Gutmann&Thompsonの熟議モデルでいわれるところの、公共的な理由提示のプロセスや、参加者の選好や考え変更可能性の確保がどのようになっているのか、という点を個人的に興味深くウォッチしている(terang)
Gutmann&Thompsonの熟議モデルでいわれるところの、(実際の言説自体ではない)公共的な理由提示のプロセスや、参加者の選好や考え変更可能性の確保(さらにはその変更があったとき集計されるデータへどのように反映されるのか)がどのようになっているのか、という点を個人的に興味深くウォッチしているterang.icon あと、広聴AIによる重要論点選びは、新たな非決定権力とならないかという懸念が浮かんだ 総じてこのフォーラムは、競争的なシュンペーターモデル民主主義の延長で、deliberative democracy 的ではないけども、「熟議」という語だけ持ち込んでいる感じなのかなあ? このフォーラムは、競争的なシュンペーターモデル民主主義の延長
どういう意味ですか?&どういうところからそう思いました?nishio.icon
あー、言葉足らずですみません。これは「そうか?」の仲間でした。nishio.icon もっとわかりやすくいうなら「僕はその意見に賛成してないのですけど、どうしてそうだと思ったのかをまず説明していただけますか?そもそもその言葉の解釈自体に揺れがある可能性も危惧しています」とかいうべきでしたね。nishio.icon
確かに、議論を空中戦にしないための良い問いかけな気がしますblu3mo.icon
GPTの説明もいい議論の発展になってるんですけど、それはGPTの勝手な解釈であって「どうしてそう思ったか」の掘り下げにはなってないなと思うわけですnishio.icon
GPT解説の④政治家が世論を収集・利用し、自分たちの意思決定を正当化するための道具として使っているだけではないかと疑問視までは思ってなかったですterang.icon
(そのほか①–③の内容には違和感なし)
Googleスライドのたとえば議論すべき議題を投票などから、1man1vote(あるいはQV的であっても)選挙の仕組みがSNS上等からの声を元にした競争の原理に則っているように自分には感じられ、手前で書いていた(特に理由提示と変更可能性などの)「熟議」の特徴はどこにあるのだろう?というコメントでした。
でもそのコメントも、下のblu3mo.iconさんの解説で少しずつほぐされつつあります。
なおハーバーマスの2回路モデルの実践は、むしろGoogleスライドから取り組みが理解できたので、繰り返しになるけど選挙のときだけエリートが説明責任を果たすための道具に成り下がるとまでは考えていません。
いまググって出てきた関連しそうな文書(そんなに熟読はしてないですが)
良い問いだと思うので後で打ち返します!blu3mo.icon
1個1個分解して打ち返しますblu3mo.icon
ありがとうございます、全部に一度にお返事できるかわかりませんが断片的にレスしていきますterang.icon
参加者の選好や考え変更可能性の確保がどのようになっているのか
広聴AIは「人々から意見を吸い上げて政策立案に活かす」 いどばたシステムは「人々が色々なことを言う -> 意見集約&整理 -> 人々がそれを見てさらに色々なことを言う」というフィードバックループを回そうとしている
https://gyazo.com/4a33b3bdcd3f7634c890a6a3564bcbd5
ここの部分の黒矢印が双方向なのはそういう意味
このフィードバックループによって、「参加者の選好や考えの変更可能性」が確保されてほしいと思っている
具体的にどのように双方向のフィードバックループを回すのか
例:グラフィカルに論点提示
https://pbs.twimg.com/media/GmM2YxXaIAAZWH-.jpg
例:チャットシステム
整理された論点をもとにAIが議論に付き合ってくれて、自分と異なる立場を提示してくれる
https://gyazo.com/7f23dbac8812988a0caff6c239e4c398
それぞれ開発中なので、やりたいことを汲み取ってもらえると!
この2つは僕が今日気合いで開発して安野さんのTwitterで実験しますblu3mo.icon
公共的な理由提示のプロセスがどのようになっているのか
ある程度は色々な方法で「公共的な理由提示」に誘導できると思う
例:チャットシステムがある程度は掘り出せる
https://gyazo.com/ca0a935b55aa84adc6e2d515d3a704bb
こんな感じで、SNSで雑なことを言っている人に対してAIがリプを飛ばすイメージ
例:Discourseにて人間ファシリ/AIファシリが頑張る
ただ、根本的には、「良い熟議」と「スケール」はトレードオフの関係にあると思っている。 「100点の熟議を1億人でやる」のは多分無理
なので「熟議モデル」に完璧に沿ったものが作れるとは思っていないですblu3mo.icon
ただし、「80点の熟議を100人でやる」とか「20点の熟議を1億人でやる」のはできそう
今の政治システムをめっちゃ雑に記述するなら、「713人の熟議(国会)」と「1億人の意志」が投票行動で接続されている?
(うーん、この記述は違うかも)blu3mo.icon
(国会、あんまり熟議してなさそうでウケる)(713人いても党派のせいで実質的な独立意見成分が減少してしまっている)nishio.icon 強行採決は熟議できていない証拠とも言える基素.icon その上で我々が目指しているのは、
① 80点の熟議を100人でやりながら、20点の熟議を1億人でやる。
前者がDiscourse、後者がSNS等
SNSの幅広い意見がDiscourseに流れる
Discourseの深い熟議がSNSに流れる
ここでなめらかの概念につながるの興味深いtakker.icon 言語偏重への懸念
設計はむしろこれを避ける方向を目指しています
言語以外のどんなモダリティも拾う余地のある設計にはなっていると思う。現状広くはカバーできていないが、やっていきたい。
従来型の熟議は、「人の話を聞く」のも「自分の意見を言う」のも一つのモダリティを前提としていた いどばたシステムは、幅広いかたちで参加する前提
10pの論点整理レポートを読んで、Discourseに長文で意見を書いても良い
YouTubeの論点整理動画を見て、コメント欄にカジュアルに感想を書いても良い
現状オンライン偏重になっているのは良くないと思っていて、もっとオフラインのモダリティも巻き込む方法も探っている
各大学の土木工学科の交通系の研究室で市民参加の研究をしているところなら、実証実験的に市民を巻き込むノウハウがあるかもですtakker.icon
例えば理科大土木の寺部研
agree. ここは従来の市民参加の研究や実施を行っている人々と一緒にやったほうがよいと思っているblu3mo.icon
広聴AIによる重要論点選びは、新たな非決定権力とならないか これについては二つ言えることがあって、
① 理想的には、恣意性を挟む余地のない設計を目指したい
ここには「設計のシンプルさ」と「処理の高度さ」のトレードオフがあると思っている。
「多数決」とか「Polis」のようなシンプルな設計だと、恣意性を挟む余地のないことがわかる 一方で、LLMを使って複雑な処理をやりだすと、その余地がどんどん広がっていく。
e.g. プロンプトでバイアスを強めるとか
idobata-analysisも、「恣意性を挟む余地のない設計」をできる限り目指したいと思っている
「良い論点」を、シンプルかつ明瞭なアルゴリズムで選びだす仕組みを考えている。まだ仮説段階。
② 短期的には政党に使ってもらうことを想定しているので、ある程度の非決定権力を持てることは運用者にとって好ましい
これはそんなに悪い話ではないと思っている
政党それぞれ「この論点について人々と議論を深めたい」みたいな気持ちはあると思うので、それを反映できるのは良い
今は「完全なニュートラルさ」よりは「実際の政治における実用性」に振った方が良いフェーズだと思っている
ミニパブリクスの期間に使われるオンラインフォーラムにもなるかもと、ここ読んで思いました。オフラインのモダリティも巻き込むのにも寄与しそうですしterang.icon
(それともそのような包摂の仕組みや制度は、従来型の熟議なので共存しない感じですかね)
「従来型の熟議」と共存できる、共存したいと思ってますblu3mo.icon
「従来型の熟議は選択肢が一つだが、我々はたくさんの選択肢を作りたい」と言っているので、元の選択肢も当然否定しない
「従来型熟議と共存しなそう」と思った原因となる記述などがあれば知りたいですblu3mo.icon
ありがとうございます。基本的には「共存しそうだな」と僕も感じているのですが、(いただいたコメントでほぐされつつありながらも)「選好集計モデル的である」という自分の印象がまだ拭えておらず念のため確認したかった次第でした。terang.icon たとえば1億人で行われる20点の熟議にlegitimacyがあるのか、という論点
これはおそらく、ある/ないで結論は出ない話で、「認識的な正しさ」や「参加とは?のようなrepublicanismの視点」も入り込んでくると思われる
競争的なシュンペーターモデル民主主義の延長で、deliberative democracy 的ではないけども、「熟議」という語だけ持ち込んでいる感じなのかなあ? いや、僕は熟議民主主義がやりたいですblu3mo.icon
とはいえ現実世界にデプロイする上での制約はいろいろあるので、そのトレードオフの中で最良の方法を探っている、という感じです!
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みかけたblu3mo.icon
要点1:
要点2:
これまで熟議民主主義論者たちが、その正統性をいかに担保するかに心血を注ぎ、制度化を試みてきた概念が熟議。 しかしこの知的営みは無視され、単なる意見集約システムに「熟議」の名が冠せられる。
これに関しては仰るとおりすぎて、ごめんなさい!という気持ちblu3mo.icon
諸々の制約条件の中で、自分/我々の能力で現実的に今実現できたのがここまでだった
(という応答はどう映るのだろう..?)
(理解はまだまだ浅いが)現状のみらいいどばた会議が伝統的に定義している"熟議"ではないことは理解しているつもり
vTaiwanはもう少しterang.iconさんが望ましいとする熟議に近いと思います
オンラインでの意見分布可視化(Polisとか)はvTaiwanのピースの一つでしかなく、彼らはその前後に対面の古い熟議もやっている
いどばたもPolisと同じようにピースの一つとして使われればいいと思っている
(いどばたを無作為抽出の熟議制度と組み合わせたり、人と人との全人的な関わり合いの意見変容と接続したり、あるいはAIを媒介として人と人との全人的な関わり合いの意見変容を作るために今色々動いている)
このあたり、活動の見え方の違いがある気がした
自分(+ おそらく多くのみらい関係者)は、これを「わからなさの中でゴールイメージも手段も探り探りやって、10点を30点にしているプロセス」だと思っている。
ゴールイメージ(100点)がなんなのかも含めて探り探り
が、外からは「これがチームみらいの考える新しい100点の熟議です!」と言っているように見えている?
(言ってはいるか、、)
ここのコミュニケーションの期待値や謙虚さの設定はむずかしい
「10点のものを表に出して実験を回しつつみんなで改善していこう」という態度なので、「まあまあ、そういう懸念があるなら、同じ仲間としてこの運動を盛り上げようよ」と言いたくなる
同じ仲間としてこの運動を盛り上げることには「みらい批判を書くこと」「みらいよりbetterな熟議システムを提案する/作る/運用すること」も含まれると思っていて、それはあらゆる差異を一つのプロジェクトに解消することではないという理解
「チームみらいがPlurality/熟議を掲げながら、10点のPlurality/熟議をやっていく世界線」と「チームみらいがPlurality/熟議を掲げない世界線」を比べると、前者の方がPluralityや熟議が理想とするものに近づくと思っている
みらいの内部にも色々な思想や立場がある
要点1で批判されているような側面も多分に含まれているとは思う
構成員が持っている関心もそれなりに多様
Pluralityや熟議などの理想を掲げることをやめると、みらいはなおさらそこから遠い方向に容易に流れていくと思う