価値創造の思考武器
「価値創造の思考武器」~新たな意味を生み出す、未知なる取り組みへのヒント~
というタイトルで、全く新しい論考を立ち上げようと思う。
この企画の動機について
価値創造とは、新たな人工物の、発明である。
発明といえば、エジソンやドクター中松を第一想起する人も多いと思うが、ここでいう人工物には、有形無形は問わない。機械製品はもちろんわかりやすい人工物だが、絵画や音楽、小説、詩もまた人工物である。写真や映像だって人工物である。サービスも人工物だし、情報システムやソフトウェアだって、ゲームだって双六もちろん、人工物である。カレーもパスタも寿司も天ぷらも、人工物である。竪穴住居も、矢じりも、石斧も、人工物である。現代科学の諸理論や方程式も、人工物である。概念もまた人工物である。
いや、概念こそが、究極の人工物である。
つまり、この企画で立ち上げようとしているのは、発明方法論である。控えめに言っても、それはかなり、だいそれた話である。馬鹿馬鹿しいといっても過言ではない。発明方法論は、人類の永遠の夢であるが、しかしそれは、永久機関と同じで、原理的にいって不可能な、存在し得ない理論である。「必ずヒットを飛ばす発想法」なんてタイトルを見かけたら、眉唾以外のなにものでもない。
そんなことは、百も承知、二百もガッテンである、にも関わらず、それをやってみたい。
なぜか。本来眉唾であるところのものが、様々な形でビジネスノウハウとしてパッケージされ、飽きもせず日々粗製濫造されるこの現状を、憂いているのである。うまいコピーの書き方、うまいマーケティングプランの書き方、うまい事業計画の書き方、うまいITツールの使い方、うまいITプロジェクトの回し方、エトセトラ、エトセトラ…ありとあらゆる領域において、数えきれないノウハウが語られている。
そうしたノウハウを伝授することが、商売における、ひとつの類型となっている。(例えば出版というビジネススキームとして、あるいは教育研修・コンサルというというサービスとして)
筆者自身もそうした世界で口に糊する人間の一人である。その価値も重々理解しながら、それでもなお、その限界を超えられないことに、危機意識を覚えてもいる。
我々がアンチテーゼを突きつけるもの
我々は、これまで、価値創造の方法論について、随分、窮屈な理論に甘んじてきた。そろそろ、そこから自由になってもいいんじゃないか、と、思っているのだ。
どういうことか。我々の対峙(退治)すべきものとは、例えば米国東海岸流の、MBA経営学的なもの、外資コンサルティング的なものである。プロジェクトマネジメント的な文脈でいえば、ウォーターフォール的なもの、PMBOK的なものである。あるいは、そうしたものらへの、甘えである。アジャイルやリーン、Scrum、あるいは◯◯ドリブン開発とといった西海岸流のベンチャー・スタートアップ的な言説も、同じ穴の狢である。
それらの語るフレームワークは多様だが、そのメッセージは単一である。
正しく企画せよ、正しく計画せよ、正しく実行せよ、正しく制御せよ。
***
「正しさ」の息苦しさには、もう、うんざりなのだ。
未知なる価値を生み出すために必要なのは、正しさなのだろうか。この答えに、我々は、猛然とノオを突きつけなければならない。我々が持つべきものは、真善美への厳粛な畏怖の念である。それは「正しさ」とは似て非なるものである。
問題は、「正しさ」だけではない。狭さの問題も深刻である。
価値創造の方法論は、対象を狭めれば狭まるほどに、語りやすくなる。
例えば、
うまいカレーの作り方
うまいインドカレーの作り方
うまいバターチキンカレーの作り方
といった具合に、対象を具体化すればするほど、手順の表現は精度が高まる。なぜなら人間の情報摂取量には限界があり、よって、情報を構成する要素の量には限界があり、結果、語るべき領域が広ければ広いほど、そこで扱う言葉の抽象度を高めざるを得ないからだ。
「うまいバターチキンカレーの作り方」も、例えば
カレー好きの為のこだわりバターチキン
時短でできるレンジで簡単バターチキン
おもてなしのための本格バターチキン
と、状況を絞れば絞るほど、そのノウハウの厳密性と再現性は高まっていく。
この過程で得られるのは「わかりやすさ」であり、つまり「すぐに使えて便利」ということだけれども、それと引き換えに、なにか大きなものが失われている。
なにが失われているのか。
「知識」をインスタントに得ることで、「智慧」が失われているのだ。
我々が手にすべき思考武器とは、どういうものか
どうしてそんなことになるのだろう、と考えると、人間の言語的意識や記憶が、過去現在未来という、時系列を必要とするからだ、というあっけない経験的事実に逢着する。
確かに私たちが、いま現在なそうとしている行為とは、なんらかの意図や狙いのもとに、行動の順序を決定することである。そして、この順序さえ守れば、うまくいくというパターンを、つまり再現性という名の魔術を人間は、希求するのである。
そこにこそ、抗う必要がある。再現性の利用による生産性の向上、というパラダイムは、まったくの嘘である。虚構なのである。
我々は、「このやり方さえ採用すれば、このツールさえ活用すれば、ラクラクだ」といった謳い文句の欺瞞とは、もう、決別すべきなのである。生きにくい時代、息苦しい世の中、と、よく言われる。なぜか。ラクだラクだという嘘に招き寄せられ、易きに流れているからだ。低きに流れるほど、私達の暮らしは、真綿で締められていく。実は、そういうふうに、できているのだ。
では、真実はどこにあるのか?
価値創造の原理は、重々帝網であり、相即相入である。つまり、無時間的な意味の結合である。
ーーーといったところで、こうした言い方が、ひどくぶっきらぼうで、不親切であることは自覚している。しかし、言葉を使って語るとしたら、こうした言い方が限界なのだ。これ以上先に行くには、叡智を身体の内から実感するしかない。そのための、5つのアジェンダをこしらえた。
この5つのキーワードをよすがとして、思考武器としてお勧めしたい書籍を、紹介していきたいと、思っている。
一応、数字は振っているが、実は、順番は関係ない。気になるキーワードがあれば、そのリンクを、踏んでみて欲しい。