シティ・オブ・ロンドン周辺
https://gyazo.com/cabe06fcfb5b771b4016c012ebc9264e
シティ・オブ・ロンドン(単にシティと呼ばれることもあります)を中心とした一帯は、倫敦の最も歴史ある地域であると同時に、世界経済を動かす中枢としての役割を持っています。シティは多くの銀行が立ち並ぶ地域であり、また所々に下町としての面も覗かせる興味深い地域です。歴史ある地域ですから、多くの名所旧跡もこの地域に密集しています。
ゲーム内では銀行を狙った事件の舞台となったり、新聞社から情報を得るために(または情報を売るために)訪れる場所となるでしょう。
また、倫敦の中心となる地域はトラファルガースクェアとピカデリーサーカスを中心とした一大商業地帯です。この商業地域に接して高級住宅街が広がっています。倫敦で最も活気のある地域であり、大抵の商品はこの近辺で手に入れることができます。
ここには世界的に有名なランドマークもあります。ゲーム内では高級商業地区として扱うと良いでしょう。また、特徴的なパブや、新聞社なども集まった地域です。
この地域のホットスポット
広場『ピカデリー・サーカス』
/icons/水平線.icon
〈コラム:シティとタウン〉
倫敦で特徴的なのは「タウン(Town)」と呼ばれる「大倫敦(GreaterLondon)」と、その中にある「シティ(City)」という小さな区とがはっきりと分かれている点です。「大倫敦」は40平方キロメートル程の巨大なスプロール型都市です。また、「シティ」は、2.5平方キロメートル程のテムズ北岸の街で、自治の伝統を持っています。シティはヴィクトリア朝時代も(そして現在も)世界経済の中心地です。「王立取引所」という建物がそのさらに中心となり、株式の売買を行っています。
<コラム:スクウェアとサーカス>
倫敦には大小さまざまな広場があり、それぞれにはスクウェアもしくはサーカスの名が付けられています。そのうち前者は方形ものを、後者は円形の広場を指します。
スクウェアの内、有名なものは「トラファルガースクウェア」「ソーホースクウェア」などで、サーカスの内で有名なものには「ピカデリーサーカス」「オクスフォードサーカス」などがあります。
街区とランドマーク、時にその噂話
以下の詳解は単にゲームを遊ぶためには特に気にする必要はないかもしれません。
シティ【地区】
シティ(City of London)は、大倫敦の中で一つの独立した区域です。シティはウイリアム征服王の時代から自治権を持っており、1215年にジョン失地王によって完全に自治体として独立しました。ここは「市長様」(LordMayer)が支配する地域で、かつては国家元首たる王の支配するウェストミンスター市とは明確に区別されていました。しかし、倫敦のスプロール現象によって、二つの市はあたかも焼いた餅がくっついてしまうかのように合体し、ついに現在のような大倫敦を形成するに至ったのです。
ここ大倫敦の中心部たるシティは、いわゆる商業取り引きのメッカであり、世界の経済活動の中心地となっています。この界隈には大きな銀行もたくさんありますが、その中心となっているのが「イングランド銀行」です。株式取り引きも大々的に行われており、その舞台となるのが「王立取引所」です。
シティの宗教の中心となっているのが「セントポール大聖堂」です。また、この辺りに勤務している人々の代表的なコスチュームは、山高帽に細身の傘(もしくはステッキ)といったものです。
倫敦塔【建築】
テムズ河北岸にある石造りの要塞です。11世紀の終わり頃に、ウィリアムI世(征服王)が、ロンドンを外敵から守るという名目で建造したものです。実際には自治の精神の強いロンドン市民たち(シティの住民です)を威嚇するためだったといいます。後に国家に反逆した者を収容する監獄として用いられました。
この施設には数多くの不吉な伝承があります。しかし今回はこの城塞についての解説は行いません。今後のサプリメントで扱われる可能性があります)。
倫敦橋【橋】
童謡「倫敦橋」によっても有名な橋です。ヴィクトリア朝にテムズ河に掛かっていた橋は、ジョン・レニーの設計によるものです。時折、「倫敦橋」と「タワーブリッジ」とを間違える人もいますが、異なるものなので注意が必要です。ジョン・レニー設計以前には、もっと橋脚の数の多い、石造りの橋が掛かっていました。さらに1760年以前には、橋上には道路のみならず、店や住宅までもが備えられていました。当時はここまでが外洋の船の入ってこれる限界だったこともあり、この橋は特別視されていました。
この新しい橋(と言っても百年以上の歴史があるのですが)が掛けられた時に、ある種の宝物がテムズ川の底に沈められたという噂があります。この『倫敦橋の宝物』の正体は、それから百年以上経ちましたが明らかになっていません。
タワーブリッジ【橋・建築】
この橋は倫敦のもっとも有名な歴史的建造物の一つです。この橋はゴシック様式の二本の塔と、それを結ぶ橋から構成されています。しかし、タワーブリッジという名前はこの塔から由来しているのではありません。この橋の名は、そのたもとにある「倫敦塔」に由来しています。この橋が倫敦に姿を表したのは歴史的には大分遅く、1894年に完成しました(それまでは工事中です)。この橋の特徴は、テムズ河水上43メートルの高さに設けられた歩道をはじめとして、いくつかありますが、中でも特に有名なのは「跳ね橋」という構造です。背の高い船が通過するときには、橋の中央で70メートルずつに別れて開くのです。橋が開くときにはベルが鳴り、歩行者や馬車にそのことを知らせました。
倫敦でも古い歴史を持つ通りの1つで、かってはテムズ川の岸辺(ストランド)であった事が名前の由来です。16世紀に宮廷貴族たちが王宮に近づこうと邸宅を構え、それらが19世紀になるとブルジョワ階級に取って代わりました。現在のストランドは、商店、劇場、新聞社が立ち並ぶ商業地区となっています。ストランドはシティとウエストエンドを結ぶ一大幹線道路で、倫敦で一番交通量の多い道路です。
セントポール大聖堂【建築】
巨大なドームを持つ大聖堂で、シティの宗教の中心でもあります。1666年の倫敦大火災で焼けてしまった先代の聖堂を継いで、クリストファ・レンによって設計されたものです。聖堂の長さは約170メートル、幅は約60メートル、ドームの直径は約35メートル、大聖堂の高さは120メートル余りという巨大建築で、完成したのは1710年のことです。この大聖堂は、芸術的に美しく、しかも科学的に正確に設計されています。ドーム上方の回廊の一点で声を出すと、それが別のある一点で聞こえるのです。これは「ささやきの回廊」という名で知られています。楕円の二焦点の原理が、建築に応用されているのです。また、ウェストミンスター大聖堂に、「ポエッツ・コーナー(詩人コーナー)があるのと同様に、セントポールには「ペインターズ・コーナー(画家コーナー)」があります。ターナーやコンスタブル、ラファエル前派の画家たちの記念碑が、このコーナーに集められています。
クリストファ・レンの設計当時には存在しなかった秘密の機構が、現在この大聖堂には存在しています。それは『フーコーの振り子』を利用した導引機械です。その正体は『アベイ』のものとは異なる、教会用導引機械に『神意』が宿ったとされるタイプの天導機械です。この機械についての情報は一般には流れていません。当然、この機械は公式には存在しないことになっています。また、この天導機械と『交感』を望むなら、シティを支配する『市長』の許可が必要です。
ロイヤルオペラハウスは、席数2320席のコリント式柱廊で飾られた豪華な建物で、英国のオペラ、バレエ界の本山としての地位を保ってきています。
サウス・イースタン鉄道の駅で、南東部(ドーヴァー、ヘイスティングスなど)に向けての列車が発着しています。1290年にエドワード一世が妃の葬式の際に、最後に棺を下ろした記念に十字架を建てたのが、この辺りの地名の由来です。多くの駅と同じく、駅舎の上層部はホテルになっています。
フェンチャーチ・ストリート駅
1841年に出来たブラックウォール鉄道の駅で、ドッグランド地帯を結ぶ小さなターミナル駅である。倫敦塔を一望する付近のテムズ河の川岸にある。
スレッドニードルストリート【街路】
「縫い針通り」と呼ばれるこの通りは、イングランド銀行、王立証券取引所、証券取引所や銀行などが立ち並び、ロンバート・ストリート(倫敦一の銀行街)に並ぶ金融街です。2つの証券取引所の違いは、17世紀に王立証券取引所から締め出された株式仲買人たちが自治制の取引所を新設した事から始まります。有名なロイズ保険は、王立証券取引所で活動しています。
フリートストリート【街路】
シェークスピアやジョンソン博士、ディケンズ所縁のこの通りは、1500年に『ザ・サン』の新聞社が出来ると次第に出版社や新聞社などの倫敦ジャーナリズムの中心地となっていきました。倫敦でも一、二を争う賑やかな通りですが、最近になって『ザ・タイムズ』社が業務拡大に伴ってドッグランズに移転し、その繁栄に翳りも出てきています。『ザ・デイリー・ロンドン』新聞社の本社もここにあります。
セント・バーソロミュー病院【建築】
この病院は通称をバーツといい、1123年設立の倫敦最古の病院です。倫敦大学の医学部や、検死局のオフィスなどがあります。血液循環の原理を発見したウイリアム・ハーヴェイなど多くの名医を輩出し、現在も英国医学の最先端を行く由緒ある病院です。シャーロック・ホームズとワトソン博士が出会ったのもこの病院でした。
イングランド銀行【建築】
この銀行は倫敦にあって紙幣発行能力を持つ唯一の銀行です。日本でいうなら、さしずめ日本銀行と同様の立場であるといえるでしょう。シティの市街地スレッドニードル街に面しており、「スレッドニードル街の貴婦人」という愛称のもとで活躍してきました。イングランド銀行の建物は、コリント風の壮大なもので、世界金融の元締め的存在です。イングランド銀行の創設は、1694年に、スコットランド人、ウィリアム・パターソンによって行なわれ、1734年に現在の場所に移転しました。今の建物が完成したのは1788年のことです。
グレート・イースタン鉄道の駅で、イングランド東部、北部(ケンブリッジ、ノーフォーク、ノーリッジなど)に向かう列車が発着しています。この駅も、ヴィクトリア風のゴシック建築です。倫敦近辺からの労働者がよく利用しています。かってこの駅があった場所は、英国でも蔓延したペストによる死者を葬った無名墓地でしたが、現在はその面影は残っていません。
サウス・イースタン鉄道の駅で、チャリングクロス駅とともに、倫敦橋駅からシティ方面に乗り入れるために作られました。ほとんどの列車は、チャリングクロス駅からキャノンストリート駅まで運行し、そこから逆行運転で倫敦橋駅からイングランド南西部へと至ります。
ナショナルギャラリー
1824年に政府が、死んだ銀行家からラファエロやレンブラントの絵画を買い取った事から始まる美術館です。1838年に横に長いネオゴシック様式の建物が完成し、55年から絵画購入のために予算が回されるようになりました。今ではルネセンス以前のイタリアから印象派まで、5世紀に渡る絵画を網羅しています。
ナショナルポートレートギャラリー
1896年に建てられた肖像画を専門とする美術館です。ヘンリー8世から今にかけて、歴代の国王、政治家、軍人、作家、音楽家、画家などの肖像画が数多く納められています。
ブラックフライアーズ駅
サウス・イースタン鉄道の駅で、目的はチャリングクロス、キャノンストリート駅と同じです。
チープサイド
倫敦でも有数の商店街です。この通りに交わる路地は、「パン通り」「ミルク通り」「金細工師通り」など、それぞれの路地に集まる商店にちなんでつけられています。この通りにある『聖メアリー・ル・ボウ教会』の鐘の音の聞こえるところで生まれた人こそが生粋の倫敦っ子であるという言い回しもあります。
グレシャムストリート
グレシャムとは、倫敦に株式取引をもたらしたトマス・グレシャムの名からとられた名前です。この通りにはギルドホールや、セント・ローレス・ジューリー教会などがあります。
テンプル
かってテンプル騎士団の所有地だったこの地区は、倫敦市とウエストミンスターとの境でした。境界線であるテンプル・バーにはレンの手によって門が建てられていましたが、交通量の増加にともなって取り壊されました。この地は4つの法学院や王立裁判所、法律家や弁護士の事務所が建ち並ぶ司法街です。
ギルド・ホール
倫敦市庁舎です。ギルドの出資で建てられた庁舎は倫敦大火で焼失し、現在のは1788年に再建された物です。ここは市長選出の選挙や、市長就任祝いの晩餐会が行われます。また、ホールの一角に伝説の巨人「ゴグ」と「マゴッグ」の像があり、以前はこの像を就任祝いのパレードに担ぎ出していました。
王立取引所
世界中の商業取引の中心として機能している建物です。現在の建物は1838年の火災で失われたものを、1844年に再建したものです。建物の正面にはコリント式の柱廊が、そしてその上部には群像が彫られています。
大火記念碑
1666年の倫敦大火災の記憶を留めるための塔です。この塔の設計は、セントポール大聖堂を設計した、クリストファー・レンによるものです。高さは60メートル余りで、塔の頂上までは311段の階段を登ることでたどりつくことができます。ここからは倫敦塔や、シティを一望することができます。
4つの法学院
リンカーンズ・イン、ミドル・テンプル、インナー・テンプル、グレイズ・インの4つの法学院は、13世紀に法律の教育が盛んになった頃からありました(寄宿制なのでインと呼ばれています)。倫敦で活動するほとんどの裁判官、弁護士、法律家はここで勉強をし、資格を得ています。グレイズ・インの庭はフランシス・ベーコンの設計です。17世紀から決闘の名所の1つになっています。
この地域のキーパーソン
エイハブ・ガーランド
ステラ・ガーランド
ナディア・オークニー
クリストファー・ローマン
早耳のアリス
アラン・スティーブンソン
/icons/水平線.icon
2018/8/27 20:593peta.icon映画「キングスマン」(2015)の本拠地のテイラーはサビルロウに店を構えるHUMTSMANをロケ地としています。この店は1849年から営業を開始していますので、『蒸気!』の世界でもちゃんと営業しています。