井戸端に書き込む前に個人projectで独創しようかな
思いついたことを井戸端に書き込むか、それとも自分の個人Projectに書き込むかでちょっと迷う 迷う時間と労力が無駄なので、スパッと切り分けたい
個人と井戸端でプロジェクトが分かれている状況をやめたいですよねえ。個人が公開だと特に。。
↓こういう込み入った話は、一旦自分のprojectで思考を練り練りしてからこっちに書き込んだほうがより充実した会話・対話ができそう もちろん、scrapboxなら後からいくらでも会話を蒸し返せるので、最初あんまり良く考えずに書き込んだって構わない それなりに思考を練ったものを共有したい
これは少々危ない考えかも
+1nishio.icon
最初から中身の充実さを求めると、参入障壁がべらぼうに高くなる
あと井戸端に溜まったページ同士が化学反応を起こして新たなアイデアを生む可能性がある
これが結構大きい
ではこちらには直接書かないのかと言うとそうでもない
まさに雑談に適した話題はじゃんじゃん書き込む
他の例
他者とのやり取りが必要なもの
迷ったら書けの精神で基本は良い気がするけど、
書くのに多少躊躇したり、場を乱してしまわないだろうかと心配になったりはするudonn.icon
最低限のモラルさえ守れば後は書いてから考えればなんとかなる たぶん
いくらか書いたり、場合によっては日をおいたりして、やはり多人数Projectに書き込みたいと思ったときに書き込めばいい ただ、このページの論点とはずれる
一方でこのページで議論されてるのは「まだ明確に言語化されてない思考を言語化する」話
この二つは別物
言語化をする時に一人プロジェクトに書くか、多人数プロジェクトに書くか
どっちでもいい感nishio.icon
「一人プロジェクトでやるべき」はアウトプットに対して不必要な制約を増やすので良くない感 一人プロジェクトを主に使ってるnishio.iconでも、よく観察すればしばしば「Facebookで書いてから転載」「Twitterで書いてから転載」のパターンがある
どういう時にそうしてるのだろうか、少し考えてみる
ある程度まとまった分量の文章が自分の中にない時に、区切って送信する感覚が欲しくてやってる?
いつでも自由に書き換えられるScrapboxみたいな文房具と違って「少し書いて送信したら変更できない(or できるけどちょっと手間)」な文房具を使うことによって「推敲しすぎること」を妨げて強制出力させてる?
他人のレスポンスはそれほど求めてない気がする
ツイート連投できる程度には書くことがある時に使われる
それすらもない時
「〜をどうしたらいいのか考えを整理したい…」
ほぼ一人プロジェクトsta.icon
自分の好きなように書ける(書く際のノイズが小さい)ので書きやすい
が、これをこじらせすぎて「他人が理解できる文章や主張」を書く感覚が鈍るというデメリットが目立ってきた
多人数プロジェクトやSNSも使えるようにしたいところ。。。
これとは別に、多人数プロジェクトに出すべきか迷うものがあって、まだ答えが出ていない
(本来なら頭の中でこねるべき)断片 ← これ
私は全部外に書いてそれ見ながら考える派だが、そういう断片はさすがに他人から見たらゴミではないか
何かを作成する過程が見えるのは結構うれしいtakker.icon
完成品だけ出されても、どのような手順で作ったかがわからないと応用が効かなかったりする
数学書で特にその傾向がある
……みたいなことで悩んでしまって、「もうじゃあ一人プロジェクトでいいか」と倒してしまいがち
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