「やさしい世界」への嫌悪感
そもそも「やさしい世界」って何?
どんなことでもとにかく褒める/良いと評価する
評価する際には、「偉業」「いいね」等の言葉が用いられがち
批判をしない
僕の嫌なやさしい世界の例
何にでも(悪い言い方をすると,適当な言葉で)褒める
「呼吸してるだけでえらい!」
「生きてるだけでえらい!」
実際,生きてるだけでもすごいんだけど,なんかモニョるなと毎回思う
「生きること」を他者が評価していることへの納得のいかなさにモニョっていた
作品の悪い点を評価することが許されない
「作品AはXXの描写が甘くて面白くない」
このコメントに対して,「作者を批判するな!」というコメントがたくさんつく
「そう言う考え方もあるよね」と言うコメントがつく
後に記述する
初心者がプログラムを書いたことに対して,「えらい!」「いいね!」とだけ言って,汚いコードに対するアドバイスをしない
「このプログラムはあまり綺麗じゃないから,こんな風に改善した方がいい」と言うことがはばかられる雰囲気がある
反論が許されない
思想Aに対して,相反する思想Bを持ってる人が「そう言う考え方もあるよね」と言う
思想Aへの反論を述べることが,はばかられる雰囲気がある
僕にとっては,言論を縛られてる非常に厳しい世界だなと思う
「やさしい世界」は評価の仕方が何かおかしい
悪い評価がはばかられ,良い評価しか許されない
良さは本来優劣のもとにあるはずなのに,劣がなくて,全て同等の価値になる
結果として,そこに良さは存在しないように感じる
優劣がないから
良い評価も,同じ様な言葉ばかりになる
「やさしい世界」は対話が発生しない
反論が許されないから
「やさしい世界」はその世界への反論が許されないので,何も言えないという性質も持っている
「やさしい世界」は改善の方向に向かっていかないのではないか
良さの方向性がわからないから
悪い点への言及が難しいから
理想の世界をお互いにぶつけ合ってより良い世界が出来上がっていくんだっつってんの!
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