シンパシーとエンパシー
同情と共感の違いは何かを考えるにあたり、まず、「シンパシー」と「エンパシー」という言葉自体を、両者の違いに注目しつつ、分析すべきだろう。このページはその分析を目的とする
エンパシーの辞書的意味
「他人の心の状態を理解する能力(認知的共感)」と「他人の痛みを感じる能力(情動的共感)」
関係ありそうな他の思想や思想家
キリスト教では憐憫が重要だった記憶
ニーチェ
ツァラトゥストラはかく語りきの第二部あたりで同情について書いているようだ
ショーペンハウアー
永井均『道徳は復讐である:ニーチェのルサンチマンの哲学』とかでも書いていたか
デューイの『経験と教育』では、教師は経験を準備する義務を負うとされている。
教師は、学生と同志でありつつ、学生たちの先導者であることが期待される。
上官のようなものではなく、あくまでも同志のなかのリーダー。
ポール・ブルーム『反共感論』でもここらへんの区別は言及されていた。
同情による他者の操作
同情されたくないという発想
自分の基準でと、相手の基準でと
理解を示すことは支援か
自分の基準で、だとパターナリズムに通ず
これはまた別な話か、関係はあるだろうけど
自分と他人の差を意識しつづける
重要なのは、「手を差し伸べるか否か」と、それから、「手の差し伸べ方」だろう。そして、手をどう差し伸ばすかを規定するものとしてエンパシーが考えられている。
同情と共感だったかな。
一緒に沈んでゆくようなのと
Discordでの整理を自分の言葉で整理
同情: デュナミス 基本的感情同調の
共感: デュナミス 感情の想像の
「自分という認知的枠組み」と「相手の認知的枠組み」との対比
女心がわからない……という事象について
これは関係があるかないかわからない
このページは2021/12/26に「他者を支援することについて」から切り出された
2022/10/10、Discordに「同情」と「共感」についてのコラム|aosi0104|noteへのリンクが貼られる。