連想ゲーム
https://gyazo.com/062fb61621e7fd80aa79f4cead5e5cf1
「連想ゲーム」は、1969(昭和44)年から22年間続いたNHKの看板ともいえる番組。キャプテンの単語によるヒントから連想する言葉を答えるもので、回答者が女性、男性と紅白に分かれて交互に答え、点数を競った。
https://www2.nhk.or.jp/archives/articles/?id=C0010484
from メモ
連想ゲームの話でないかも
@gnck: 展示見たあとにダラダラ良かっただの悪かっただの野暮に言うよりかっこいいビジュアルの写真撮って載せる方がそりゃクールだよなとは思います。
@gnck: 「楽しい連想ゲーム」が批評とかアートと思っている人が居て、まぁそういう人がいてもいいけど、楽しい連想ゲームに過ぎないでしょうね。ただ、楽しいか楽しくないかという美的な判断はできるかもしれない。
gnck
これ私のことだ……(おそらく本当に)
前に自分がRTして言及した時も連想ゲームの話をしていた。
@gnck: 連想ゲームで沢山喋るのが気持ちいいみたいな人に構っててもしょうがないんだよな。
これは自分のことじゃないかもしれない。
ツイートは批評ではなく感想として気軽に書いているつもりだけど、感想は感想として「楽しい連想ゲーム」止まりになってしまっている苦しさはある。
実際問題、批評と連想ゲームはどのくらい離れていてどうすればそちら側に行けるのでしょうか。
批評できたらかっこいいけど批評したいわけでもないか
万が一自分のことじゃなかったとしても刺さってしまっているのは事実なので少し身の振り方を考えたいところ。
うーん、とはいえ雨宮庸介展|まだ溶けてないほうのワタリウム美術館では感想ツイートのおかげで二回目呼ばれたわけで
楽しいか楽しくないかという美的な判断
正直これで判断してしまうときもある
あんまりだなと思っていたのに感想がどんどん出てくるときは良い展示だったのかもと思うときはある
尺度の一つとしてはあり
もちろん、めっちゃいいのに感想出てこないこともある
なぜ感想を書いているか
文章化の練習
分析力の強化
これがうまくいってない?
noteに書いていたのを簡易化してTwitterに移った。
メモとして最適。思い出せる。
反応があればうれしい
ただ自己顕示欲でやるには大分コスパも悪いし、移動時間程度で書くp5の方が反応ある
フォロワーが興味持ってくれたらうれしいみたいなのはあるか。
でもたぶん届いてない。
あとはアーティストやキュレーターに届いたらうれしいよね。
うまくいってない部分は?
自分の作品じゃないから新しくフォローしてくれた人とかにはめんどくさいかも
見たくもない文章が他の人のTLに流れる
Twitterってそうだろ
長文なんだよ
たかだか2-3ツイートは長くないよ
自分に刺さることを恐れて批判的なことは言えない
これが”楽しい”につながっている……?
言いたいときはscrapboxでやります。
Noteの時は調べながらやってたけどTwitterはいってすぐ投稿することも多い。
あーこれは良くないかもねぇ
でもそんな体力ないですよ。
そもそもこんなまとめる必要あるわけ?
scrapboxにまとめて分かったけど感想残ってない展覧会はまじで覚えてない。
連想ゲームはその連想自体を楽しんでいるという点において目的化している?
/kofu-lab/連想ゲーム#684d967e00000000001b71c0
なるほど、「なぜ感想を書いているか」の理由も、ほとんどが連想を目的化しているもののかも
生成AIがマルコフ連鎖……といってしまうのは素朴らしいが、次に来やすい言葉を(経験/学習から)選ぶという点では連想ゲームと似たところがある。
つまり人間の文章も基本的には連想ゲームによって作られている可能性がある。
だからこそ”楽しい”という修飾があるのかもしれない。
普通の文章が連想ゲームである可能性を肯定した上で
創作や表現においては連想ゲームで要素を決めることも多いのでは
見立ては連想ゲーム?
今まで知らなかったけどTwitterで「批評」「連想ゲーム」で調べるとそこそこ出てくる。
「こんなの批評じゃない」という文脈と「批評なんて所詮」という文脈がある。
前者はつながりの弱さとか根拠の薄さ、意味のないずらしみたいなものへの批判
後者はそのまま。
前者が多い。
考えすぎじゃない?
連想ゲーム楽しい。