確かに悲観的にみえる状況ではある。しかし、そのような悲観が意味をなすとすれば、われわれが知りえない所与の独立した世界、外的根拠が存在すると仮定するときだけであろう。そのような状況ならば、自らの表象を安定した拠点として扱うより仕方がないわけだ。