意識の流れ
#心理学 #小説技法
個々人の意識の中で、思いは絶えず変化し、連続して感覚され、意識のある部分に関心を持てば、他の部分は退けられる。このような心理学の対象は、ヴントが考えたような、普遍な単位としての「単純感覚」や「感覚の連合」としてとらえられるものではない。また、「統覚」のような統合原理を持ち出す必要もない。ウィリアム・ジェイムズ(James,1890)は、心理学者にとっての第一の事実は、「なんらかの思いが進行していることである」とし、それを意識の流れと呼び、心理学の目的は、内観法と実験法を用いてそれを報告することである、とした。さらにジェームズは知る立場の自己(I)と知られる立場の自己(me)を区別した。
『心理学[第五版 補訂版]』
Wikipediaによると、アンリ・ベルクソンも時間と意識についての考察の中で、ジェイムズと同時期に同じような着想を得て、「持続」という概念を提唱している(ベルクソンとジェイムズの間には交流があったが、着想は互いに独自のものとされることが多い)、としている。
また、「意識の流れ」は文学において転用された。
この「意識の流れ」の概念は、その後文学の世界に転用され、「人間の精神の中に絶え間なく移ろっていく主観的な思考や感覚を、特に注釈を付けることなく記述していく文学上の手法」という文学上の表現の一手法を示す言葉として使用されて文学用語になった。
この手法を小説の全編にわたって最初に使ったのは、ドロシー・リチャードソン の『尖った屋根』(1915年)とされているが、それより先のジェイムズ・ジョイスの『若き日の芸術家の肖像』(1914年-1915年)にも部分的に用いられている。
『若い芸術家の肖像』
(中略)
「意識の流れ」を用いた代表的な作品としては、ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』『フィネガンズ・ウェイク』、ヴァージニア・ウルフの『灯台へ』、フォークナーの『響きと怒り』などがある。キャサリン・マンスフィールド、ドロシー・リチャードソンなどの作家も、「意識の流れ」を用いた作家として挙げられる。
日本では伊藤整が「ジェイムス・ジョイスのメトオド『意識の流れ』に就いて」(1930年)などで「新心理主義文学」として提唱し、「感情細胞の断面」など一連の作品の実作を行なった。また川端康成が、『針と硝子と霧』(1930年)、『水晶幻想』(1931年)において「意識の流れ」を実験的に用いており、横光利一の『機械』(1931年)にもこの手法の影響が散見できる。伊藤整は晩年の作『変容』(1968)に至るまで「内的独白」による技法的実験を続けた。
意識の流れ - Wikipedia