GTDは何が不完全か
また考えたいと思います。
takahrt.icon 「どうやってタスクを1つ選ぶのか」がシステム上であきらかになっていないところでしょうか
玄武.icon最後は「直感」ですからね〜
ワークフローを実行したあとに直感を信じて行動を選択するGTD
その「直感」は、GTDのワークフローを経た(Horizonモデル(高度モデル)による評価も経た)上での「直感」ではありますが
ぷーあるちゃ.iconアマゾンPrimeVideoで「メンタリスト」というドラマにハマって見ていたのですが、ドラマの中でたびたび #直感 というワードが出てきます。直感で決めたことをレビューで検証することで、正しい選択だったか考える側面があるのかななんて思ったりします。 あまりに定性的すぎる傾向は否めない。
rashita.icon上のツイートで書いたこととはやや異なりますが、2年前にこういう記事も書きました。
現在多少違う考えもありますが、大筋は変わっていません。
玄武.icon定性的と言うことがブログにも出ていたのでメモの段階ですが
もやもやしがちな「気になること」を情報化(記録化)することで固定し、ワークフローに従って、それを定性的に処理していく。結果、私たちは「気になること」から解放され、ストレスフリーが到来する。
定性的すぎる?の定性的?
rashita.icon定性的という言葉で言いたかったのは「定」の方ですね。つまり、ワークフローによって作られるリストが、あれら以外にない、というのは本当にそれでうまくまわるのだろうか、という疑問です。
玄武.icon拝読いたしました
GTDを実施するためには、自分の頭に湧き上がる「気になること」を、ワークフローで処理できる形に「変換」しなければなりません。たとえちょっと違う気がしても、「とりあえず」どこかのリストに入れてしまうことが必要
問題はそのツリー構造を作るために(そして維持するために)、見えない変換が働いている、ということです。
その見えない変化がまったくないか、あるにしても数が少ない人ならば、GTDとうまく付き合っていけるでしょう。しかし、そうでないならば、GTDだけではやがて苦しくなってくるはずです。
(引用が多いので支障がありましたら削除いたします)
(以下は、走り書きですので、また整理いたします)
なんとなくニュートン力学と量子力学をイメージしました。
ニュートン力学で問題ない世界と量子力学でないと説明できない、解き明かせない、扱えない世界
大半は、ニュートン力学で問題ないですが、ミクロでは量子力学でないと説明できない
その見えない変化が気にならない世界に住んでいる人もいる(もしかすると私がそうなのかもしれません)
GTDは力学界のニュートン力学?
「気になること」を「気になること」のまま扱える必要がある?
リンクネットーワーク構造?
Scraobpx?
rashita.iconニュートン力学のイメージはわかりやすいです。
「気になること」→「行動」の管理ならGTDのフレームワークは抜群に機能しますが、人間の「気になること」はもう少し多彩で、しかも固定的ではない、というのが僕の印象です。
ただ、固定的でないと「管理」はできないので、固定的であること自体に問題は感じませんし、おっしゃるとおり日常生活ではニュートン力学でだいたい問題ない(≒固定的でっても、だいたい問題ない)、というのと似た話だと思います。
その意味で、GTDに限らず、作るリストが固定されているものは、ニュートン力学的と言えるかもしれません。
玄武.iconGTDがタスク管理におけるニュートン力学としての役割を果たし、その恩恵を受けながらもGTDでは扱えないもの(世界)が出てくるようになり、今般、量子力学の発展が期待されるのと同じで、タスク管理における量子力学にあたる部分が解明される(扱えるようになる)ことが期待されるのかもしれません。
歴史は繰り返す
質にだけとらわれる?
GTDは量を考えない?
レンガ積みの例えで、本人の意識がレンガを積むことから教会を建てることに変わる(タスクの質が変わった)ところで、もしその時デスマーチであってもスケジュールが変わるわけではない
レンガを積んでいるだけの状態からは意識が向かなかったのがデスマーチなスケジュールを変えようとすることに意識が向く?
GTDなら「望んでいる結果」の制約から(もしくはHorizonモデル(高度モデル)、あるいはライフマネジメント?)
タスクシュートなら終わらない(いつまでに終わるのか)という時間の制約から
質的な変化が、量的な変化をもらたすGTD
量的な変化が、質的な変化をもたらすタスクシュート
GTDで1つのやりたいことのタスクが完了したことと10のやるべきことのタスクが完了したこととは等価に感じることもある
タスクシュートで10のやるべきことのタスクが完了したことと1つのやりたいことのタスクが完了したこととは等価に感じることもある
どちらがいいか悪いかではない
感覚的なもの?
玄武.iconそして、下記のGTDに足りない3つをサポートするのはレビューではないか(仮説)(また詳細を詰めたいと思います)
実行に関するサポートはほぼない
ログが重視されていない
アイデアの扱い方も考慮されていない
実行に関するサポートはほぼない
GTDが提供するのは「リスト作り」のノウハウまで
完了したタスクをレビューすることで実行すべき行動と実行すべきでなかった行動が判明し、実行をサポートしてくれる?(直接的と言うより、間接的に?)
ログが重視されていない
GTDはあまり情報の取り回しが扱われていない
チェックリストと完了したタスクのレビューでどうか
ルーチンタスクにはチェックリストで対応し、ログには完了したタスクのレビューから得るものがありそうです
rashita.icon僕の記憶の限り、レビューで「完了したタスク」を確認するということは含まれていなかったので、それを実行するなら、それはGTDの拡張ではないかと思います。
rashita.iconつまり、書籍等で理解できるGTD(システム)において、指摘されていない問題があるので、それを踏まえた上でGTDを実施する(GTD.2.0とか、ハイパーGTDとか)のが大切なのではないか、ということですね。
玄武.iconおっしゃるとおり、GTDで説いているレビューの拡張になってしまっていました。あとになって、そう言えばGTD本には完了したタスクに対するレビューってなかったな、と。
アイデアの扱い方も考慮されていない
アイデアのレビューでどうか
個人的な場合で申し訳ないのですが、アイデアは大抵「いつかやる/多分やる」リストやファイルに行き着き、レビューを経ることによって、「次にとるべき行動」になったり、ただの「プロジェクトの参考情報」になったりと変化していっています。
リピートタスクやルーチンにも触れられていないようです。
玄武.iconそうですね、GTDを実践しているOmniFocusを使っていても、今だに「毎週決まった曜日にゴミを捨てる」ルーチンはうまくいきません…
適切なリマインダーとして、たすくまを復活させてみたいと思います。
GTDでいうと「決まった日にやる」ということで「カレンダー」に格納されそうな感じですが、果たしてそれでうまくいのかどうか。
拡張の余地がありそうです。
rashita.icon概念的に、GTDは「気になること」を扱い、ルーチン(リピートタスク)は毎日繰り返すものなのであまり気にならない(気になりにくい)性質を持つので、実は根本的に相性が良くないんですよね。
玄武.icon言われてみると確かに。気にならないことなので、GTDと相性が悪いというのは納得です。
逆にタスクシュートは「気にならないこと」も「気にさせて」くれます。
ルーチンタスク・リピートタスクをGTDでうまく扱えるようにするのは魅力的ではありますが、気をつけないと7つの習慣に出てきた動物学校のような、GTDがウナギになるオチ(少しニュアンスは違いますが)になりそうですw
玄武.iconGTDのよいとこ、わるいとこ タスク管理概論 – R-style GTDの欠点
・実行に関する要素の不足
・決定に含まれる誤謬性への配慮不足
「実行に関する要素の不足」は内容が掴めるのですが、「決定に含まれる誤謬性への配慮不足」について書かれた以前の記事がどこか分かりませんでした(以前に読んだ気がするのですが探し出すことができなかった)ので、また探してみたいと思います。
rashita.icon僕も、言ったか、書いたかした覚えはあるんですが、それがどこなのかはまったく思い出せませんでした(記事を書きすぎている)
玄武.iconですよね〜。
倉下さんがGTDに言及している記事に考えさせられることが多く、読み返していたところでしたので、古い記事の引用で申し訳ありませんでした。
確か「決定に含まれる誤謬性への配慮不足」は
「望んできる結果」に対して「次の行動は?」と問うて、
果たして的確に「これが次の行動です」と判断できるものなの?
判断の根拠に乏しい次の行動を選択して実行できるの?
というニュアンスだったような気がするのですが(すぐに記録を残しておくべきでした)
rashita.iconいくつかの要素があると思いますが、たとえばワークフロー時の振り分けや完成したリストから次の行動を選択するときに、人間のバイアスから考えれば不完全な決定をしてしまうことは起こりえる、というようなニュアンスだったと思います。
玄武.iconなるほど、ありがとうございます!考えてみます。
また、上記について、どのような解決の方法があるのか考えてみたいと思います。
Tak.さんのツイートから