文章を書くときにあまりターゲットを考えすぎない
noteで記事を書くときにどうしても過度にnoteにレギュレーションしてしまう。既に必勝パターンや「こうすると読まれる」「こうしても読まれない」という情報が大量に溢れかえってしまっているので意識せざるをえない。
なので、書く内容もnoteウケするかなあ?などと最初に考えてしまってる。
でも、なんかそれも疲れてしまったので今日書いた記事は「こういう話はnote民にはウケないだろうな。でもまあいいか」と思って書いた。
結果、そこまでウケなかった(平均的なウケ)けれど、反応してもらったら嬉しいような人たちから反応してもらえた。
広岡ジョーキ.icon読みました。紙の本を読む行為の絶対視は『ハンチバック』の市川沙央さんも読書マチズモとして批判されていましたし、書く行為にしても口述筆記とかがあったわけですしねえ。https://x.com/joki_hirooka/status/1919552626041171986
https://gyazo.com/2507d72a6889d18608f283f4e6b94208
仲俣暁生さんからも。
柿内正午.icon @moriteppei 記事、面白かったです。ちょうどオング『声の文化と文字の文化』を読んでいたんですが、そこでは声→文字の移行が不可逆な変化として記述されていたのに対し、NotebookLMの体験は「文字→声ありえるのでは?」という手応えがある。https://fedibird.com/@kakisiesta/114458502621185221
柿内正午さんからも。
NotebookLMに関する記事だったんだけど、何を隠そう最初にNotebookLMに内容要約させたのがもなかと羊羹だったので個人的にジーンと来てしまった(笑)。
2つ嬉しいことがあった。①この人に読んでもらえたら、反応してもらえたら嬉しいと思っていたような人たちから「おもしろかったですよ」と言ってもらえたこと。②まだNotebookLM使ったことなかったけど使ってみた!という人が結構出てきたこと。文章書いてて誰かの行動や意識が変わるきっかけになる。これほど嬉しいことはないですから。
ターゲットや書き方を「noteに合うか合わないか」そんなことばかり考えていたけど、そればっかりだと書いてるこちらがイヤになってしまう。「ウェブでの記事としてパラグラフはとにかく短くするしかないなあ」くらいは意識したほうがいいかもしれないけど、それ以上はおもしろいと思うもんをどんどん投げていくしかないな。
あと、ターゲットや読者層についてこちらは想定しているんだけど、その想定が当たっているとは限らないっていうか。今回NotebookLMについてはみんなとっくに知ってるだろう、正直話題も辟易してるだろうと思ったのだけど、意外とみんな触ってない。「こんな人に読んでもらいたい」を意識するのは確かに大事だけど、意識しすぎるのもどうかなと思った。
要するにこちら書き手は職人なんだから。いい仕事するしかないんだよな。小手先のテクニックよりもただただ書くしかありませんっていう。
太田明日香.icon 読者の反応を知りたいとか、本当に自分は必要とされているのかとか知りたくなりますが、反応を求めることにあまり夢中にならないほうがいいと思います。本になれば誰かしら読む人がいるのです。そしてそれはすぐには現れないものなのです。それくらいの悠長さで構えていたほうが気楽に長続きできます。出版社は会社なので採算が必要とされるし、商業作家なら生活がかかってきます。だけど、インディペンデントでやるなら、そこに汲々としていると売れるものも売れなくなってしまうような気がします。 インディペンデントの出版物を読みたい人は商業にはない初期衝動や独自の視点を求めているのではないでしょうか。つまり、二匹目のドジョウをねらう必要もないし、誰かの真似をする必要もありません。自分のものを読みたい読者がいることを信じればいいのです。書いていれば誰かが読んでくれるのです。書き続ければ、読み続けてくれる人が出てきます。そして、読者の存在を信じるためには、書くしかありません。書くことについてのノート太田明日香pp.51,2
名前は思いだせないが、 誰かが言ったように、すべての小説はひとりの人間に宛てた手紙である。 言いえて妙だと思う。どんな作家にも、 意中の読者がいる。書くことについて ~ON WRITING~ スティーヴン・キング p.232