心理的安全性
この言葉使っているけどよく分かっていないyosider.icontakker.icon
nishio.icon/nishio/Psychological Safety and Learning Behavior in Work Teams
心理的安全性と呼ばれる概念に言及している1999年の論文
GoogleのProject Aristotleからも言及されている
心理的安全性の定義: a shared belief that the team is safe for interpersonal risk taking
日本語訳は「チームに、対人関係のリスクを取っても安全だという共通の信念があること」?yosider.icon
Google re:Work - ガイド: 「効果的なチームとは何か」を知る
心理的安全性とは、対人関係においてリスクある行動を取ったときの結果に対する個人の認知の仕方、つまり、「無知、無能、ネガティブ、邪魔だと思われる可能性のある行動をしても、このチームなら大丈夫だ」と信じられるかどうかを意味します。心理的安全性の高いチームのメンバーは、他のメンバーに対してリスクを取ることに不安を感じていません。自分の過ちを認めたり、質問をしたり、新しいアイデアを披露したりしても、誰も自分を馬鹿にしたり罰したりしないと信じられる余地があります。
「利他的な行動至上主義」という言葉で理解しているsta.icon
皆が(自分ではなく)チームのために行動するということ
たとえばチームがやばいなら(自分が嫌でも)残業もする
これをするためにはチームのビジョンを決めて、皆が納得してそれ目指そうってする必要がある
チームのビジョンを正義にする
正義のために個を殺して協調する
これは違うんじゃないかなtakker.iconhata6502.icon
説明できなくて申し訳ないですが、直感的になにか違うように感じた
どうなんでしょうね(利己的人間のsta.iconが穿った見方をしているところはあるかもしれないです)
「残業するのは嫌です」と気兼ねなく言える状態の方が心理的安全性があると思いますnishio.icon
ビジョンのために自分の意見を言いづらい状態、自分らしく行動することが妨げられている状態は「心理的安全性がない」と思う
(自分ではなく)チームのためではなく、自分のこともチームの一部として大事にする?yosider.icon
チームのビジョンの内容次第な気がします。hata6502.icon
皆が納得できるビジョンを掲げることは難しい。
できたとしても、皆の共通部分をくくりだしたビジョンになってしまうのではないか。
よくよく考えたら当たり前な内容。行動規範
ここ疑問ですyuki_minoh.icon
「皆が納得できるビジョンを掲げることは難しい。」「できたとしても、皆の共通部分をくくりだしたビジョンになってしまうのではないか。」で立ち止まってしまうのは心理的安全ではない気がしています
共通部分を広げていくにはどうすればいいか?の方が心理的安全性のニュアンスに近いと思います
違いを認めた上で、一致できる部分を増やしたり見つけたりしよう、そこに寛容になろう、みたいな
んー、実際yuki_minoh.iconの独自解釈に近いかもしれませんが、Google re:workの内容を実践しようとするとこの考え方になる気がしているyuki_minoh.icon
たしかに。「チームのビジョンの内容次第」は間違いで、ビジョンが変化したり拡大できる環境が重要な感じがしてきました。hata6502.icon
「皆が納得できるビジョン」や「皆の共通部分をくくりだしたビジョン」は固定されてしまっていて、状況に応じて変化できないことの現れな気がしてきた。
たとえば OSS で見かける Contributor Covenant は、固定しやすい代わりに、共通部分をくくりだした感。
めっちゃビビッときたyuki_minoh.icon
とてもいい解釈なのではyuki_minoh.icontakker.icon
行動するということ
手を動かして成果を出す
行動によって示す
ドッグフーディングをする
「役に立つ」ことをする、と表現されている
仕事を行う特定のチーム内における概念であって、誰にでも当てはめられるものではない
心理的安全性のつくりかた 「心理的柔軟性」が困難を乗り越えるチームに変えるベースですが
僕は「心理的安全性の定義」と「心理的安全性を担保するための手段」を混同してたようですsta.icon
定義自体はnishio.iconさん言及のとおり、エドモンドソンのものが一番正確(というよりオリジナル)だと思いました
手段の話
「利他的な行動至上主義」という手段
心理的安全性のつくりかた 「心理的柔軟性」が困難を乗り越えるチームに変えるが出してる結論
をsta.iconが一言でまとめたもの
が、(既に指摘いただいたように)あまり心理的安全性よろしくなさそう
ビジョンに縛られて自分を出せない
そもそも縛られないようなビジョンつくれるの?問題
チームのビジョンを正義にする 正義のために個を殺して協調する
この辺がたぶんsta.iconの拡大解釈そうだなぁ……
他にどういう手段があるのだろう
「自分の行動に対して相手がどう反応するか」の経験を積み重ねて作られる /nishio/Psychological Safety and Learning Behavior in Work Teams#5cbffca7aff09e00008e9d53
これをどう担保するか、と言い換えることもできるか
とりあえず「皆が好き勝手に主張する」では破綻しそうってのはわかる
以下あたりも混同しているとわかったsta.icon
A ビジネス上の目的を達成すること
B 発言できること
心理的安全性はここ
発言できる=こういう発言してもこのチームならちゃんと大丈夫だ(対人関係のリスクを取れる)
対等に扱われる感もおそらく含まれる
逆に大丈夫じゃないと発言できない(というより意味がない or 害があるのでしなくなる)
C 発言したことが採用されること
ここは心理的安全性のスコープではない
「残業するのは嫌です」を気兼ねなく言えると心理的安全性が高い
が、その先の、実際に残業を回避できたかどうかは関係しない
「残業やることになっちまった。。嫌だと言ったのに……。心理的安全性が低いぞ!」ではない
「よっしゃ残業回避できたぜ。俺の要望通るから心理的安全性が高いぜ」でもない
門前払いされず、残業の可否を真剣に検討してもらえることは大事な気がするyosider.icon
結果というより、結果に至る過程の話?
対等に扱われていると思えること
たしかに。上記に反映sta.icon
で、つくりかた本がA+B+C全部扱っているから、A+B+Cひっくるめて心理的安全性だ、とsta.iconは捉えているっぽい
「心理的安全性」の単語だけでも説明的なので、単語から意味を推測してしまいやすいです。hata6502.icon
Google re:Work - ガイド: 「効果的なチームとは何か」を知る
心理的安全性とは、対人関係においてリスクある行動を取ったときの結果に対する個人の認知の仕方、つまり、「無知、無能、ネガティブ、邪魔だと思われる可能性のある行動をしても、このチームなら大丈夫だ」と信じられるかどうかを意味します。心理的安全性の高いチームのメンバーは、他のメンバーに対してリスクを取ることに不安を感じていません。自分の過ちを認めたり、質問をしたり、新しいアイデアを披露したりしても、誰も自分を馬鹿にしたり罰したりしないと信じられる余地があります。
この定義だと、まだ直感的に分かりづらいかもしれない。
具体的な例があった 心理的安全性を高める
互いの人格を尊重しあっていると信じられるということ?yosider.icon
互いに議論に誠実であることも?
「良心」を持っている的なことも?
独立なのかわからないが
これだと思っているcak.icon
AがBの意見を辛辣に批判して、BがAを「辛辣ですねw」と言い、AはBに「辛辣ですねぇw」と返せる(そして後腐れない)ような関係のことかなあ、とふと思ったseibe.icon
マサカリを投げるだ
cak.icon
例えばチーム内で現在の方針に対して批判的と取れる発言をした時、
ハブにされる、無視される
陰口を言われる
等の環境は心理的安全性がない環境であるといえるという理解