理解を示すことは支援か
ギャップが大きいと「え、本当に私のことをわかってるの」と冷める
もっとも、「本当に私のことわかる」という事態が起こりうると期待している時点で、はたして現実的なのかという気はする。
しかし、「私のことをわかってくれてる!」と嬉しい気持ちなどは実際に起こることがある。
しかし、その「嬉しい気持ちを起こすこと」が支援なのかというと、そこには疑問が残る
あとは、「理解」と「その理解の表現」との差異もある。
しっかりと理解したうえで、相手を追い詰めることを目的とした表現行動(精神攻撃)をすることだってある。
同情ないし共感ばかりではなく、それの表現をセットにして考える必要があろうだろう。すなわち、「共感を示すこと」という行為に着目したほうがいいきがする。 「共感を覚えること」は「共感を示す」というコミュニケーション行動のためのひとつの参考資料ではないか。