連想ゲーム
実際問題、批評と連想ゲームはどのくらい離れていてどうすればそちら側に行けるのでしょうか。
構造的な分析があるか否かは明確な判断要素として挙げられそう
構造に対する連想はかなり批評的なイメージ
批評はアカデミズムとは同じではないけど、先例のリサーチはあくまで主張の論証のための手段であって、目的ではない
連想ゲームはその連想自体を楽しんでいるという点において目的化している?
このscrapboxも表層的な「基本的にこれとあれのこういう部分が似てる」という共通化・一般化に終始していて実際的な分析は一つもしていない
脱するべきなんだろうか
というか感想もほぼ書いていないので言語化すらしていない uesənとは比べるのも烏滸がましくはある 批評できたらかっこいいけど批評したいわけでもないか
批評ってかっこいいのか?
これはボカロ界隈の見過ぎかも
オタク文体的なエキサイティングな感想を捻りだす方が価値が高いコミュニティである自覚はある でもこれは全然嫌いではないし、批評とは独立してみんなしていくべき良い行為だと思っている
ただ批評では全くない
一方で批評を偉そうな価値判断として軽んじるのはもちろん最悪
ここらへんは増田聡みたいな人とかが既に散々言ってるのでわざわざ言及したくない 言ってることは間違ってないけど嫌