帝國火星曆
火星帝國の曆。日本の太陰太陽曆を基に、自轉・公轉周期の異なる火星に合せて作り替へてある。 制作した七曜󠄁表
獨自の祝祭日
道具
類似品
Darian 曆は 1 年の長さとして春分囘歸年を採用し、1 年の始まりを春分としてゐるが、帝國火星曆は冬至囘歸年を採用し、1 年の始まりを立春としてゐる。ユダヤ曆が春分を含むニサンの月を年初として以降、其の影響を受けた歐洲基督敎圈では曆は春分を基準に計算する習ひと成った。亦、天文學で火星の季節を表現する爲に用ゐられる火星中心太陽黃經も春分を基準として測る。Darian 曆の作者 Gangale 氏はローマ曆を定めた Romulus が春分のある月を年初とし軍神 Mars の月、Martius と呼んだ事に因み年初を春分としたと述べてゐる。一方東亞では、陰が窮まり陽が復する一陽來復の時とされる冬至が曆の計算の基準とされ、亦、漢の太初曆以降概ね立春を年初とする曆が用ゐられて來た。帝國火星曆は此の樣な東亞の曆に關する慣習を蹈襲した物である。 Darian 曆の置閏法 (閏年の決め方) は、火星の運行を 1 萬年分豫想した上で公轉周期の變動に合せて約 2000 年每に計算式が變更される仕組に成ってゐるが、帝國火星曆では、1 萬年分の豫想に基づいて其の期閒に日附のずれが槪ね平均化される樣な式を變らずに用ゐる仕組に成ってゐる。 Darian 曆は各月の名前としてラテン語とサンスクリット語での黃道十二宮の名を宛ててゐるが、帝國火星曆では單に序數、或いは二十四節氣の名を宛てる。亦、Darian 曆は七曜の名をラテン語で稱するが、帝國火星曆は日本語 (乃至日本語に對應する各國語) で稱する。 Darian 曆の曆元は Galileo が初めて望遠鏡で火星を觀測した年であるが、帝國火星曆の曆元は神武天皇が卽位した年である。 Darian 曆の計算に於る本初子午線は Airy クレーターを通る子午線であるが、帝國火星曆の本初子午線は帝都高天原市を通る子午線である。二つの子午線は東西に 135 度離れてゐる。 火星の公轉周期と自轉周期に基づく曆である。
1 年を日數が均等に成る樣に 24 箇月に分割してゐる。
閏日は最後の月の末日に置く。
曜日を不聯續にする事で日附と曜日の關係を固定してゐる。