20250611日誌
📉今日の体重は71.9kgです。いつも火曜日は晩ご飯食べすぎて増えがちやけど、今回は減らすことができた。ナイス。
ブックカタリスト115『心穏やかに生きる哲学』をききながら。アドラー心理学でも同じようなことが述べられてるよな、と聴きながら思ってた。 調べたら、欧米では『嫌われる勇気』がストア派哲学の影響を受けていると言われるそう。
Zettelkastenでは、タイトルが書かれていないカードも多いそう。
そのほうが前のカードとの接続が、文脈があってこそその1枚のカードが生きるし、他との組み合わせによってまた違ったアイデアにつながる側面があったのでは。
ルーマンはそれを意図していたようなことも述べてるらしい。
聞くところによると。
Cosenseやとタイトルをつけることになる。ゆえに1枚1枚が個別的で、Zettelkastenほど文脈形成的に存在しにくいのではないか。
リンクがあるから結びつきはできるけど、あくまでZettelkastenと比べて、という部分で。
だから別途文脈をつくってもよさそう。
文芸的インデックス。
デイリーに書いた文章も、思索の結果をまるっと残したものは、文芸的インデックスと呼べそう。
また、何かしら個別のページを書いていても、そこで無理に1枚1パラグラフで書くことを考えず、思うままに書いて、書かれたものからいくつかの個別のページを起こしていけば、その何かしらのページも文芸的インデックスとなってくれる。 つまりは、書いたものなら基本的にはなんでも文芸的インデックス化しようと思えばできそう。
Cosenseのデイリーは、すでにそうなってるとも言えるし。
何かしら書いて考えたなら、それを読み返してところどころを個別のページにできないか考える。やってることはそういうことやけど、それによってインデックスが作っていけるのではないか。
あと、部品=オブジェクト的なものがいくら増えても、議論の流れはそれだけでは発生しない。ルーマンはむしろ議論の流れから部品を位置づけていた。
ここ最近、Zettelkastenを学んで倉下さんの書き込みを読んで得た1番の気づきは、ここで述べられていること。
1ページ1テーマで書くということをずっと意識してて、そこから離れられてなかったがゆえに、「部品=オブジェクト的なものがいくら増えても、議論の流れはそれだけでは発生しない」ことが見えてなかった。 でも感覚的にそう思ってた部分があったからこそ、Zettelkastenに興味がわいたのかも、と今になって思う。
カードを見返し、そこから新しいカードを書く、でもいいが、その読み返したカードについて何考えたかデイリーに書く、でもいい。
Zettelkastenは、番号の振り方の規則さえ守っておけばメモの内容はなんだってよかったのではないか。
番号は個別のIDの役割を担いつつ、尚且つカード内で他のカードを参照しても、そのメモがはじめに位置付けられてた文脈は番号によって辿ることができる。
Cosenseでは、リンクを貼っていくと元々の文脈を辿る、ということがしにくくなる。わからなくなる。ここをどうにかできればな、と思う。
多少の面倒臭さがある。番号ふるってのが。
問題点として、派生元と先を辿れるけど、前後はたどれない。
というのを考えると、Zettelkastenの番号の振り方はなかなかすごい。
簡単なルールであり、手間がない割には、
それでいくつものことを可能にしている。
個別IDで参照可能に
文脈たどれる
分岐させれる
ただ、前後はたどれなくてもいいかな、と思ってる。タイトルがあるとページ同士は並べるだけでは文脈を形成しにくいと思われる。なので文芸的インデックスによって文脈を別途書いている中に個々のページを位置付けるのがいいのではと考え中。 Cosense上では、前後のリンクのつながりはいらず、派生元とのつながりだけでいいかな、と。なので、個別ページの文頭に派生元のリンクを書く、という方針でいってみよう。
🏃♀️ランニング!今日は6.05km走った。曇り 20°C。ペースは5:05となかなか速く走れた。ジメジメで汗はすごいけど、最後多少バテつつもそこまでペース落とさずに走れた。ナイスラン!
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少し前はこんなふうに、個別ページに切り出す際は文脈関係なく、むしろその考えが出てき思索から切り離していた。