人生の根本的な評価関数を考えて追求したい
202301
今は202210に書いた内容とちょっと違う考え方をしている
みたいなところで、後は何を信じるかと言う問題でしかないなと思っている
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202110
人、「XXの社会課題を解決したい」とか「YYの研究をしたい」とか色々な目的を掲げがち
ただ、どんな目的を持った所で、それらは結局のところ自分の楽しさ/幸福を実現するための手段でしかなさそう
(と個人的には考えている)
↑に挙げたような目的は、評価関数の出力を高くするための解の一つにすぎない
なので、闇雲に解を探すより、根本的な評価関数がなんなのかを考えるべきだなーと思っている
i.e. 解は手段の一つでしかないのに、手段の目的化をするのはよくなさそう (ここでの「手段」は、本質的には手段である短期的な目標を指している)
何を言っているのか自分でも分からなくなってきたblu3mo.icon
↑この話は単に「ひとつの尺度に縛られないようにしよう」という話なので、行動を目的化すること(行動の理由として「幸福のため」のようにその先にあるものを意識しないこと)が悪いというわけではないかも、とも思うaxokxi.icon
逆に幸福を実現するという目的を中心にして行動を組み立てると、それぞれの行動が強い目的意識のもとに手段化してしまうaxokxi.icon
それで目的が達成されるなら良い気がする?blu3mo.icon
学歴とか収入とかにこだわるよりQoL考えよう、みたいなのも同じ話だと思う 202204
(Scrapboxに書いていたことを見返して気づけた)blu3mo.icon
しかし、プロセスの面白さのみに依存/執着するべきではないのかも
それこそプロセスに執着してしまった結果pivot出来ずにやりたい事が達成できないのも違う
(目的達成による幸福が達成されないという意味で)
やることの達成感とか、プロセスの面白さとか、色々な幸福のsourceがあるべきでは
そういう意味で、社会の良くする様な何かを目指す/成す事も幸福のsourceの一つ
これだな〜blu3mo.icon*2
「社会変革を目指す」とか「引用される論文をたくさん書く事を目指す」とか「高収入を目指す」とか「世界の霧を晴らすような生き方」とかの目標は、それぞれがゲーム(行動に対して報酬が返ってくるシステム)であると言える? その中で、自分がどのゲームに没入するか(どのゲームの楽しさを感じるか)を考える、という感じなのかな
没入 = そのゲームにおける報酬を幸福と認識する、みたいな意味で使っている
i.e. 色々なゲームの楽しさを見出すことが大事
最初の「社会課題解決とかみたいな事を目指さずに、プロセスの面白さのみを追求すべき」に戻ると、
そうではなく、①プロセスと目標両方に幸せのsourceを分散するべきで、②目指す事もさまざまなゲームに分散するべき
ということな気がする
20220629
20220712
ドゥルーズの哲学原理とか読んでいると、評価関数を固定的なものだと捉えない方が良いなと思えてきたblu3mo.icon 20220803
これ、いままで書いていた内容は結構幸福主義的な前提がありそう 一般的に「幸福」と捉えられるもののみが注目すべき評価関数の出力である、という視点