身体化する心
デカルト主義の不安
しかし、先へ進む前に、所与の特徴や既成の情報をもった世界という考え方がなぜかくも不問にされるのかを自問する必要がある。どうしてわれわれはこの考え方を主観主義、観念論、認知ニヒリズムとして投げ出すことができないのか? この明らかなジレンマの源泉は何なのか?われわれは、いよいよ固定した安定な基準点として世界を信用できなくなったときに生起する感情を直接検証しなければならない。
われわれが感じるこの苛々は、リチャード・バーンスタインに倣えば、いわゆる「デカルト主義の不安」に根差している。「不安」とは、概ねフロイト流の意味であり、「デカルト主義」と呼ぶのは、デカルトが「省察」において厳密かつ劇的にそれを表現したからである。この不安は一つのジレンマとして最もうまく表現される。知識についての固定かつ安定した基盤、つまり知識が始まり、根拠づけられ、落ち着く点をもつか、またはある種の暗闇、混沌、混乱を免れえないかのいずれか。絶対的な根拠や基盤が存在するか、あらゆるものが分裂するかのいずれかである。
カントの「絶粋理性地判」には、デカルト主義の不安がいかに強いかを伝える驚くべき一節がある。「批判」全体を通して、カントは、われわれにはアプリオリすなわち所与の生得的なカテゴリーがあり、それが知識の基盤となると論じることにより、知識理論の体系を築いている。「超越論的分析」に関する議講を締め括るにあたり彼はこう述べている。
われわれは今や純粋悟性「アプリオリ・カテゴリー」の領土を遍歴して、そのあらゆる部分を入念に検分しただけでなく、その広さをすっかり測量して、この領土のあらゆる事物にそれぞれの正しい位置を規定した。この領土は一つの島であって、本質的に不変の限界のうちに閉じ込められている。それは真理の土地(何と魅力的な呼び名であることか)であり、広大な荒れ狂う大洋という錯誤の故郷に取り囲まれているのであって、そこでは多くの霧峰や、たちまち溶け去る多くの氷山が彼方の海岸と思い誤らせ、冒険好きな航海者を絶えず空しい希望で欺きつつ、彼を冒険のうちへ巻き込むが、そうした冒険を彼は決してやめることも終わらせることもできない。ここには、二つの極端なものがある。デカルト主義の不安の二者択一である。すべてが明瞭で、究極的に根拠がある魅力的な真理の土地があるが、その小さな島の向こうには、広大で荒れ狂う、暗闇と混乱の大洋、錯誤の故郷があるのだ。
Miyabi.icon自分の内側にしか真理はない
真偽
啓蒙主義
真理以外を排他しなくてはいけない
重要なのは、主観と客観のこの対立が、はじめから与えられているものでも、すでにできあがっているものでもないと理解することである。これは、第1章で述べた心と自然に関する人間の歴史がもたらした一つの考え方でしかないのだ。例えば、デカルト以前には、心と自然という名辞は神の心の内容にしか使われなかった。
デカルトは、この名辞をはじめて使って、それが人間の心の作用によるとしたのである。この言謡学的・概念的シフトは、リチャード・ローティが「自然の鏡としての心の発明」と説明するもの、つまり異質なイメージ、概合、言話学的使用法をつなぎ合せた発明の一側面に他ならない。 このようなデカルト主義の根源がきわめて明瞭になるのは、この鏡映の比喩の妥当性について疑念をはさむときである。他の思考方法を求めて出発すると、このデカルト主義の不安が一歩進むごとに頭をもたげてくる。さらにまた、究極的な根拠についてわれわれがますます懐疑的になっている現代の状況は独特なものでもある。したがって、この不安が即ニヒリズムへの転向をうながすように思われるのは、根拠を欲するようにわれわれを導く思考、行動、体験の形式から解放される術を学んでいないからなのだ。
Miyabi.icon理性的な根拠、真理を求めざるをえない。そこには届かないという不安が〈真理〉としてあるのに
先の議論で、認知科学がニヒリズムの傾向から免れてはいないことをみた。例えば、ニヒリズムとデカルト主義の不安との連関は、『心の社会』で完全に独立した世界をみつけることの不可能性にミンスキーが対時するときに明瞭にみてとれる。
Miyabi.icon構成的認識論を取る
この理解に対するミンスキーの応答は、自己の如への応答に似て、玉虫色である。彼はこう述べる。
Miyabi.icon僕らが
以上のような考え方をミンスキーのことばを介して描いてきたのは、彼が傑出した現代の認知科学者であり、入念に時間をかけて自らの考え方を明解に表現してきたからである。もちろん、彼だけではない。この問題について論じるように迫られたら、多くの人々は、自分たちが本当は世界について知っているわけではない、知っているのは世界の表象でしかないと認めることだろう。それでも、それを世界として処理することを運命づけられているように感じるのは、われわれの日常を既存の直接世界の経験のように感じるからだ。
したがって、この悲観的な気分は、デカルト主義的な不安や心を自然の鏡とするデカルト主義の理念から生まれるのである。この理念によると、知識は独立した、所与の世界についてのものであるべきで、この知識は表象の正確性において獲得されるべきである。この理念が充足されないとき、われわれは内的基盤を求めてわれわれ自身を拠点とする。何かうまいことを言ったつもりになっても自らの信念の表明にすぎないというミンスキーの所見に、この心の動揺は明らかである。
人間が考えることが主観的な表象に他ならないと述べることこそ内的根拠という考え方、つまり内奥の表象によって閉ざされている孤独なデカルト主義の自我を拠点とすることなのである。この特殊な転向は、内的根拠として役立ちうる自己が存在することをミンスキーがそもそも肩じていないだけに皮肉きわまりない。したがって、デカルト主義的な不安に満ちたミンスキーは、最後にはみつからないとわかっている自己の存在をじることだけでなく、われわれが接近しえない世界が存在することをも求めるのである。そして、再び、そのような苦し紛れの論理により、ニヒリズムの病態へ陥ってしまうのである。
中道へのステップ
仏教伝統の「中観派」すなわち「中道」派の理論と修行の核心にあるのがこの悟りなのである。心の内側や外側に究極の根拠を求めようとしても、思考の基本的な動機や様式は同じ、つまり執着する性向なのだ。
中観派では、この常習的な性向は「絶対論」と「ニヒリズム」という二つの極論の根源であると考えられている。はじめのうち、執着する心は、ある絶対的な根拠、内的であれ外的であれ、それ「自身であること」により他のすべての支えと基盤になりうるものを求める。次いで、そのような究極の根拠がみつけられないことに直面すると、この執着心の反動で他のすべてを錯覚とし、根拠の不在に固執するのである。
したがって、中観派の哲学分析は二つの根元的な点でわれわれの苦境と直接的に関連する。
第一は、究極の根拠を求めること(今日では「基礎づけ主義プロジェクト」と呼ばれる)が、主観やいわゆる「自我ー自己」における基礎に限らず、所与の既成世界への倉念も含むことが明らかに認識されていること。何世紀も前にインドで悟られ、チベット、中国、日本、東南アジアといった様々な文化圏において精緻化されたこの論点が西洋哲学にやっと理解され始めたのはこの百年かそこらのことだ。実際、西洋哲学のほとんどが究極の根拠はどこに見出されるのかという問題に関わってきたが、根拠へ固執しようとする性向そのものについて疑いをはさんだり留意することはなかったのである。
第二に、中観派が絶対論とニヒリズムとの関連性を明らかに認識していること。
欧米社会中心に語れば、ニヒリズム(ニーチェ流の意味)への関心は、とりわけ一九世紀における有神論の崩壊とモダニズムの勃興による西洋的な現象とされる。しかし、仏教以前のインド哲学にニヒリズムへの深い関心があることは、そのような西洋中心的な仮説の正当性を疑わせるものだ。
三昧/覚瞑想の伝統では、安定した自我ー自己を求めるあまり、生の世界を苦欲求不満だらけにする絶対論やニヒリズムという執着に陥ることへの洞察が求められてきた。こういった執着の性向から解放される術を体得するにつれ、あらゆる現象には絶対的な根拠がなく、そのような「無根拠性」(sunyata:空)こそが縁起の構造そのものであることが正しく理解されるようになる。
絶対論/有神論
ニヒリズム
現象論的には、無根拠性こそ豊かに織り込まれ、相互に依存する人間経験の世界の状態そのものであると述べることで、やや似通った論点を主張しうる。われわれの活動はすべて究極の確実性や合目的性の意味では決して固定されない背景に依存すると、最初の章においてこの論点を表明した。