仏教思想のゼロポイント
『仏教思想のゼロポイント:「悟り」とは何か』
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1章
仏教は、
2章
ブッダ曰く、
諸行は無常である
因果に依る物事
それは滅尽できる
縁起
現象は無常である
原因に依存して生起しているため
縁起の理解⇔法の理解
世間→出世間
三相
無常=苦=無我
苦=不満足
終わりなき
五蘊
コントロール不能
恣意の他律(≠自由)
欲望も無我
業は「残留思念」みたいなヤツwint.icon
癖が付き煩悩に塗れ有漏に化す
世間=フレーム
惑業苦
正のフィードバックループ
四諦
凡夫:生⇒苦
1–3: 説明
4: 八正道
これに尽きる
解脱の実現性が新規性
輪廻解脱自体は時代精神
3章
瞑想しても人格は良くならない
少なくとも世俗的な意味では
悟りも然りだろうwint.icon
仏教の倫理観
脱善悪、無善無悪
世間での善は禁止でないのでOK
自業自得を念頭に置くと悪はマズい
世俗の倫理については ゆるい
戒律
サンガ
世間に依存してるので、非難を回避すべき
無産者なので
4章
無我とは
常一主宰の実体我は存在しない(無記、語らない)
自由意思のくだりは自分の解釈wint.icon
つまり、生まれ変わらないwint.icon
cf. 輪廻転生
時代背景
我(アートマン)の追求の否定
当時へのアンチ・テーゼ
常見と断見の否定
いわゆる経験我は否定してない
無常では あるが
個体性
デフレ版の方wint.icon
現象を指す仮初めのポインターでしかない
無記の態度
出世間の実体我に ついても
無我⇒輪廻
ただの現象の連続
業がつなぐ
実体我があるなら、なぜ無常な縁生に巻き込まれてるのか?
脳による霊魂の否定の話に似てるwint.icon
輪廻 =
業による現象の継起
と言うより、輪廻しか存在してない
あるいは不可知かwint.icon
転生は一例にすぎない
名色が続く
輪廻がある以上は、自殺では解決にならない。
悪業が増えて事態が悪化するだけ。
意志という業も規定されるものでは?
e.g. 輪廻浄化
実践上の自由は事実上認めている。
(決定論を 肯定も否定も してない。)
次章
基礎概念の説明完了
涅槃ついて
5
十無記と「五蘊≠我」との関係
一見して分からない
loka
世界とは六根六境(=十二処)のこと
六識を加えて十八界
五蘊も同等
認知の分け方の違いだけ
カテゴリ
五蘊=六根=十二所=十八界
上記カテゴリーを我だと錯誤すると、形而上学になる
世界の終わり
苦の終わり
cf. 四諦
物理的に到達するところではない
パーリ語
あるなしが使えるのは世間のみ
世界の終わりは、戯論寂滅
イメージ、物語
感覚から構成されたもの
如実
ただ現象のみ
統合の中心がなくなる
世界という仮初の物語・仮象
認知作用(世界・世間)を超えた物自体は不可知wint.icon
厭離→離貪→解脱
五蘊を厭離する
六根も
十二処も
世界に流される
流れを止める←気づき (sati)←智慧
→現法涅槃
6. ゼロポイント
解脱知見
cf. 5章
解脱→(明白に)智が生ずる
智慧は悟りに至る
智慧はいわゆる思考ではない
思考ではたどり着けない
色界禅定
禅定からの変性意識は悟りの前提
禅定は智慧の前提
定(サーマディ、三昧)で超える
cf. 三学
直覚知
cf. 頓悟
cf. 禅
理性・意志でもたどり着けない
悟り
認知→涅槃: 不生不滅
不生不滅 = 生成消滅がない (その寂滅)
これが涅槃
苦 vs 常&楽
涅槃は無常ではない
しかし我 (アートマン) でもない
涅槃は無為
縁生のものではない
= 縁起によらない
テーラワーダ
悟り = 三相(無常・苦・無我)の観察→涅槃の経験 ここに飛躍がある
超越的、超常現象?
『中論』はじめ大乗仏教では(無根拠に)否定される
さきおくり vs 現法涅槃
認知自体が変わってる
別視点というレベルではない
ブッダいわく「苦は実在する」
だからこそ苦労して寂滅する
悟りも涅槃の経験も事実であろう
クオリアやイデアかはさておき
涅槃は輪廻ではない
輪廻は両立説
ゼロポイント
タイトル回収
煩悩の炎が消える
第七章
なぜブッダは死ななかったのか
原点から仏教になったわけ
≠ 優しさ
特に捨⊂四無量心
悟りが必須
なぜ覚者が慈悲を行うのか
梵天勧請
睡蓮の例え
あわれみを見て取れる
開教を決意
不死の門
望みある者たち
ただし、一切衆生ではない
→ブッダの布教には裁量があった
つまり必然性がなかった
慈悲と智慧の乖離とその両立という難問
前提としてる「慈悲の実践の意味(無意味)」は戯論
さながらメタ発言。しかし、物語の世界からは出れてない
「無意味」と言う時点で意味が暗に作られる
バイアスでしかない
(意味と物語への)煩悩を寂滅せよ
なぜ慈悲や利他行為(利他行)をするのか?
∵
自身への執着がない
= 自身の存在も公共物に等しく思える
覚者の認知
生々流転する世界が存在する奇跡
純粋な楽しみ
存在を楽しめる
ref. 自然賛歌
純粋さ
∵愛憎遠離
→ わざわざ自殺することもない
仏陀も自死しないwint.icon
三昧、 サマーディ
ただ助ける・利他行
捨である慈悲
真剣である
つまり独覚・縁覚もありえる
cf. 初歓喜地(大乗仏教)
→ 一切衆生
vs 梵天勧請
やはり智慧と慈悲は独立
多様性
原因?
やはり遊び
三解脱門(空・無相・無願)
戯論から見ると、新しい物語
梯子、筏、方便
仏教の基準
覚者、戯論の外の視点持てるか
常楽境
本質
解脱したのに、あえて物語に関わる
関わりかたも多様
第8章
余談。ダイジェスト。点綴。概歴。仏教史。
大乗仏教とは?
矛盾?
入滅すら方便に(法華経)
なぜ仏教のフレームに拘る?
本来性 vs 現実性
by 荒木見悟
例の多様性
世間 < 出世間
これが元
やがて分派
方便行を優先
バリエーション
無限遠の成仏
区別無効化
逆転現象
下の3レベルを参照
出世間諦の重要度が下がる
分別もなくす
禅の話
唐代
宋代
公案
いわゆる禅問答
いまの上座部仏教
ミャンマー仏教
ストイックな瞑想経験
タイ仏教
日常の状態
cf.
臨済宗と曹洞宗
スペクトラム
下を参照
特定の正誤はない(だろう)
おわりに(あとがき)
再確認
非人間性は否定しない
涅槃こそが覚者の原動力になった
割愛
十二因縁
悟りの段階
四向四果
───
自己流まとめ
これも同じく自分の解釈wint.icon
転生は輪廻の一例
現象の継起のプロセスとして、生起し続けているもの
解脱とは無為の経験の知覚によって涅槃に達すること
まずは物語(戯論、分別の相)を知覚して止める
涅槃に至れば根絶する
テーラワーダ
3つの認知レベル
table:3levels
2 1 0
世俗 世間 出世間
世俗諦 勝義諦 勝義諦
現実性 本来性 本来性
テーラワーダの認知レベルの分類
真俗二諦
世俗諦
常識、間主観
物語のコンセンサス
勝義諦
世間諦
心、心所、色
如実知見
出世間諦
涅槃
宿題
悟りのメソドロジー
再現性はともかく、行動レベルで具体化できてないようだ?
記述の不可能性
慈悲の実践
我欲と意欲
本来性と現実性のスペクトラム
勝義諦 vs 世俗諦
仏教のコアは失われてない
ゼロポイントは共通してる
あの風光
大乗仏教は龍樹から
中論から
カントのような自由は論じれない?
注釈参照
table:用語集
用語 類語 現代語訳
涅槃 浄土 如実の風光
無為 不生
悟り 現法涅槃 漏れが塞がる
戯論 分別の相 物語の世界
苦 四苦八苦
煩悩 渇愛 苦悩をうむ本能的な性向
羅漢 覚者 悟ったひと、解脱者
キーワード
四顛倒
錯誤