今日のスピノザ1
はじめに〜第四回は大まかな生涯と主な著作一覧
2022.4.18
アープラ定期読書会の課題本の候補に挙げてみたら、ほんとに読みたくなってきたのでさっそく今日から読みます。
Amazonで書誌情報を見てみましたが、これはきになる本ですね久住哲.icon
スピノザオタクの人が語りかけてくる感じの文章で面白いですよ!CLAVIS.icon
このページはちょくちょく読んでます(2の方も含めて)くま子.icon
(ひぇ!)
🥳
はじめに
スピノザはユダヤ人の共同体から放逐されるのですがキリスト教に改宗する訳でもなく、あらゆる宗教からそっと距離をおいて生きる道を選びます。ここで面白かったのが、そんな中世や近代ヨーロッパ社会の常識からは考えられないような生き方を選んだスピノザのもとには、もの珍しさからほとんど面識のないような人々までこぞって会いにやってきたというエピソードです。(もちろん信仰心の厚い人からの非難もあった)
そしてスピノザと付き合ううちに彼の味方は増え、つつましいながらも貧困に苦しむこともなく生涯を送ることができ、さらに死後もスピノザが書いた原稿は散逸することなく出版されたという幸運な人だったみたいです。(生前は一冊しか刊行されなかった模様)
第一回 なぜオランダで生まれたか ースピノザの生涯1
ここではスピノザ家の来歴やユダヤ人について語られます。
スピノザは1632年にユダヤ人の家庭に生まれました。
スピノザのおじいちゃんはポルトガルに住んでいましたが、当時イスラム支配からレコンキスタを経てユダヤ人のキリスト教化政策が進んだため、おじいちゃんはスピノザのお父さんら親族を連れてポルトガルを後にします。 そして宗教への締めつけが比較的ゆるく、商人が多く集まって経済が元気なオランダに移住しました。
2022.4.19
第二回 破門にまつわるエトセトラ ースピノザの生涯2
スピノザの4人の兄弟姉妹がどの順番で生まれたかすごくオタクっぽく調べていておもしろいです。
スピノザが通ったユダヤ人学校(就学最低年齢は13歳)ではユダヤ人の教養言語であるヘブライ語の読解を学びます。
学校では全部で7つのレベルのクラスに分かれているのですが、上級クラスの学生名簿にスピノザの名前がない。
スピノザはラビになるつもりがないか、この時点ですでにラビになる道を閉ざされていたようです。 スピノザは1656年7月にアムステルダムのユダヤ人共同体から「破門」されます。
しかしながらなぜ破門されたかについては詳細不明です。
共同体からの破門通告には「劣悪なる意見および行動」とあるだけで具体的に何をしたのかわからないのです。
本のなかで破門の3つの段階が紹介されていて、「ヌドゥイ」「ヘレム」「シャムタ」のうちシャムタだけが手遅れの最終処分であり、スピノザの破門は真ん中の「ヘレム」でした。
このヘレムはなんとかして思いっきり謝れば許してもらえる可能性のある破門なのにスピノザはそれをしなかったそうです。
話は戻ってスピノザが破門を撤回してもらえる可能性がありながらあえてそれをしなかったのは、哲学の妨げるような要素を取り除いていくためで、そのような要素にユダヤ人共同体がらみの人間関係も含まれていた。つまり自ら進んで破門を受け入れていたのではないかと著者は考えているようです。
第三回 町から町へ ースピノザの生涯3
破門されたあと、1658-59年にかけてスピノザはどうやらアムステルダムのフランス・ファン・デン・エンデンという人物が経営していたラテン語学校でラテン語を勉強していたようです。
この学校のカリキュラムの特徴であるラテン語劇の影響が彼の著作のなかに現れていて、この学校で取り上げられていた演目に特有の台詞回しが見られることからファン・デン・エイデンの学校にいたことの根拠になるのではないかと書かれています。
ところで破門されてキリスト教に改宗しないうえにアムステルダムに居続けるというだいぶ変わり者だったスピノザですが、
どうやら人好きのする人物のようで、上にも書きましたがこの変わり者見たさにいろんな人が会いにきたり、手紙を送られたりしました。
ラテン語の勉強もできたし、そういう追っかけみたいな人たちから距離を置くためか、スピノザはアムステルダムを離れて、レインスビュルフというアムステルダム中心部から南西に30kmほど離れたライデン近郊の小さな集落に引っ越します。
しかし2年足らずで今度はフォービュルフに引っ越しをしています。(ここには6年ほど暮らしました)
そして1669年ハーグへ移り住み再び都会生活を始め、ここで生涯を終えます。
ところでスピノザで有名なエピソードとしてレンズ磨きを仕事にしていたというのがあります。
しかし顕微鏡や望遠鏡は一家に一台というものではないし、スピノザが書いたレンズ代の領収書などの資料も残っていないため、どのくらいこれで収入を得ていたのか、レンズ磨きだけで生計を立てていたのか、それとも大部分を理解者からの経済的援助に頼っていたのか、その両方か…詳細はわかっていません。
2022.4.20
第四回 どんな著作を遺したか ースピノザの思想1
底本について
ゲプハルト版(ハイデルベルク版とも)『スピノザ著作集』(刊行は1924-1925年)
スピノザの著作についての引用、参照指示はこのゲプハルト版の巻数、項数で行うのが習慣
フランス大学出版局版『スピノザ著作集』(1999-)
左ページにラテン語原文、右ページにフランス語訳文、ゲプハルト版の対応項数付き
現在も刊行中でまだ完成していません。2020年にようやく『エチカ』が刊行されました。
スピノザの主要著作
『知性改善論』
『神・人間及び人間の幸福に関する短論』
『デカルトの哲学原理(付・形而上学的思想)』
レインスビュルフで同じ下宿にいたレイデン大学の学生だったカセアリウスにひょんなことからデカルトの『哲学原理』を教えることになりました。それをまとめたものと、授業で扱わなかった第一部の解説、さらに「形而上学的思想」という小論を加えました。(レインスビュルフからフォービュルフに引っ越す間にしばらくアムステルダムで滞在し、この本の出版の準備していたらしい。)この本はデカルト哲学も学べるし、さらにスピノザのデカルトに対するツッコミが入っていて面白いと以前人から聞いたので読んでみたいな。 『神学・政治論』(著者いわく「裏の主著」)
『政治論』(岩波文庫では『国家論』)
『書簡集』