「やさしい世界」への嫌悪感
from 2024/05/08
「やさしい世界」への嫌悪感はちょっとあるなbiwa.icon
どんな行為も褒めてしまうと、褒め言葉が無価値になってしまう気がする
だから、褒めるにあたっても線引きを設けたい
外に出る という行為も、人によって難易度は全然変わることは留意しておく必要がある
普通の人にとっては、日常的で当たり前の行為
うつ状態にある人にとっては、かなり難しい行為
鬱状態の程度によっても、ここの難しさの幅がかなりある
ある行為が偉業に値するかどうかって、行為そのものではなく、その人にとっての行為の難易度に依存しそう
本当?もう少し考えたい
目標の達成ができたかどうか、も大事じゃない?
外に出ることは、1時間の散歩の過程かもしれない。
散歩を達成した時に偉業と言いたいbiwa.icon
「偉業」って言う側もエスパーじゃないので、そんな「俺の心地良くなる褒め方をしろ」的なことを言われても無理なのではnishio.icon
確かにbiwa.icon
説明を加えておくと、上の2行は僕が偉業と言う側に立った時の話をしている
内心は観測不能takker.icon
相対的な評価語ってことかtakker.icon
「やさしい世界」においては、日常生活で普通する行為すらも偉業と行ってしまう世界
外出、出勤、講義に出る、洗濯機を回す、シャワーを浴びる
通常の人にとっては全く苦にならない行為
側から見るとなんでも褒めていてやさしい世界に見えるけど、これが偉業になる本人は日常生活を送るのが苦しい状態にあり、むしろ厳しい世界なんじゃないか
これでほめられてもな、、という気持ちになることもあるcFQ2f7LRuLYP.icon
その方が健全な気がするbiwa.icon
よくある(井戸端の話じゃないです)はるひ.iconcFQ2f7LRuLYP.icon
普通できない行為を達成した場合超スーパー偉業になるだけなのでいいことではteyoda7.icon
と思ったけど自分で言ってて違うそうじゃない感がすごい
他人が偉業と褒めることによってある行為に対して感じる難易度が変動するわけじゃないと思っているからピンときてない
シャワーを浴びるのが苦になる人が先にいてその周囲に褒める人がいるかどうかの違い
「まさしく偉業だ」と言えることに対して、偉業と言いたいし、偉業と言われたいってことなのかもbiwa.icon
これでほめられてもな、、という気持ちになることもあるcFQ2f7LRuLYP.icon
評価の不一致があると、なんだか不快
職場で過剰に期待されてたり、逆に軽く扱われてたりすると
不快ではないがもどかしい気持ちになるtakker.icon
要求水準を高く解釈 / 勝手にハードルを上げてるて、こんな出来で単位もらっていいのかと思う
もどかしいの方が確かにしっくりきていい表現かもbiwa.icon
偉いほうが良い という価値基準が身につくと褒められない場合に偉くないから自分は駄目なのかって思う可能性はるひ.icon
外発的動機づけとかと紐づけてなんか言えそうbiwa.icon
Teacher Teacherは番組内でめちゃ褒め合ってて、それでも成り立つんだなーと思った聞いてるinajob.icon
優しくない世界と比べればやさしい世界の方がより良いと思っているし、自分はやさしい世界を目指す側の人間であると思うが、たまに嫌になることはあるcak.icon
自分に甘すぎる人間に対するいらつきとか簡単すぎることに対して褒められると馬鹿にされているように感じることがあることと何か関係している気がする
嫌になった時は自分側の調子が良くないのだなと思う
過去の自分との差分を褒められると嬉しいSummer498.icon
差分を褒めるにはちゃんとその人のことを見て、覚えておかなければならないので、
ちゃんと自分のことを見て+覚えてもらえているという感じの自己肯定感が育まれる
スートフル
無条件に褒めるやり方は相手のことを見てなくてもできるので、嬉しくならない
YouTube のオススメ欄に犬猫の動画が上がってきたときも似た気分になるな
「コレ勧めといたら再生してくれるんでしょ」って思われてる感じ
「取り敢えず褒めたらいいんでしょ」と似てる
これ雑談テクニック基素.icon
自己肯定は無条件にするものと真逆の構造で興味深いtakker.icon
自分でほめるのは無条件でいい
他人がほめるときは差分をほめる
自己肯定は無条件にするけど条件分岐で自己肯定の仕方を変えると思うSummer498.icon
良い差分がある時
人を褒めるのと同様、自分の成長=差分を褒める
ないとき
次がある!みたいな感じで慰めつつ未来を見る
自己肯定の解像度を少し上げるとこんな感じになりそう
差分有り無しで分岐すれば統一できそうtakker.icon
てことは差分がないときに他人がほめるときも、「次があるさ!」と未来を見る声掛けをするならあり?
おっと、これは落ち込んでいる人とかを励ます言葉としてよく使われるやつだ
んー?真逆の構造なんてことあるか?何か間違えていそう
「ほめる=肯定」とみなしているあたりが怪しそう
加油.iconとほぼ同じ意味合いで褒めるコマンドを使うことがあるかもcak.icon
野菜食べててえらいと言われたホリエモンが怒った話とも近い気がするbiwa.icon
野菜は健康のために食べるもんじゃなく、美味しいから食べるもんなんだよ。
野菜は美味しいから食べるの!!
褒められて嬉しくないの、若さなのかもしれなくてsume.icon
みんな70歳くらいになったら全部嬉しいよきっと˙ᵕ˙
基本的に嬉しいけど、無条件の褒めは嬉しくないbiwa.icon
そうなんだ、難しいね˙ᵕ˙sume.icon
難しいbiwa.icon
おもしろいはるひ.icon
褒められて嬉しくないのは若さによるもの説
もうちょっと僕の中の「やさしい世界」がどう言うものかを語ったほうが良かったなと反省しているbiwa.icon
褒める行為自体は否定しないし、むしろしたほうがいいと思っている
あとで自分のScrapBoxプロジェクトの方でまとめたい
先に結論を書くと、何も考えていない状態だったら僕は嫌だと感じそう
井戸端がやさしい世界だとは思ってない
/e6219880/「やさしい世界」への嫌悪感
人と話したら,それって心理的安全性で説明できるよと言われたbiwa.icon
相手が傷つくことを恐れずに何かを言える状態
別に相手が傷つく発言を好き勝手にしていいというわけではない
しっくりきた
関連
インポスター症候群
主観価値