割り込みに対するタスクシュート的な対応とGTD的な対応からみたタスク管理手法の適合性
たすくまは割り込みに対応できる数少ないツールだとも思います。
玄武.iconふと思ったのですが、割り込みに対応するのにタスクシュート的な対応と、GTD的な対応とで少し違うのかもと思ったのでまた考えてみたいと思います。
普段の業務が、割り込みに対応するような仕事である時にはGTD的な対応寄りになりそうです。
ぷーあるちゃ.icon具体例を出すとどのような感じですか。
玄武.iconタスクシュートに向いている毎日同種の作業を行う人か、GTDに向いている日々多様な作業を抱えている人(割り込みに対応するのが業務)か、職種による違いという面からみた対応の違いと言ったことになりそうな気がします。
また詳しく書いてみますね。
と、その前に「たすくま の割り込み対応」
タスク実行中に発生した・思いついたタスクのメモが取れることによる対応
noteの記事を読んで、なるほど、こういった割り込みへの対応もあるなぁと思いました。
「割り込み」にも二つの状況がある。
・自分が今やっている作業とは、別の作業をやろうと思うこと
・自分は今やっている作業をやりたいのに、「これをやれ」と権威によって強制されること
・「割り込まれタスク」?
ここでは、いわゆる前者の割り込みへの対応にあたりそうです。
タスクシュート的な対応とGTD的な対応は、いわゆる後者の割り込みへの対応(割り込まれタスク)
タスクシュート的な対応
あらかじめ一日のうちに割り込みに対応できるバッファとなる行動(時間)を確保しておく バッファを使い切ったら、別の日に予定する
GTD的な対応
すべてのやるべきことを把握したうえで、入ってきた仕事をほかの仕事より優先させるのなら何の問題もない。それが最善の行動だからだ。
(中略)
自分がやるべきことをすべて把握しており、何をしなくていいかについて安心していれば、"予定外の仕事"についても的確な判断を下すことができる。そうした状態であれば"予定外の仕事"も、ストレスではなくて、新たな創造性を発揮できる。"機会"となることを知るべきだろう。
タスクシュートは、「行動」を整える
・行動は、必ず実体を持ち、時間を有する
GTDは、「情報」を整える
・情報は、抽象的な要素を扱える(プロジェクトやビジョンといったもの)
タスク管理手法の一部であるタスクシュートやGTDは、その人のタスク管理にとって足らざるを補うものである
ツールも含めて
行動は整えられても、情報が整えられない(傾向の)人
GTD
情報は整えられても、行動が整えられない(傾向の)人
タスクシュート
ちなみに両方のパターンもありそうです。
情報を整えられず、行動も整えられない(傾向の)人
GTD→タスクシュート
したがって、割り込みに対して、タスクシュート的な対応とGTD的な対応というよりも
その人が、行動は整えられても、情報が整えられない人として、割り込みにはGTD的に対応する方がその人にとって良いものなのか
その人が、情報は整えられても、行動が整えられない人として、割り込みにはタスクシュート的に対応する方がその人にとって良いものなのか
その違いといったことになりそうです。
もちろんその人が、情報を整えられず、行動も整えられない(傾向の)人として、割り込みには、GTD的に対応してのちに、タスクシュート的に対応する方がその人にとって良いものなのかも含みますが。
しつこいようですが、変則パターンとして、普段の業務は、タスクシュート的に対応し、割り込みにだけGTD的に対応するのも含みます。
ここから、「タスク管理は万人に勧められても(啓発できても?)、ある特定のタスク管理手法が万人に勧められる(当てはまる)ものではない」といったことを考えます。
タスクシュート然り、GTD然り
これは、万人に関係ある
ただし、その付き合い方には、人それぞれの個性が関係して、ある特定のタスク管理手法が万人に勧められる(当てはまる)ものではない
同じことで困っている人の多い・少ないはあるにしても