他者を支援することについて
Discordの分野自由チャンネルで提起された問題について考えてみよう……という企てのための雑記メモとして(言うまでもないですが、誰でも書き込みOK) 元々は2021/7/22の深夜にDiscordで行われた他者支援についての議論
Discordでの議論をご覧になりたい場合は、こちらをクリックしてみてください タイトルは仮。
他人の人生に関与するとは何か
みんなで考えてみませんか(考えたい人は)
テーマ1
「シンパシーとエンパシーの違いは何か」
「気持ちを理解するとは何か」
テーマ2
「是だとすれば、関与する範囲・行為はどこまでが妥当なのか」
「自己と他者との違いとは何なのか」
最初ページを分けていたが、文脈が確定しているので、ページを1つにした。
あとで分ける
まずは発散フェーズを
価値観
自分の価値観と他人の価値観
自由
他人から「かわいそう」と思われても全然平気な例
地べたにゴザを敷いている日本人をキリスト者が哀れんだ例
たしか、可哀想だなと思っても本人は
たしか、日本に来たキリスト者が
「いや、これはすぐ仕舞えて便利なんです」
出来る出来ない
出来ないことに困っているときに、それが出来るようになるよう手助けするのが支援……
出来ないけど困ってない場合
明らかに「困るべき」だとみえるのに、「困ってます」と言わず、どんどん状況が悪くなる場合
「明らかに」という自明性の判断をどういう基準でしてるの?
本人は要望を持たないが、客観的にみて、明らかに不幸にみえる場合。
自分たちの失敗の原因がわからず、あるいは失敗していることにすら気づかないでいるが、そのなかで私だけがその失敗に気づいている場合(「客観的に」が「たいていの人が見てわかる」みたいな意味ならこれは「客観的に」ではない)。
本人が困ってないなら手を出さない、という方針の是非
「将来のために〜」←怪しい。けど、そこには一理がありそう。
キリスト教
たしか、記憶だが、
マリオの例が出された。
マリオがクリアできない人への支援として
代わりにプレイしてクリアしてあげる
アドバイスして自分でクリアさせる
その他(忘れてしまった)
顧慮のところで、他人の課題を肩代わりみたいな話があった。このページと関係しないだろうか。
第60節も関係する。
他者支援において課題となる
他人に介入することは是か非か
2021/7/22深夜のVCで話されたこと
断り:パターナリズム即非、ではない。
パターナリズムからの意見
重要な問題としての「妥協」
(予告見出し)
我慢 指摘
win-winが不可能な場合、どちらかが去るのは是か非か
退職によるダメージ
人が去ることのインパクト
流動性を高める仕組み:人の出入りでダメージを受けないコミュニティ
それは非人間的なコミュニティでは?:それはまだわからない
求められた場合にのみ助けるべしという意見
パターナリズムとは対立する考え方
久住哲.iconはパターナリズム的な考え方をするので、考えたいところ
私(五番地)は断然、「パターナリズム」。あるいはお節介なオバタリアニズム。
助けを求めるのが憚られる状況や、助かりたいのに助かるのとはついつい逆の行動をとっちゃう傾向がある人とか、色々ある。
目に見える刺激(「助けて」みたいな発言とか)に依拠すれば、後でなんかあっても「助けてって言ったのお前じゃん」という責任回避ができるメリットはある。相手の発言をそのエビデンスにできる。
くま子.icon自分はこれです。助けを求められない場合など色々な例があるだろうが、助けを求めてくるまで待つ。求めてきたら手を差し伸べる。重要なことは自分にとって大切な他者と(いつでも手を差し伸べられるように)一緒にいてやることだと最近思うようになっている。
コミュニティが成り立たない問題。
技術は共有すべきだが、技術はすごく金になる。
関係ない話
ページ運用について、ページの機能の時間差
こういう風に様々なことを雑多に書いているページにリンクを貼ると、リンクが機能しなくなる
例えば、このページ自体はショーペンハウワーと関係しない。ただし、このページにはショーペンハウワーの名前が出てくるし、その箇所に限ってはすこし関係がある。
ショーペンハウワーをリンクにするのは、自分の場合は、「誰やねんそれ、何やねんそれ」と思った人がリンクに飛んで、「ああ、こういう人なのね」と分かるための予備的措置。
正確には、このページから別なページに飛ぶことは有意義だが、別なページからこのページに飛ぶことの意義はあまりに曖昧になる
2022/12/4追記:そこは曖昧でもいいだろう。曖昧ではない関連性を表したい場合は、本文にタグを書けばいい。
すなわち、あまりにも多様な内容が含まれているので、一部は別ページにも関係し、別な部分はぜんぜん関係がないということが起こる。
「じゃあ、ページ分ければいいじゃん」とすぐにはならない。今のようにがんがん思いつくままに、あるいは取材するままに書いていくときには、ばらばらなページに書くとかえって混乱する。
収束と発散とを分けないと混乱