馬路ゼミ論考1Sセメ
次にやるタスクを書いていく
近いほど細分化できるだろうか細分化する
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発表
細かい話
現実の相対化
全体的なな課題
ゼロベースの対象に対して規範的分析x
それが社会的にどう構築されるかという議論がされていない
絶対的現実へのバイアスは、個別具体性に還元できるのか?
ex)「ラーメン食べているとき」として分けれるのか?
→現状維持を望むのは、全体性の問題なのでは?
→現状維持バイアスを俎上にのせる経験的妥当性
倫理的基礎付けを
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VRの定義をMR含んだ物にしてあげると、
結局唯一のVRを避ける理由は「人工的加工の不可能性」を選好する、という所になりそうblu3mo.icon*3
改めて組み直すと、
1. VRはMRとか含む
現実相対化して任意の体験、できるよと説明
個人or全体?
2. 技術の効果自体を議論
vrのmr的定義に基づき、現実が相対化する代わりに任意の体験が可能な世界、どう?という話
「人工的加工の不可能性」を選好するのが唯一の正統な理由?
自己所有権
ここを功利主義, 選好主義など拾いつつもっとちゃんと整理する
快楽主義
これは今の議論を緻密にすれば良さそう
選好主義
ここで、「任意の体験を与えられる」という前提が効いているところをちゃんと明示していく
その上で、その前提が崩れたらどうなる?というのを3説で議論する
こういう効用の定義なら、こういう形で実現される、みたいな具体例を書いていきたいblu3mo.icon
ここで色々な「幸福」を議論できたとして、それでも抜けているのはなんだろう?
3. 社会実装を議論
前節で述べたのには、最適な形で社会実装されうるという前提があった。
ただ、この前提が成り立つかを議論
ここは妥協点を探る話に持っていきたいな
2で言及した、こういう理由なら正当化される、というところを無くす方向の規範的pullと、現状の社会のpullを整理
あと、快楽測定無理くねとか、どうやって評価軸定める?みたいな論点もある
ボトムライン
最低条件として、ゼミの議論が充実した物になってほしい
そのために、論点だけはせめて明確にしたい
論点がしっかりしていれば、最悪自分の分析がゴミでもその分析を進展させる議論がゼミでできる
改善したいこと
結局曖昧な話にとどまってるのは、具体的問題を提示していないからでは
頭の中にはあって、それを抽象化したものを文章化したけど、もっと具体的な話を増やすべきでは
倫理の話をふかぼれると思う
功利主義というより快楽主義?
色々評価軸あるけど、
快楽主義の類: 任意の体験を作れるので自由
その場合、自然現実を好むのはただの保守性, 現状維持バイアス
選好とか選択の自由が関わる類:
没入してnot realであることを選ぶ選択に価値が生まれる
なので、結局どちらに関しても、選択の可能性があることが大事であると言える
みたいなまとめ方?
結局これはリバタリアニズムvs快楽主義のdebateの一部なんだな
というか結局個人の主観すぎん?
その上で、どんな価値観を持っていても最適化可能なのがVRだとは思っている
ここを話したいblu3mo.icon*3
ここの謙虚さが大事だわ、という個人的教訓は言及したい
倫理の話でいっぱいな気がするな、3/4章は正直別にいいかもblu3mo.icon
読む
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暫定版提出前↓
どの様な形だとどんな問題が生じうるか & それを防ぐにはどんな形の方が良いか
何かしら現実を加工するアプローチの方が、完全0からより良いのでは、みたいな主張が良いかも?
とりあえずVRの定義は書こう
ただ、社会実装された時に自由になるとは限らん
規範的分析、今のところ色々立場持ってくる程でいたけど、
これは、VRの製作者のみが論点になることを説明した上で、その製作者の行為の道徳を問う
その場合、義務論とかも成り立つ
規範的議論の論点、むずいな
ここの整理をするのに価値がありそうblu3mo.icon*2
long-term immersion, neglect of the social and physical environment, risky content, and privacy.
ここをできればあとは話が組み立てられるなblu3mo.icon*5
今日中にとりあえず全体構築はできる様に予定を組もう
-1200 イントロと全体構造を書く
今のヤバさ、主に二点
VRについての倫理/規範的議論という時、議論の対象は何?
「VRの導入」なのか「VRの普及」なのか
やばい、分からん
「ある事象をVR上で行われるように置き換える事」のよしあし?
いや、変化ではなく、「置き換えられる前」と「後」の状態の良し悪しの比較?
状態と状態変化は区別すべき
状態変化も含めて議論すべきかな
「知覚される情報が自然なリアルじゃない様に変化していく事」の良し悪し?
これならDXとも繋がる
議論の対象が絞れても、話広がりすぎ
でも広いというか普遍的議論をしたいというモチベがある
どうすべき?
議論の対象をある程度絞った上で、AIのやつの「置き換えるのではなく拡張」みたいな主張がしたい
Realityの意志との整合性みたいなところ?
ちょっとここの主張ありきで考えてみたいな
やっぱそうだよな、AIのやつも「貧富の格差拡大」のところから AIのこうあるべきという議論をしている
現状分析だけでなく、こういうXXは良い/悪いという話をするのが目的だよなblu3mo.icon*3
対象が状態変化なら、こういう変化の仕方が良い悪いとも言える
要は、「こういうメタバースはディストピア」という主張を倫理的基礎づけを明らかにしながら言宇野が目的
ここの主張を先に生み出したいな
案
資本主義的評価軸とペッグされちゃうやつ
責任の所在の話もできるな
論考で扱わないこと
流れ
step 1.倫理以前の話として、
シンプルに「人工的現実」が社会実装されることがどのような影響を与えるのか、という点をできる限り緻密に議論できることが大事だなと思った
ここは自分の専門性が活きる
step 2. その上で、技術倫理を速習してできる限り巨人の肩にのって議論したい
自己投射性とかのVRの定義
これは「現実」の要素を抽出している感じ
ただ、"Real"の要素と言われるとちょっと違う気がする
Twitterの真実/嘘の投稿とかで三次元性とかの話はできないので
前提としている技術の知識は盛り込むべきな気はするな
視覚だけじゃないという話
幸福度に置くべき、同意blu3mo.icon
次やること
今あるものを文章化
読む
VR原論
vrの人工的なアバターとかに対する行動の倫理みたいな話?
we propose and defend what we call “The Equivalence Principle.” This principle states that “if it would be wrong to allow subjects to have a certain experience in reality, then it would be wrong to allow subjects to have that experience in a virtually real setting.”
道徳的に良くない体験はVRでも良くない、というやつ
心理学の実験とかの倫理の話をしていそう?
「人工現実」のタイムフレーム
究極の人工現実感(?)の話だけをしていると、ただの思考実験まとめになってしまう
なので、人工現実感を今までの系譜に位置付けるのは必須
これは定義でやらなくてもよくて、後の方で評価の時に類似性を説明すれば良いのかな
同時に、究極の人工現実感も実現しうるという説明もないと、その議論をしない理由が説明できない
というか人工現実、別に物理現実と何も変わらんくね
スノウクラッシュでディストピアなのは物理現実であって、人工現実ではない
というかそこに線引きするのも変だよな
仕事辛いけど家庭幸せ、と何も変わらない
あーーーーblu3mo.icon
でもこれはあくまでも幸福のみに注目したからそう見える
別の評価軸を置くと、良くないと言えるかも
幸福の評価軸においても、人工性についての議論ができる
facebook controlledについての批判が言及されている
これを拡張すると、人工現実感において、幸福最適化は仕組み的に可能なのか、という議論だなblu3mo.icon*3
一つはやっぱ資本主義的評価軸が紛れ込むことだろうけど、それ以外の論点も持ち出せるとおもろいblu3mo.icon*3
資本主義以外にも紛れ込む評価軸があるのでは?
あと、これは後の方で議論する話だけど、その評価軸を完全に排除することはできるのかという話にもなる
Decentralizedとかいうけど、それで行けるの?という話blu3mo.icon*2
あと、「なれの問題だろ」みたいな話についても、
保守的であるのを否定することのぜひみたいな議論はできそう?
この点においてSNSとの系譜における
この議論、meceにできるかどうかが大事そう
結局meceさが無いと、論点増やしただけになっちゃう
20220628
次にやることは?
今頭の中にあるものを文章化
構成案 ver.2
まず定義
↑をベースにもっと批判的に考察する & 評価軸を明確にする
それぞれの評価軸において、「良い」or「ここが課題」という結論を出す
その上で、残りそうな論点
ここでmetaとかと繋げつつ、資本主義とつながると良くないこと起きる的な話を実例上げつつ話す
規範
他の評価軸も引っ張り出せれば、それについても議論できる
これは、VRの選択性みたいなところになる?
でも相対化しちゃえば
「本物」があって、本物が良いという価値観
「自然の現実」に特別な価値があるかどうかという議論がしたい気持ち
もっと広い話としてphysical vs digitalとかの議論があるけど、その一例としてのVR、という感じかな
前提として、現在だとRealityに関しては自然の現実の優位性は存在する
未来のシナリオとして、
1. 技術の進歩によって自然の現実の優位性が消滅する
2. 構造的な問題で自然の現実に優位性は残り続ける
の二つが考えられて、どっちだろう?という問い
これだblu3mo.icon*3
自分は、「ディストピア」という単語に依存して批判を他者に押し付けているのかもとちょっと思った
もっと単純に自分で批判して自分で考えれば良いのかも
20220624-
扱う"metaverse"の定義をしっかりしたい、ここはリサーチというより頭使うべき所?
定義には多分変数もあって良い気がするな
よく「ディストピアになるかはこれから次第」みたいに言われがちだけど、どの変数が良さ/悪さと関わっているのかを明らかにできれば価値はありそう
要素
コミュニケーションの場の多元化
(広義コミュニケーション)
別に他のものと特異性があまりないよなという気が
井戸端会議が各所で独立して行われている姿と何も違いがない
デジタル(=窓のテクノロジーがはさまる)のはDiscord/VRC/SNS vs 現実 の違いと言える? Realityを個別化できる
その範囲が広がる動きとして電話やsnsの普及等も捉えられる
この「広がり」を規範的議論の対象とするかblu3mo.icon*2
個別化できると個別最適化に向かって、そうするとRealityを共有しなくなるみたいな話?
でもそれは100年前とあまり異ならない様な気がする..?
共有する現実の非対称性
現実の人工性
これな気がするな
人工性によって資本主義的モチベとも紐づいちゃうみたいな話からアルゴリズムのフィルタバブルにもつながる
良さの話、どうする?
20220620
とりあえず月曜日はしっかり読みたいソースを読む
(これ以外にも読むべきなのはあるが、とりあえずの目標として)
現象学の捉え方系
2,3,6章をとりあえず読もう
批判系
ここで参照されている各種記事も有益そう
他2~3個引っ張り出す
VRの議論系
この辺りを読みつつ、
1. 論点, 批判点を整理する
2. それらの論点を基礎付ている倫理の評価軸を考える/探す
論点になりそうなところ
現象学関連の話
ここは倫理の基礎付けがまだ全く見えていないので、考えないといけない
ヒューマニズム関連の話
20220618-
定義
多元的現実、多元なのはむしろidentity?
結構したい議論に近そう
x-humanismとの関連とか
ケンブリッジの社会学者なのでブログだけどちゃんとしたソースではありそう
しっかり読みたいblu3mo.icon
結構扱いたい話題に近そう
The starting point of a critical phenomenology of social media, therefore, is the understanding that, in these platforms, ‘appearances’ are never neutral, natural, or organic, as they always reflect profit-oriented corporate interests.
Reality Priviledgeを無くすと言う話
ソーシャルメディア時代の公共社会学
とか言う本もある、mark
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-20220617
方針
何かしら最後に今の社会について建設的提案が出来ると良い?
そういう意味では工学的研究に近そう
自分の中のモチベとして、相対主義的社会を肯定したさがあるな 結局現状広すぎるので、具体的に何かの話題を決めた上で現象学的社会学とかに繋げられると嬉しいな
Dystopiaに言及している記事を探すアプローチが良さそう?
この主張は結構批判したい
てかこれが議論したい中心のトピックだなblu3mo.icon*3
限定されたメタバースを誰もが使わざるを得ないよう強制したり、リッチな現実の体験から遠ざけてしまうのが悪夢という趣旨だったと。
別にそこまでdystipiaの話してない
VR以外の"computer generated realities"に言及している
同じ様な捉え方を自分はしているblu3mo.icon
sci-fiの影響の話?
facebookのidentity一つに纏めさせるのとかは自分もいや
これがビジネスによるplatform管理からきているという主張、確かにblu3mo.icon*2
As “The Matrix” franchise returns, the optimism around the internet in 1999 feels very far away. In our age of climate breakdown and extreme inequality, the hours we while away online are increasingly shadowed by an awareness that, like humans plugged into the Matrix, we perpetuate a system that does not have humanity’s best interests at its heart, a system that may in fact be working actively against us.
「メタバース」が「ディストピア」か、みたいなテーマかな
「メタバース」の定義は多元的現実
最近の社会と接続する意図でこの単語を使う
SNSのフィルターバブル等もこの定義に当てはまると思う
「ディストピア」の定義は議論したい
どういう倫理のロジックで「ディストピア」が悪いとされているのかという点も議論
「非人間的」とかいう曖昧な言葉で批判されがちだけど、ここの背景にある理論を整理したい気持ちblu3mo.iconblu3mo.icon*2
これ、結局はメタ倫理学の話になりそうblu3mo.icon
批判しやすい形にでっち上げた「ディストピア批判」を批判しても、それは藁人形論法 まずは議論したい実際に存在する「ディストピア批判」をしっかり定義したいな
今頭の中で想定しているものを整理すると、
「VirtualなReality」の質の悪さへの批判
対面じゃないと人の体温や感情は感じ取れないとか
温度情報や解像度の高い視覚情報を伝達できればこれは解決するやん、と言いたくなるblu3mo.icon
けど、この返しが意味ある議論なのかは検討したいblu3mo.icon
まあなんかここは前提として共有できる面白い話な気はする
従来は自然なものだった「Reality」を誰かが管理することの批判
Facebookの方針の影響を受けるRealityなんていやだ、みたいなblu3mo.icon
それはそうblu3mo.icon*2
としか言えない..?
技術で解決しうる問題なのか、という議論はできる?
社会構造の問題であるとも言える
保守主義的なあれ
現実が多元化していく動きへの反動
これはどう説明すれば良いんだろう?
科学技術社会論的な所でこういうラガード的挙動を説明するのもあり? 追記、これは今回のスコープ外だなblu3mo.icon
機械的個人最適化の影響を受ける範囲が「Reality」まで広まることの批判
フィルターバブル的な
スマートフォンでの通話、オンラインショッピング、ゲーム、ソーシャルフィードのスクロールなどのに毎日が流されてしまいます。このような状況下では、人間と人間の場合には許されないような行動を取ることが許容され、アルゴリズムが端的な見方を強化するバブルの中に人々を押し込み、社会が分断されてしまっています。(Niantic)
あ〜、これ元々論じたかったあたりだな
これに該当する倫理の基礎付はなんだろう..?
みたいなことを考えて逆算して説明する感じか
技術を根拠に批判に耐えうる未来の「メタバース」像をでっちあげるのももはや無意味
ユートピアをデザインしてこれは良いと主張することに大して意味はない
ただ未来の技術ベースの話もしたいので、バランスが難しい所
Big Techが力強いのはDystopia、という主張に関してはまあせやなという気持ち
文献を取りあえす流し読みしてワードを引っ張り出したい
これ、結構扱いたいトピックに近い
ここにあるような議論をベースに、未来について話したい気持ち
これが細分化・個人最適化していった先にはindivisual cognitive realityがあるのでは?
意味領域の交錯と技術——シュッツの多元的現実論の応用
シュッツの「意味領域」という概念は、「現実/非現実」というリジッドな二分法を採用するのではなく、経験する主観によって意味的に構成されるものとして「現実」を扱う立場に立っている。つまりシュッツの立場では、「現実」と「非現実」の関係ではなく、「日常生活世界の意味領域」と「ゲームの意味領域」(とその他の意味領域)の関係が問題になる おっ、「意味領域」気になる
現象学的社会学は、主観に還元した上でそれでも間主観性が生まれるという話っぽい それがどう社会で生まれるか、みたいな
blu3mo.iconが出来そうな話として、そもそも間主観性無いほうが良いのではみたいな話ができそう その上で、realityを翻訳するような世界観を妄想していたりする
フォーマット
Wordで提出するらしいけどきつい
ので、Docsで書いて最後にWordでフォーマット整える
予定
~6/5, Sun
とりあえず現代思想入門を読まないことには始まらないので読み切る -.icon
ディストピア案
自分の中にある、いわゆる「ディストピア」的世界観でも良いのでは的な価値観を深掘りしたい
例えば全監視社会だとしても、それがnormalizeされてみな嫌に感じていない & 評価軸の最大化が実現できているなら、別に良いのでは、みたいな
監視や嫌かどうかなんて価値観の問題でしかないので、そこがnormalizeされればええやん、みたいな
(ここを「価値観の問題でしかない」と言っているところが肝な気がする)
最大多数の最大幸福が評価軸として適切かは分からないし倫理の問題だけど
なんにせよ、価値の最大化を実現するシステムのアーキテクチャはなんでも良いのではという気持ち
現状は、システムが上手く動作していないのが問題?
(論点はずれるけど、ここのアーキテクチャについて論じるのも面白そう)
ここで、自分は実態的正義だけ見ればええやんと言っているのか
実態的正義は一意に定義できないので追求が難しいが、せめて手続き的正義として民主主義的プロセスを踏む、という考え方が民主主義国家の現状っぽい
ただ、民主主義的プロセスを「手続き的正義」として定めている事には納得がいかないなblu3mo.icon
↑の記事では「ディストピア」的フレームで上海生活が描かれていたけど、これはイギリス人がその価値観で上海で生きた感想でしかない
「ディストピア」として描かれる社会の内部についてはこの記事では見えていない
社会の「良さ」の評価軸を、ディストピア社会内部の人の気持ち(幸福とか)におくなら全然良いものとできるのに、それを「ディストピア」として扱うことへの疑問が根源な気がする
そして、その疑問が、自分の技術的関心と繋がるのだろうな、と
自分が興味があるのは、現実の情報を認識する過程に情報処理の膜(窓のテクノロジー)を挟んで、現実(=Truth)が自由自在に加工できる世界観を実現する技術 具体的に言えば、
バーチャルな美味しい食事を味覚提示デバイスで毎日味わえるとか(これ) 各自が自分のSNSのフィルターバブルの中で自分が嬉しい情報を見続けて、それをTruthとして信じるのもこれな気がしている
ここ深掘りたいかも
このアプローチを突き詰めれば、事実上どんな問題でも解決できるのでは?という気がしているblu3mo.icon
現実がどうであろうと、それを知覚する部分でフィルタをかけてあげれば解決するので
ただ、これらは結構いわゆる「ディストピア」的なものだと言われると思う
現代人の感覚からすればこの「Truth」が各人で共有されない社会は気持ち悪いディストピアに感じる
けど、この社会別にみんな幸せじゃない?と言いたい
結局論考で何を扱う?
「これはディストピアだね」というラベル付けをせずに、ビリーバビリティ主義的社会が良いのかどうかを問いたい気持ち
SNSのフィルターバブル/ポストトゥルース等現実社会にある問題もビリーバビリティ主義と言えると思うので、それらも絡めて地に足がついた議論をする様にしたい
流石に馬路ゼミ論考がSFになるのはまずそう
ただまあその辺りの技術の研究にも適度に言及できると楽しそう
それを問う上で、どの様な社会を良いとするのか / それを実際問題どの様に評価するのか、という点も論じる事になりそう?
これは倫理哲学周りの議論を参照するべきな気がする
あとは、少し外れた論点として
そういうビリーバビリティ主義の社会において合意形成をしないといけない時に、その時の「手続き的正義」はどうなるのだろう、という話もある
Truthのずれを言語のずれみたいなものとして捉えて、Truthの翻訳をすればうまくいくのでは、という仮説もあったり
この辺りの関連する本を読むきっかけになると嬉しい
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ブレスト没案
技術を元に、未来の社会の話をしたい気持ち