1.予感:大局観と一次情報
この小論のテーマは、予感、すなわち「価値創造の、前触れとしての、思いつき」である。
どんな価値創造だって、最初の最初は、根拠が定かでない思いつきから始まるものだ。
思いつき、という言葉がまずければ、ひらめき、天啓、霊感、あるいはインスピレーションなどと呼んでも良い。
インスピレーションが湧いた瞬間のことを、ビビっときた、頭の中を雷轟が駆け巡った、というふうに言ったりする。
きっと、それは単なるレトリックでhなく、脳神経科学的に言っても、文字通り電気的現象が起きているのだろうと思う。
それが降りた瞬間は、本当にそれが価値になるのかなんて、立証できない。
客観的に、その根拠を説明できない。
しかし、内的体験として「これは価値になるはずだ」という確かな実感がある。
予感とは、そういうものである。
そして、プロジェクトとは、その予感を、他者に対して、具体的な人工物として示していくということである。
価値創造者の資質とは、この予感を宿す能力である。
この、予感を宿す能力は、ひとえに脳内世界の豊かさに依存する。
人間の頭は、自分で思うよりも、単純にできている。いや、そもそも、人間の抽象的な思考能力とは、世界を単純化することそのものなのだ。価値創造において、単純化は諸刃の剣である。この世に新たに価値をあらしめるということは、世界に対してなにかひとつ、新たな意味を贈与することであり、そのためには複雑怪奇な森羅万象を、ひとつの世界像として結ばなければならない。
新たな人工物の価値は、実は、森羅万象の脳への写像の情報量と、比例する。
歪んだ世界観を宿した脳は、ろくでもないものしか思いつかない。
過度に単純化し、ディテールを失った世界観から出てくる発想はつまらない。
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森羅万象を理解するための第一歩は、己の身体を通じた一次情報の獲得である。
現場・現物・現人、という言葉があり、これを三現主義と呼ぶ。
人は世界を思い込みで理解している。
実際のところに直接触れ、自分の思い込みがいかに恣意的だったかに気付くことは、常に重要である。
一次情報を適切に概念化するための、情報資源の獲得も欠かせない。
概念化とはこれすなわち、抽象化である。
構造化と呼んでもいいし、カテゴリ化と呼んでもいい。
外部記憶装置に書き記すときには、それらを記号化する。
記号化することのメリットは、ひとえに演算速度の向上である。
記号化し、演算すると、世界そのものに働きかけずとも、シミュレーションすることができる。
一次情報の獲得と、その記号化による演算。
孔子はこのことを「学びて思わざれば則ち罔し、思いて学ばざれば則ち殆し」と言った。
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価値創造を志す人は、より良い予感を常に希求するものである。
ちなみに、予感、インスピレーションの反対語としては、倦怠、マンネリ、スランプ、といった言葉がある。
職業的な作家が、一時的に、アイデアに恵まれなくなった状態を、まさに、スランプと呼ぶ。
スランプを脱するためには、インプットをし直す以外にないのである。
予感を得るための、直接的な、因果的な手段は存在しない。
予感を得るためにできることは、、ただただひたすら、この世界を、より詳しく、深く、広く、知っていくことだけである。
基本的に、若くて未熟で人生経験が足りない人間には、価値創造はできない。
脳内世界が、まだ、痩せているからである。
もちろん、数学や将棋など、純粋論理の世界は別だけれども。
というわけで、以下は、世界を知るとはどういうことか、というふうに問いを立てたときに、現れるブックリストである。
生命大躍進(NHKスペシャル「生命大躍進」制作班)
気候適応の日本史(中塚 武)
流れとかたち(エイドリアン・ベジャン, J.ペダー・ゼイン他)
孫子(兵頭 二十八)
失敗百選(中尾 政之)
弘法大師 三教指帰(加藤 精神 訳註)
法華経とは何か-その思想と背景(植木 雅俊)
アインシュタイン方程式を読んだら「宇宙」が見えた(深川 峻太郎)