神は細部に宿る(ソフトウェアはつぎはぎだらけ)
神は細部に宿る(ソフトウェアはつぎはぎだらけ)
p111 ソフトウェアの実装の細かい違いが、コミュニティの発展の仕方、振る舞い、感触に大きな違いをもたらす。
これを読んだときに真っ先に思いついたサービスがTumblrだった。 ソフトウェアの実装の細かい違いによってコミュニティは変わる。
では自分が関わっているサービスはどんなコミュニティ形成を促し、利用者の生活、人生に影響があるのか...?と朝の通勤時間にぼんやり考えていた。まだ答えはでない。
すべてを語り尽くすには、千一夜かかるそうだ
話はややこしくて Web サービスだけじゃなくて、エコシステムとか、政治とか、経済とか、すごい範囲が広がっちゃう
「人が関わる事象においては、あらゆる事柄がそれぞれに影響を与えていて、そのそれぞれがまたその影響を受けるのだ」みたいな話だったりする(なにを言っているのか)
それに運とかタイミングの話もある
たまたま AutoPagerize がその春に誕生したとか、そのきっかけになったミートアップ(Wikiばな)がたまたまその新春に開催されたとか、その前年にたまたま Shibuya.js が発足されていたとか、
とかとかとか
この話、風呂敷を広げると、とてつもなく大きくなってしまう
隙だらけだった
思い起こせば当時の tumblr はダサダサだった
Greasemonkey とか好き放題し放題だった
unsafeWindow オブジェクトとか eval とか
セキュリティはズブズブだった
みんな暇だった
界隈が小さかった
とかとかとか
でもまあ確かに、ほぼ同時期に日本で受容された twitter と tumblr が全然違う進路を辿ったのは「ソフトウェアの実装の細かい違い」から導き出されたのかもしれないけど
隙間や余白がたくさんあった
自由や匿名性はコードや物理世界の不完全性に依存しているので、
些細なズブズブさの違いだったかもしれない
でもまあ確かに 2007年の tumblr に特別な何か(大きくて魅力的なセキュリティホール)を見出した人たちは居たんだとは思うの
自由があった、ってことかな
で、言っとくけど、
2007年の 素朴な twitter を、2023年の邪悪な twitter を見慣れた目で見ても真実は見えてこないだろうし
2023年にまるで蘇ったかのような tumblr を見る目で2015年あたりの tumblr を見たら、永遠に海の底にでも沈めてしまいたいとか思うだろう
なんとなくそういう雰囲気を伝える quote がこの2つかな
https://gyazo.com/c9bc45e5c1ecf8431119afaf983f8da4
https://gyazo.com/330ae91cebaa8c1e1e84a737ca3591a6
世界中、新しいことは、あっちでもこっちでも始まっている
自分の目に見えないところで
もしくは自分にはまだ見えていないだけで