エゴに依りて、エゴより旅立て
あるいは、「知的生産はエゴから始まる」。rashita.iconの言葉。
自分が何か考えたことを、他の人に知らせようとするとき、そこには拭いがたいエゴの働きがある。そして、それは基本的に望ましいものである。
いやいや行うのではなく「オレの歌を聴け〜」の方が魂が込められている。
学者の活動なども、基本的には本人の知的好奇心を駆動力にするものであり、エゴイスティックなものが一切含まれていない、ということは考えにくい。
しかし、そうした研究も、他人にその成果を伝えようとするならば、他の人にわかる形を取らなければならない。論文もフォーマットに沿っていないとリジェクトされる。そこは「何でも良い」というわけにはいかない。
だから、二つの指標を持てばいい。
徹底的に個人的な動機、個人的な手法
他に開かれた説明、成果物の生成
どれだけ役立つ物事であっても「オレって凄いんでしょ」と言いたいだけの説明は受容されない。説明の構成においては、そのエゴは漂白されている必要がある。しかし、知的生産の内的な部分は「オレって凄いんでしょ」が含まれていたって全然構わないし、その方が他にはないものができ上がる可能性が高い。