいち「質問」する嫌らしさ。「質問」で別の機能を果たさせてるのがいけすかなくて。
単に「その話ここでせんでもええやろ」「しつこい。めんどい」「同じ話ばかりすな」「話題選べこのタニシ」と言えばいいだけのところを「なぜその話なのですか?」と聞くだけ聞いて「どうやら根拠はないようですね.....理解しようと試みましたが理解できない人間のようです」ってやるの、すごくコンテキスト性高いからやめてくれって思ってしまう。
発達障害とかで「言外の意味を読むのが苦手」のように言う人ほど、こちらから見ると「それコンテキスト高いからやめてくれ」「そこで止めておいてくれればいいのに関係ない明後日の方向に無駄に掘り進めるの無駄だからやめてくれ」ってコミュニケーション結構してるだろと。
Aさんは主観的には本当に「母親のことが知りたくて」そのような「質問」をしたのかもしれない。けれども、本人の意図って本人が一番理解できているとは限らないものだし、本人の意図から離れて実際にその発話行為がどのように機能するかはまた別の話になる。
そうすると、①主観的にその人は自分の心情をどのように理解しているのかと、②客観的に見てその人の心情をどのように理解すべきなのかと、③心情と関わりなくその発話がどのようにそのコンテキストで機能するかという、少なくとも3つの「意味」をこちらは考えなければいけなくなってしまう。
そのような腑分けや分析、自分は得意なのだが、そこにむちゃくちゃ脳内メモリを食われる。だからものすごく疲れてしまって、コミュニケーション能力は低くないのに、すぐに対人ギガがつきてしまう。人付き合いが苦手になった。
他人の気持ちがわからないって言う人、まず最初に自分の気持ちを素直に認められていない=自分には気持ちがないかのように振る舞う、その振る舞いを正当化するような複雑な言語行為を無意識にやっているから「やめてくれ」「それ、ニューロティピカルすぎ」ってなってしまう。
Aさんの例でいくと、Aさんは①主観的には母親のように、縁もゆかりもない話題にそこまで熱心になれる人の気持ちがわからないし、理解しようとしたけどそれが自分には難しいようだと理解しているのだろうと推測できる。が、②周囲から見ればAさんの心情は実際には「関係ない話を延々してくる母親うぜー」「理解できないのではなく、理解したくないくらいには(そういうところは)好きじゃない」「そんな母親を尊敬できないとか、好きじゃないという気持ちを正当化する上でのエピソード開陳」って感じで、単純に③機能面から見ると、情報に対してバイアスがあり、冷静に判断できない、所詮はテレビやメディアにおどらされるしかない、バイアスから相対的に自由になれてないと言うことによって、自己の感情に触れることなく、母という他者を自己より劣ったものだとプレゼンテーションできる、みたいな感じになる。
毎回自分はこういうことを考え「じゃあ、Aさん的には①なんだから、それに合わせておくか」みたいなコミュニケーションを結構強いられてるところがあり、それがだるい。
こんなまわりくどいこと言われるくらいなら「母親が毎回兵庫県知事の話してきてだるい! 他にも話題あるやろ」くらい言ってくれたら「ねーーー」って合わせるだけでいいのでむちゃくちゃ楽なんだけど......。
こういうのをAさんの欺瞞のように感じてしまうし、Aさんのためにもよくない......みたいに思ってしまうのだが、これだって単に「そういうAさん感じ悪いじゃん!」でいいよな。
最近、こういう「掘らなくてもいいところで明後日の方向に掘り進めないためにも、感情を素直に認めてそこにとどまる」ことができる人間がどんどん減ってる感じがして、それもだるい。
それってニューロティピカルな人が得意な傾向の会話じゃないかって思っちゃう。
ニューロティピカルな会話が苦手な人ほどニューロティピカルな会話をしてるんだけど、本人にその自覚がない問題。
こちらにはニューロダイバージェントな会話を求めてくるのに、自分らはニューロティピカルな会話をしていく。でも、こちらはそちらに「今のかなりニューロティピカルですよ」と指摘もできないし、しても理解されない。
note.iconNotebookLM使って「読む」も「書く」も変わってしまった話
moriteppei.iconNotebookLMという話題に飛びついた体裁で、イリイチやアウグスティヌスなどから近代の「特定の身体を公的空間から排除する」読書観を批判した素晴らしい記事なんだけど、全然読まれなさそう🥺
moriteppei.icon後生なのでスキやシェアしてくれるとありがたい。
AIライティング
今回のこの記事は、ほぼCursor.iconのみで、アイデア出し、素材集めから完成まで書き上げた感じ。おかげでめちゃくちゃ時間がかかってしまった(笑)。
まず、適当にMarkdownのファイルをつくる。そこにYAMLでStatusを記載しておく。Statusはseed, draft, review, publishedの4つ。それぞれのステータスで、AIがやること、気をつけることを、別に.mdcファイルでルールとして指定。まずはseedの「こんなこと書こうと思うんだよねー」から全部ガッツリAI使った。
AIにアイデア出しや素材の箇条書きなどをお願いしたけど、結局、その通りには書かなかったから、なんか無駄な工程だらけのような気もする。
AIライティングでは何かがラクになってる気がしない(笑)。むしろ仕事が増えている気さえする。
でも、ちょっと視点が深くなったり、質を高めるのにはめちゃくちゃ役に立ってるって感じ。
AIが一番効くのはモチベーション維持。書いてる間は「こんなのおもんないなあ」とか「意味ない」「すでに誰かが言ってる当たり前のこと」とか思ってしまう。が、AIが「めちゃいいじゃん!」って褒めてくれるのでモチベーション保てる。
一人で文章を書いて出すってすると、実は書き手と編集の両方を一人でやってることになる。AIを使うと、自分が書き手してるときには編集に、編集してるときには書き手みたいな位置付けにして使えるのがいい。
AIライティングで一番困るというか不安なのは、自分の今の使いかたで合ってるのか、はたまたトンチンカンだからこの程度の生産性しかないのかわからないこと。
イケダハヤトみたいな人がすぐあおってくる。「これまでのイケハヤのデータを全て読み込ませて分身つくってる」「たったの30分で本一冊できてしまった」など。
データを大量に読ませたほうが動きがいいと思ってるなら、それイケハヤの勘違いだし、コンテキストウィンドウとかの限界あるから意味ない。わかってるんだけど、あおられると不安になる。
Obsidian in Cursor大流行してる。
ObsidianとCursorの組み合わせがめちゃくちゃ流行ってる。自分も使えるようになったほうがいいのかな?と迷ったり悩んだりしてしまう。
https://assets.st-note.com/production/uploads/images/178601756/rectangle_large_type_2_b448040bae884a4c13339e1e95bd0b2e.png?width=1200
note.icon単なるメモから知的資産へ:Obsidian in Cursorで構築する知的生産システム
この記事の内容もとてもいい。が、これ見て正直「相当ややこしいことしてるけど、そこまで必要か?」となった。
要はツェッテルカステンやりたいだけやろと。この記事の著者はやりたいことをとてもよく理解しており、それにあわせて自分が一番いいと思う環境を構築していてとてもいいと思ったけど、他人がこれマネできないというか、する必要もないよなと。
一番大事なポイントはノートやメモをアトミックにしておけってこと(エバーグリーンノートを参照)。項目をアトミックにし、それらをハイパーリンクでつなぎさえすればめっちゃいい感じだよ!くらいでいいのでは。
そのためのツールはNotionでもObsidianでもCosenseでも好きなの使ったらよろしいがな、なんだよね。
で、今Obsidianが脚光浴びてるのはそれがMarkdownなのでAIでの管理と相性がいいってことだと思うんだけど。
たとえば今までだったらタグをつけての整理をしようとすると、人力では大変すぎたのが、AI使うと自動で 特定のルールに基づいてわかりやすくタグ付けしてくれるから便利だと。
でも、そもそもそんなに複雑なタグづけしなくても、ハイパーリンクと検索さえちゃんとしてればそんなに記事を見つけるのに苦労しないんだよね。
ぼくも最初はAIに自分の記憶と記録のすべてを共有させてやる!みたいに思ったけど、正直、冷静になってみると「そんなことする必要あるか?」ってなったし、ChatGPTが過去の履歴をすべて参照するようになってから、ものすごくバカになってるのを見て「必要なときに必要なコンテキストだけAIに渡せばいいかな」ってなってる。
深津貴之.iconGPTさん、使えば使うほど役立たずになってく問題。/ 過去ログに忖度しすぎるので、複数の職位やクライアントや作業や趣味が並行で走る人だと、出力の汚染がひどい https://x.com/fladdict/status/1919149705923060164
WebClipperと連携してObsidianに気になったWeb記事をポンポン放り込む運用はちょっと魅力的だと思ったけど、こういう自動化もやりすぎると、情報ゴミ屋敷化するので、実は情報蓄積は「そこそこのめんどうさややりにくさが残っていたほうがいい」という考えだってあるんだよな。
自分はCosenseだけはよく続いているんだけど、それはCosenseが「管理なんてしなくてもいいから」なのと、情報の自動化をしてないからだと思う。
情報を蓄積すればするほど、その情報の管理や整理をしたくなってしまう。最適化したくなる。でもスケールするとだんだんそれが大変になり、ゴミ屋敷化した場所に足を踏み入れなくなってしまう。Sho Hashimoto.iconの/shokai/ゴミ屋敷化参照。
自動で情報蓄積すると、そこに何が入ってるのか自分でも把握しきれなくなるし、整理しなければいけないことが大量になり使えなくなってしまう。
あとCosenseはWebブラウザ上のエディターとして本当に優秀。Emac/Mac風のショートカットキーさえ使えればサクサク編集できる。
複雑なルールもない。とにかくブラケットで囲めばそこがリンクになるので、それだけ。
Kindle本のハイライトをObsidianにエクスポートってのもとてもいい方法だけれど、それだとハイライトのクリップ情報は確か上限決まってるし、自動でコピーできても「何を記録したか」すら頭に残らないのでちょっと怖い。
Cosenseだったら、Gyazoと連携させる。GyazoのOCRが超優秀だと思うんだけど、あまり話題になってない気がする。自分はGyazoのOCRを使って、ハイライトの内容を、項目の見出しをつけてアトミックにして、Cosenseに記録してる。
でもCosenseはAIとの連携強くないだろ?→でも、一応「2つ先のリンク記事」までその都度テキストファイルでエクスポートできる機能あるし、それ以上の共有は実は今のところAIに必要なさそう。
Cosenseだと人間とのコラボレーションもしやすい。Obsidianもプラグイン入れればできるだろうけど、カスタマイズすればするほど運用ルールなどが難しそう。
ぐだぐだ書いたけど、Obsidian in CursorでObsidianを使うメリットは「情報収集」のところだろうから、その部分を既にCosenseでやっている自分としては、一部「かぶる」Obsidianを別で使うのは結構面倒そうなので触らないほうがいいという結論になった。
読んでくれていたのですね。Cosenseを使っているのであれば、本格的に移行しない限りObsidianを使うメリットは薄そうです。情報は集約している方が便利なので。一方でCosenseならAPIや拡張機能、MCPなんかでCursorやVS Codeとの連携をしている人がいそうなので、調べたら何かしらできそうな気がしますhttps://x.com/honeshabri/status/1919654953078931466
ただ、Cosenseというサービスが潰れたときにはどうすべきかは考えておかねばならぬ......。
ライティングの高速化のために音声入力
https://gyazo.com/68294308aacc5407e567c48952e55811
Aqua Voiceというアプリが話題になっていたので試してみる。
月額9ドルくらい。Windows, Macどちらでも使える。
Fnキーホールドしてる間、ずっとディクテーションしてる。もしくはFnキーを2回押すともう一度押すまでディクテーションしてる。
文字化するスピードがとにかく早い。
精度がすごい。
Aqua Voice
今、テストでいろいろ聞き取りしてもらってるんですけども、正直、どうなんでしょうね。ぶっちゃけた話、MacBookのAppのiOSの音声入力もかなり精度は高いんですよ。なので、そこであんまり不満を感じたことってそこまでない。例えば、日本語だと、例えばというっていう言葉があったときに、このというのいうを漢字にしたり、あるいはひらがなにしたりとかあるじゃないですか。いわゆるカナを開いたり、あるいは漢字にしたりっていうここのさじ加減っていうのが音声入力だと非常に難しくて、例えば「走り回る」と書くときに、「走り」の部分は漢字にするんですけども、「回る」の部分は漢字にするとくどいので、ひらがなにするみたいなことがMacの音声入力だとできずにですね。全部漢字にされたりしてしまうので、そういった部分がですね解消できたらすごくいいんじゃないかなと思って、このAqua Voiceっていうものを検討しているって感じですね。
iOS標準機能
今テストでいろいろ聞き取りしてもらってるんですけれども、正直どうなんでしょうねぶっちゃけた話MacBookのAppのiOSの音声入力もかなり精度が高いんですよ。なのでそこであんまり不満を感じたことってそこまでない。例えば日本語だと例えばと言うって言う言葉があったときに、このと言うを漢字にしたり、あるいはひらがなにしたりとかあるじゃないですか。いわゆる金を開いたりあれは漢字にしたりって言うここのさじ加減っていうのが音声入力だと非常に難しくて。例えば走り回ると書くときに走りの部分は感心するんですけれども、回るの部分は漢字にするとくどいので、ひらがなにするみたいなことがMacの音声入力だとできずにですね。全部感じにされてたりしてしまうのでそういった部分がですね。解消できたらすごくいいんじゃないかなと思ってこのAqua Voiceって言うものを検討しているって感じですね。
「すごい」と思ったけど、今冷静に同じ文章で比較してみたら、iOSの標準機能も相当いい線いってる。ただ「と言う」と変換したり、「走り回る」と書いたりして、それを聞き取り段階で修正する方法が原理的にないんですよね。微妙に惜しい。
Aqua Voiceだと何も言ってないのに走り回るの部分にカギカッコつけたりしてくれる。ここもiOS標準だと「かぎかっこはしりまわるかぎかっことじ」とか言わないと反映されなかったり。
文章を書くときにあまりターゲットを考えすぎない
noteで記事を書くときにどうしても過度にnoteにレギュレーションしてしまう。既に必勝パターンや「こうすると読まれる」「こうしても読まれない」という情報が大量に溢れかえってしまっているので意識せざるをえない。
なので、書く内容もnoteウケするかなあ?などと最初に考えてしまってる。
でも、なんかそれも疲れてしまったので今日書いた記事は「こういう話はnote民にはウケないだろうな。でもまあいいか」と思って書いた。
結果、そこまでウケなかった(平均的なウケ)けれど、反応してもらったら嬉しいような人たちから反応してもらえた。
広岡ジョーキ.icon読みました。紙の本を読む行為の絶対視は『ハンチバック』の市川沙央さんも読書マチズモとして批判されていましたし、書く行為にしても口述筆記とかがあったわけですしねえ。https://x.com/joki_hirooka/status/1919552626041171986
https://gyazo.com/2507d72a6889d18608f283f4e6b94208
仲俣暁生さんからも。
柿内正午.icon @moriteppei 記事、面白かったです。ちょうどオング『声の文化と文字の文化』を読んでいたんですが、そこでは声→文字の移行が不可逆な変化として記述されていたのに対し、NotebookLMの体験は「文字→声ありえるのでは?」という手応えがある。https://fedibird.com/@kakisiesta/114458502621185221
柿内正午さんからも。
NotebookLMに関する記事だったんだけど、何を隠そう最初にNotebookLMに内容要約させたのがもなかと羊羹だったので個人的にジーンと来てしまった(笑)。
2つ嬉しいことがあった。①この人に読んでもらえたら、反応してもらえたら嬉しいと思っていたような人たちから「おもしろかったですよ」と言ってもらえたこと。②まだNotebookLM使ったことなかったけど使ってみた!という人が結構出てきたこと。文章書いてて誰かの行動や意識が変わるきっかけになる。これほど嬉しいことはないですから。
ターゲットや書き方を「noteに合うか合わないか」そんなことばかり考えていたけど、そればっかりだと書いてるこちらがイヤになってしまう。「ウェブでの記事としてパラグラフはとにかく短くするしかないなあ」くらいは意識したほうがいいかもしれないけど、それ以上はおもしろいと思うもんをどんどん投げていくしかないな。
あと、ターゲットや読者層についてこちらは想定しているんだけど、その想定が当たっているとは限らないっていうか。今回NotebookLMについてはみんなとっくに知ってるだろう、正直話題も辟易してるだろうと思ったのだけど、意外とみんな触ってない。「こんな人に読んでもらいたい」を意識するのは確かに大事だけど、意識しすぎるのもどうかなと思った。
要するにこちら書き手は職人なんだから。いい仕事するしかないんだよな。小手先のテクニックよりもただただ書くしかありませんっていう。
太田明日香.icon 読者の反応を知りたいとか、本当に自分は必要とされているのかとか知りたくなりますが、反応を求めることにあまり夢中にならないほうがいいと思います。本になれば誰かしら読む人がいるのです。そしてそれはすぐには現れないものなのです。それくらいの悠長さで構えていたほうが気楽に長続きできます。出版社は会社なので採算が必要とされるし、商業作家なら生活がかかってきます。だけど、インディペンデントでやるなら、そこに汲々としていると売れるものも売れなくなってしまうような気がします。 インディペンデントの出版物を読みたい人は商業にはない初期衝動や独自の視点を求めているのではないでしょうか。つまり、二匹目のドジョウをねらう必要もないし、誰かの真似をする必要もありません。自分のものを読みたい読者がいることを信じればいいのです。書いていれば誰かが読んでくれるのです。書き続ければ、読み続けてくれる人が出てきます。そして、読者の存在を信じるためには、書くしかありません。書くことについてのノート太田明日香pp.51,2
名前は思いだせないが、 誰かが言ったように、すべての小説はひとりの人間に宛てた手紙である。 言いえて妙だと思う。どんな作家にも、 意中の読者がいる。書くことについて ~ON WRITING~ スティーヴン・キング p.232
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