難解すぎる4つの奇書
https://youtu.be/qZkC1-p5PS4
『フィネガンズ・ウェイク』
あまりに大変な作品であることから、刊行が2カ月遅れたというエピソードが残っている。
英語による小説ではあるが、英語圏では読了不可能とされ、日本のような非英語圏では翻訳不可能とされ、世界で最も難解であると評価されている作品でもある。
以下はその冒頭。
川走、イブとアダム礼盃亭を過ぎ、寝る岸辺から輪ん曲する湾へ今も度失せぬ巡り路を媚行し、巡り戻るは栄地四囲委蛇たるホウス城とその周円。(翻訳原文のまま)
こんな感じで、訳のわからない言葉が延々と続く。
『フィネガンズ・ウェイク』は1924年から『進行中の作品』(work in progress)の仮題で複数の雑誌に逐次発表され、1939年に『フィネガンズ・ウェイク』というタイトルとしてロンドンとニューヨークで刊行された。
bookⅠからbookⅣの全4巻からなり、ジョイスの他の作品と同様にアイルランドの首都ダブリンが舞台となっている。
他に難解である理由として、原著が英語にもかかわらず小説の各所に日本語を含むあらゆる言語が散りばめられ、ジョイス語といわれる独特の言語表現が見られるため。
また英語の表現だけ見ても、「意識の流れ」の手法が極言にまで推し進められていて、言葉遊びや二重含意など既存の文法を逸脱する表現も多い。 意識の流れとは、「人間の精神の中に絶え間なく移ろっていく主観的な思考や感覚を、特に注釈をつけることなく記述してく文学上の手法」のこと。
さらに『フィネガンズ・ウェイク』は神話的世界と現代を二重化する重層的な物語構成も相まってジョイスの文学的達成の極と評価されている。
『トリストラム・シャンディ』
内容は、「主人公のトリストラム・シャンディの自伝」であるが、主人公のシャンディは全9巻のうち3巻まで生まれてこない。
ゆっくり解説によると、この作品の特徴は「脱線、また脱線」 一つのことを述べていたと思ったら別の話に変わってそれがあまりにも無駄に長く続くため、作者が何を伝えたいのかを読解することが難しい。
また、牧師の死を悼むのに真っ黒で塗られたページがあったり、逆に読者の想像のままに書いてほしいと用意された白紙のページがあったり、タイトルだけが記されてまるまる一章が飛ばされていたり、線でストーリーを伝えるなど、荒唐無稽な内容や奇抜すぎる表現手法も本書を難解にしている。
哲学者ジョン・ロックの理論を取り入れた緻密な配慮の下に語りが展開されており、登場人物の思考を無秩序で絶え間のない流れとして描く「意識の流れ」の手法を先取りしているといわれる小説でもある。 まともな小説であれば守るべき語りのルールが片っ端から破り、ありがちな小説の形式を徹底的には解することによって、小説というものが本来備えている形式を自覚させる、つまり掟破りによって掟を自覚させるところが、ロシア・フォルマリズムの批評家ヴィクトル・シクロフスキーに評価されており、「世界文学におけるもっとも典型的な作品だ」と評されている。 さらに、Webサイトに代表されるハイパーテキストの先駆けであるともいわれており、めまぐるしく脱線しながらでたらめに並べられていくこの作品を読むのは、首尾一貫した構成を持つ近代小説というよりもブログやWebサイトの記事をまとめ読みする感覚に近い。 作者が亡くなったため、未完に終わったが、全9巻を通してあの手この手で読者をかからい続けるこの作品は他にはあまり例のないとびきり奇妙な小説であることは紛れもない事実となっている。
この作品は日本で初めてスターンを紹介したとされる夏目漱石が愛した作品でもあった。 『重力の虹』
20世紀の英語圏文学の中で最も詳しく研究されている奇書『重力の虹』は、1973年に現代のアメリカ文学を代表する小説家の一人で公の場には一切姿を見せない覆面作家としても知られるトマス・ピンチョンの長編小説。 あまりにも難解すぎて、新訳の発売日が延期された作品でもある。
また、アメリカの大学生に「読んでいないが読んだフリをした作品」のアンケートの中で必ず上位に挙がる作品でもある。
アメリカ文学史において価値が高く、にもかかわらず読み通すのが困難である作品というのがこのアンケート結果からもわかる。
この作品を難解にしているのは、たくさんあるストーリーと何より百科事典のように幅広い知識が原因であるらしい。
そのため、原著だと約35万語、日本語訳だと約100万字もある作品となっている。
知識量が多すぎて作者本人までも脱稿不可能の状態に陥った、まさに問題作といえる作品。
実際に読んだことのある人に聞くと、何よりも知識量に圧倒されるという。
『重力の虹』の舞台は第二次世界大戦のヨーロッパで、その当時の流行や軍事行動、それらに関連した工学知識、特にロケットが話の根幹に関わってくるため、ロケット工学の知識が多めとなっているが、他にも文化人類学や心理学、曼荼羅にゲルマン神話、タロットや降霊術、そして経済学という知識に加えて、本来俗っぽいドラッグやポルノなども多用されている。
脚注はついているものの、その数は夥しく、脚注を読んでも正確に意味を汲み取るのが難しい。
また、発表された当時と隔たりがあるため、当時の知識を得るのも難しい上に、原著は英語で書かれているため、その英語を活かしたダジャレやスラングも多用されている。
これらは日本語では味わいつくせないものも多い。
また本作の主人公はタイロン・スロースロップという人物であるが、視点が突如として切り替わっていることも多く、段落が切り替わることもなく唐突に入れ替わっていることも多い。場所と内容で判断するしかないが、それが先ほど指摘した圧倒的な知識量を必要とするためさっぱり分からないのだという。 また、話があちこちに飛んだり、この登場人物は誰なのかだったり、とにかく頭に?が浮かぶ作品となっている。
日時と場所がはっきりと言及されないため、この出来事はさっきの出来事の前なのか後なのかそもそも別の場所かすら判断することが難しい。
他にも、この出来事が現実という保証もない。誰かの妄想ということがしばしばあって、読者はその妄想にかなり振り回されることになる。
『死霊』
日本文学で最も難解とされる『死靈』は、ドストエフスキーの影響を強く受けた作者の埴谷雄高が『近代文学』誌1946年1月号に掲載されてから約50年もの年月をかけて取り組んだ魂の作品となっている。本作は、全12章の予定だったが作者が亡くなったため、9章までしか脱稿されなかった未完の長編作品である。 途中で埴谷が腸結核を患ってしまったこともあって20年くらい中断しており、病気をしていなかったなら完成していたかもしれない。
今までの三作品とは異なり日本語で書かれているにも関わらずこの作品が難解だとされている理由は、この作品が日本初の形而上小説だから。 時間や空間の形式を制約とする感性を介した経験によっては認識できない小説のことで、超自然的超理念的小説となっている。
テーマの一つに「自同律の不快」(自分が自分であることが不快であるという概念)があり、このような形であまりにも観念的な観点で書かれた作品となっており、かつ登場人物たちが持論や妄想をひたすら話すのみでストーリー展開が遅すぎるのが本作の特徴の一つ。 だから話が一向に進まないので諦めてしまう読者が多いといわれている。
そんな本作だが、一部では神様のように崇められているだけでなく、三島由紀夫が「埴谷雄高氏は戦後の日本の夜を完全に支配した」と絶賛するなど多くの文学者に愛されたことでも知られている作品でもある。 難解だが、日本文学としての価値が高い作品を読みたい人にもオススメの作品だったりする。
イタロー.icon難解というか、わりとそれまでになかったので当時は新鮮だった。なお影響はなかなかのもので、オマージュ作品がかなりある。