コモンズは「空き地」でも「余白」でもない
コモンズは「空き地」でも「余白」でもない
コモンズは「空き地」でも「余白」でもない
今後の Flickr はまさにユーザが「参加」するプラットフォームあるいはメディアになりうる期待感がある。
一方『法のデザイン』を著された CCjp 理事の水野祐さんは著書の中でコモンズを「法的な余白」であると書かれている。 しかし,今回の Flickr の苦悩を見れば分かるようにコモンズを「持続」させるにはそれなりのコストとリスクと責任が伴う。 それを「参加者」全員が少しずつ引き受けていくからこそコモンズはコモンズたり得るのである。 そのためには明示的な “CODE” を組む必要がある2。
誤解のないようにあらかじめ言っておくが,これは「Flickr を利用するならお金を払うべき」と言っているのではない。 オープンソース・プロジェクトでも同じだが,人によってできることは違うのだから,それぞれ手の届く範囲でコモンズに「参加」していけばいいのである。
『続・情報共有の未来』の付録の中で引用されていたローレンス・レッシグ氏の「自由や匿名性はコードや物理世界の不完全性に依存しているので、自由を守るためにこそ人は適切な政府の規制を要求しなければならない」という言葉を今更ながら痛感する。これは法的コードのみならずアーキテクチャ・コードに於いても同じで,正しいアーキテクチャ・コードを組むことがいかに難しいか考えさせられる。 続・情報共有の未来 第24章 オバマ大統領のネット中立性ルール保護要請の倒錯性と意義
https://gyazo.com/9bef1069ef58081427f51b7453e5137d
ローレンス・レッシグ CODE 訳者あとがき(山形浩生)
でも今ある自由や匿名性は、コードや物理世界の不完全性 (意図的、あるいはそうでないもの)に依存している。 それを守りたければ、 不完全性を人工的に維持するしかないからだ。 それを維持するのがだいじだという価値観を明示するのが憲法や法律だし、その価値観を実現するのが政府だ。