選択せよ、さらば実行できる
GTDによる福音書?
プレイングマネージャーとタスク管理の実行と管理について考えているうちに、以前からタスク管理のScrapboxで取り上げていたとおりGTDには「実行に関するサポートはほぼない」んだよねーと、再びGTDの5つのステップを見返した時に、ステップが「選択する」ことで終わっていたことに今更ながら、ページタイトルのような感想を抱きました。 あたかも選択したら実行できると言わんばかりです。
あとはやるだけ、と言うことなのでしょう。
とはいえ、「見極める」段階で次にとるべき行動を「目に見える物理的な行動」にまで落とし込んだ状態であれば、まあ、わからないでもないと思えます。
自分は「次にとるべき行動」について「物理的な」に加えて「1アクション」であるということを足して「次にとるべき物理的な1アクション」として使っています。
「1アクション」の記載がGTD本にあったかどうか(確かあったからそうしたような気もします)、果たしてこれがGTD拡張パックに該当するか不明です。 GTDで実行に言及している部分
実践編のキャプテン&コマンダーのくだりあたりも実行かな?
ちょっと見た限りですが、全面改訂版にはキャプテン&コマンダーに言及している箇所を見つけられませんでした。
あとは「2分ルール」でしょうか
全面改訂版P.190
実行する
「次にとるべき行動」が2分以内にできることなら、その場でやってしまおう。
ちょっとページのテーマとズレますが上記の箇所に
「決断」は、物理的な行動とは呼べない。ただ、「決断」に至るための物理的な行動は必ず存在する。
とあり、よく自分が「次にとるべき行動」に「〜について決める(検討する)」と使ってしまい、実行できず先送りタスクになってしまっていることがありました。
とまあ、実行を妨げる要因は「見極め」で取り除いておくという考えなのでしょう。
そうなると、このページタイトルは正しくは、「GTD(の5つのステップ)をせよ、さらば実行できる」となりそうです。
ほら、やっぱり実行をサポートしていない?
いや、GTD(の5つのステップ)自体こそ、実行をサポートしている?
rashita.iconGTDの理論では、サポートされているという風にはなっています。
しかし、個人的にはそこはツッコミどころがあると感じています。
「適切に」にリストを作れば、直感で選択できる
では、どのような状態が適切なのか
これは循環的というか、何も説明したことになっていません。
「気になること」を適切に分類すれば、理論的にはたしかに、実行に至る判断を下せそうですが、現実の人間はそんな風にはできていない(ただし、そのようにできる人もいることはいる)、と思います。
rashita.iconちなみにこれは、GTDをやってもうまくいかない、ということではなく、GTDをやってもうまくいかない部分がどこかしらに出てくる可能性があるだろう、ということです。
玄武.iconなるほど、少し考えます。
旧版と全面改訂版とで「実行」から「選択する」に変わっています。
このあたりにも田口氏の翻訳の的確なGTDの姿を捉えた片鱗が伺えるのかもしれません
旧版
選んだ行動を「実行」する
全面改訂版
何をするべきかを「選択する」
あまりに違うので原文が気になって、原書(2015 edition)(ちなみにKindle版が129円で2019/2/23に買えました。安い。今2019/2/24見たら127円でした。なぜだ)にあたって見ました
原書
engage with
?
ちょっと何言ってるか分からない
Google先生、お願います。
engage withは日本語で「噛み合います」
?
噛み合いません…Google先生は、英語は苦手のようです。
いや、先生のいうことです。
ここは、歯車が噛み合う的な、全てが動き出す、そう、それは「実行」に繋がるということが言いたいのかもしれません。
さすがです、Google先生
いや、ちょっと何言ってるか分からない
すみません、こっちの方向性では、解決は難しそうです。
一点だけ気になるのは、原書(初版)でも5つ目のステップが「engage with」であることの確認ができないことです。
一旦仕切り直して、
今までの自己流だったタスクリスト
GTDによりタスクの「情報」が整理されたタスクリストになった
これまで実行できていなかったタスクが実行できるようになった
それが「実行がサポートされた」と思ったことな気がします。
自分は実行がサポートされていると感じるその元となったものを見つけたい。
そもそも、果たしてGTD本で「どのような状態が適切か」に対して「直感で選択できる状態」と、堂々巡りをしているのかどうか。
直感で選択できる状態というのは、GTDの5つのステップ、各モデルでの評価を経たリストの状態だということではないでしょうか。
つまり、
適切な状態=GTDの5つのステップ、各モデルでの評価を経たリストの状態=直感で選択できる状態
冒頭の問いに戻りますと
「適切に」にリストを作れば、直感で選択できる
では、どのような状態が適切なのか
直感で選択できる状態だ
ではなく
GTDの5つのステップ、各モデルでの評価を経たリストの状態
これが直感で選択できる状態
となり、堂々巡りはなくなるのではないでしょうか。
そうしてできた直感から選択していいリストであれば、どれを選んでもそれが次にとるべき行動であり、裏を返せば、それ以外が、今はとるべき行動ではないとして、安心して実行に移すことができる。
そう感じているのが、私がGTDが実行をサポートしていると思う要因だと考えます。
理論的にはたしかに、実行に至る判断を下せそうですが、現実の人間はそんな風にはできていない
そうなのです。上記に述べた私の考えは、あくまで理論的であり、それが実践できるかどうかはまた別ということに変わりはなさそうなのです。
そして、それは、私が「ただし、そのようにできる人もいることはいる」に該当する人間であるからできることなのかもしれません。
では、なぜ、そのようにできるのか
それは結局、上記の強調の一文に戻ることになり、これこそ堂々巡りをすることになりそうです。
rashita.icon循環性について追記します。
GTDの5つのステップ、各モデルでの評価を経たリストの状態
これが直感で選択できる状態
僕が気になっているのは、これです。
「各モデルでの評価を経たリストの状態」が「直感で選択できる状態」は自明なのでしょうか。
その論拠が僕には見えてきませんでした。
なぜ「各モデルでの評価を経たリストの状態」にすれば「直感で選択できる状態」になるのか?
このリストが直感から選択しいリストになったと、何が保証するのでしょうか?
たいはんの場合は事実としてそうなるでしょうが(≒蓋然性は高い)、「必ずそうなる」という保証はあるのでしょうか。
人間のメカニズム的にそうなる?
そうならない人や状況は存在しないのか?
もし、GTDの5つのステップを踏んでいるにも関わらず、「次の行動が選べない」という状況が生まれてしまったときに、「それはGTDの5つのステップがきちんとできていないからだ」と説明するならば、これは循環的だと感じられます。
ただ、このツッコミはやや高度というか、重箱の隅をつつくようなものです。
まったくぜんぜんGTDをしてない状況と、GTDを導入した状況を比べれば、はるかに行動(実行)は生まれやすくなります。その意味で、行動をサポートしてくれる部分はあると思います。(≒行動の情報が整理され、次に何をするのかが具体的になる効能)
ただ、たとえば100の状況があるときに、99で実行がうまれても、1くらい実行がうまれない状況があるかもしれません(おそらくは人間の不合理性による)。
そういうときに、「自分はGTDがきちんとできていないからいけないんだ」という自分を責める方向にいっちゃうのはまずいな、とは感じます。
で、あまりに方法論が完璧(のように見えると)、そういう自己への攻撃が発生しやすいので、GTDをやっていても行動が生まれないこと(あるいはそういう人)もあるよ、という視点はキープしておきたい、という感じです。
人間は、リストから行動を選ぶことすらできないことがあり、その状態を解決する力はGTDにはない、という感じでしょうか。
takahrt.icon 読ませて頂いて一言。私はGTDのステップを踏むアプローチにおかれては、今やること・それ以外の事を漏らさない目的が大きいです。
今やることをリストから選んだ理由は、納期が迫っているとか、顧客が怒っていそうだからとか、GTDのプロジェクトやコンテキストには含まれてない情報によるところが大きいですね。
しかし、納期の仕事のみに熱心に取り組んでいると二番手以降の仕事について忘れてしまうことがあるので「先日レビューをしたから、今はこの仕事に集中できる」状況が生まれるのがGTDの良いところだと思います。
回り回って、結局は「プロセスを踏んでリストを作ったから、タスクを選択できてる」のかも知れませんね。
玄武.icon確かに、GTDの5つのステップ、各モデルでの評価を経たリストの状態と直感で選択できる状態をイコールで結ぶのは早計でした。
GTDでは精々、GTDの5つのステップ、各モデルでの評価を経たリストの状態であれば、直感で選択していけばいいという指針程度のものでしかありません。
おっしゃるとおり、そこに論拠はなさそうです。
もし、GTDの5つのステップを踏んでいるにも関わらず、「次の行動が選べない」という状況が生まれてしまったときに、「それはGTDの5つのステップがきちんとできていないからだ」と説明するならば、これは循環的だと感じられます。
そこは、むしろ循環的にさせるように思えます。
もし、GTDの5つのステップを踏んでいるにも関わらず、「次の行動が選べない」という状況が生まれてしまったとき
それは、もう一度GTDの5つのステップを踏む必要があるからだと思うのです。
GTDの5つのステップを実践しました。
さあ、ネクストアクションリストがあります。
え?でも、やりたくない、行動できません。
GTDの5つのステップに戻り、今の気になることをインボックスに入れる
それは、「次の行動が選べない」ということ自体がインボックスに入るのかもしれません。
次にとるべき行動をみて、だるい、眠い、やる気がでない、そういった心理的、心情的なことも含めて、「気になること」を書き出します。
そのような状態のときに次にとるべき行動は?
一週目のGTDのステップで出た次にとるべき行動よりも優先して、寝たり、やる気が出ないときにやってみること(好きな本を読んだり、ゲームをしたりする)
そういったことを直感で選ぶ
そうした選択した行動の結果、望んでいる結果を得られたのか
得られなかったのであれば、次にとるべき行動はどんなものが良かったのか
その繰り返しだと思うのです。
一週目のGTDにステップでは分からなかった行動の選択肢を作り(更新する)、それを選択する
それはあたかもゲームで一回クリアした状態でしか現れない選択肢
(ゲーム脳)
直感で選択して正しいリストになったことは、実際に直感で次にとるべき行動を選択した結果、望んでいる結果を得られたか、からわかるものなのかもしれません。
いわば、その論拠は、自分が作っていくようなものでしょうか。
「自分はGTDがきちんとできていないからいけないんだ」という自分を責める方向にいっちゃうのはまずいな、とは感じます。
おっしゃるとおりです。きちんとできていない自分を責める必要は全くないと思います。
きちんとできていないシステムにこそ目を向けるべきだと思います。
(ちょっとまだ、まとまりがない気がしますが)
rashita.icon上記で書かれていることはまさしく、だと思います。
ただ、GTDの教本ではそういうアシストがないので(それがつまり、選択の誤謬性が配慮されていない、ということの意味です)、GTDを途中で躓いて、そのままやめてしまう人が多いのではないかと思うのです。
rashita.iconGTDのトレーナーが横に付いているならばともかく、本で読んだだけの人で、こういうのに不慣れな人は、「だめだ、ぜんぜん自分にはできない(向いていない)」と諦めてしまいがち、という印象があります。
rashita.iconつまりこれはGTDそのものというよりも、GTD教本の書かれた方、にフォーカスを置いた問題提起ということなのかもしれません。
rashita.iconあと、ぜんぜん関係ないですが、インターネット空間でひさびさに落ち着いて議論ができる場所だなとこのプロジェクトに書き込みながら感じています。
rashita.icon一つ上の書き込みに関することですが、Twitterやブログなどを見ていると、なんからの方法で「タスク管理」をやりはじめた人が、やりはじめの段階でうまくいかない(≒完璧にできない)ことがあると、「これ無理」となって、タスク管理的な行為をすべてやめてしまう、という事例をたまに見かけるのですが、それは非常にもったいないと感じています。「やるおわ」本は、その辺のフォローをいれた本です(特に宣伝というわけではありません)。
玄武.icon私も「ここまでGTD本で書いていたわけではなかったなー」と、書いていて思いました。
こうして書き出してみるとGTD本はあくまで作り方を説いたものであり、(実践編という本がありながらも)実践に即した使い方というものに深く立ち入っていないように思いました。
タスク管理というと、どうしてもシステムの「作り方」に脚光が浴びて、後の「使い方」には個人にお任せのようなところがあるような気がします。
そこに「やるおわ」本が食い込んでくるんですね、わかりみが深いです。 玄武.icon私もこのプロジェクト(タスク管理のScraobox)でタスク管理のことの考察を深められて楽しいです。
タスク管理の考察は、ひいては人生についての考察に繋がることなのですから。