「正しさ」の理由
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一意に絞れないとしても、議論を深めることには意味がある、と
もしかしたら二つの主張が根底では同じであるかも知れなかったり
二つの主張の両方が正しくなる
相手の主張を理解して、自分の主張を整理して、その関係や構造を理解しようとして配慮をする営みには価値がある、と
あ〜〜、これはそうblu3mo.icon
いやー、やっぱりアプリオリとか理性とか言って思考停止しているようにしか見えない
自分が主張を理解できていないのかもしれんけどblu3mo.icon
まあでも何かの善を決めつけているのは別に快楽主義などと同じか
それを決めつけないと倫理的立場にならない
功利主義
ベンサムのは測定きつくねと
ミル、質的快楽
その上で、他者危害なければいろいろ自由にすれば、色々試せてより高い質の快楽見つけられる、と
レッセフェール的進歩主義
批判: 質の定義がエリートの文化依存
選考功利主義
全人類に共通する快楽を想定していないのか
それぞれにはそれぞれの選好がある、みたいな
仮にその選好(例えば禁酒)が快楽を最大化しないとしても、その選好=願いが満たされる事に価値がある、みたいな話?
民主主義とかもこれか
これに対する批判、多元的現実を想定すれば打ち返せるのでは?
外的選考とかは外的でなくなるので問題ない
ここ強いかも
功利主義を前提とするならば、その難点も踏まえるべき
快楽主義的功利主義、「快楽を最大化すべき」という定言命法として捉えたら、義務論に包含される..? 選好功利主義、「徳」と選好を同じ物と捉えれば徳倫理学に包含される..?
評価関数が固定的に定まっていて、それに従うべき、みたいなところっぽい?
その評価関数は歴史や文化的に定まり、人それぞれだ、という主張