日はともかく、週・月・年の目標は立てる?立てない?
日はともかく、週・月・年の目標は立てる?立てない?はるひ.icon
W、M、Y別に書いた方が良いか。
本質的には同じだから一般化してしまうか(第一印象ではこっちに寄ってる気持ちsta.icon)
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1 とりあえず本文
まずはじめに
週、月、年といったスパンの違いはあまり関係がないため、ここでは中長期的な目標を立てる?立てない?という問題提起として解釈させてもらう。
スパンについては適宜適当に想定してもらいたいが、自分が立てられないと感じるところを想定すれば良い。たとえば週はできるが月はできない人なら月、週も怪しいし何なら日も怪しいという人は日を想定する。
人によるし、状況によるであろう。
ここではよく見られる戦略を挙げてみよう。各自の選択や使い分けに役立ててもらうことを意図している。
1 立てない。
目標を立てるほどの必要性やモチベがない場合や、立てても続かないとわかっている場合、あるいは単に面倒くさい場合などはこれになる。
目標管理という意味では最も楽だが、別の言い方をすれば羅針盤がないとも言える。日々の過ごし方が適当(テキトー)になってしまい非生産的になりがちである。また、外から与えられた命令や目に入った刺激に飛びつきがちである。
逆を言えば、生産性を担保したかったり、飛びつく自分を何とかしたりしたいのであれば、ここから脱する必要がある。
ちなみに、他人の「私は目標は立てないタイプですね」ほど信用できないものはない。そのような者は、たいてい単に自覚がないだけで、実態は相当な目標を事実上意識して行動しているに等しい過ごし方をしていることが多い。周囲を見渡してほしい。そういう人に限って仕事や家庭、あるいは趣味などで順当に成功しているのではないか。たとえばパートナーを得て、子どもを授かり、養い続けているという営為は、狂気と呼べるほど成功を積み重ねなければできないことだ。彼らは目に見える形で目標を定義したり管理したりはしていないが、脳内で感覚的には行っている。だからこそそこまで成功している。彼らは、脳内で行っているそれらの処理が高度すぎるがゆえに、外に出して管理することなど到底できないと思っている(単に管理するだけのスキルがないだけだが)し、何なら自覚すらない。この習熟と無知のギャップの結果、出てくるのが「目標は立てないですね」である。字面通りに取ってはいけない。騙されてはいけない。あなたが同様のタイプであれば問題ないだろうが、このような問いをするということは、そうではあるまい。あなたはそちら側じゃない。騙されて、目標を立てないまま過ごしても、事態は何ら好転しない。
2 立てるし、変えない。
目標という営為において最もわかりやすいのが、この案であろう。一度立てた目標は意地でも変えずに完遂する、というものだ。
これは仕事では主に政治的な理由によりしばしば起こり、その実態は小細工である。関係者との渉外に力を入れて状況をコントロールしたり、管理上のデータを微調整して帳尻を合わせたり、内輪で情けや怠惰などで「まあこれでいいか」と妥協したり、といったことは日常茶飯事であろう。そして、これは仕事に限ったことではなく、この方向性で目標と付き合おうとした者ならば(たとえ個人内で完結していたとしても)よく起こる。
あえて言うが、一度立てた目標を完遂することは非常に難しい。なぜなら、まず目標を立てる者が不完全であり、立てた目標が不完全であること、そして何より人間は怠惰で気分屋な生き物でありモチベーションが続かないことの二つの壁があるからだ。ものづくりに携わる者なら、最初に考えた設計のとおりにつくりきることの難しさを想像すれば良かろう。それでも三十年くらい前なら、まだ世の中は単純だったためどうにかなったが、今は違う。VUCAと呼ばれて久しいが、私達は激動の時代を生きている。目も肥えており、状況も変わりすぎている。変わらずに続けることそのものが難しい時代に来ているのだ。たとえば一つのゲームを5年間遊び続けられる者は、今どき1%もいないだろう。
ただし何事にも例外はつきもので、最初に立てた目標を初志貫徹できる場合がある。が、これは本当に限定的だ。スポーツや芸術など、何らかのプロフェッショナルな対戦の世界であれば珍しくない。どうすればプロになって、どうすれば勝てるのかがおおよそ敷かれているため、そこに行けるかどうかの勝負になる。行くためには無論努力が必要で、努力のためにはモチベが必要で、モチベは鼓舞によって維持する。鼓舞するために使うのが目標だ。もちろん、そんなことを意志だけで行えるはずもなく、(主に幼少期からの)環境的なアシスト(とその環境下で過ごすことの蓄積)が必要なのは言うまでもない。
要するに、この案は一般人には無縁である。わかりやすいから試したくなるが、どうせ続かないだろうから、さっさと諦めた方が良い。
3 立てるが、変える。
現代で最も現実的なのは、この案であろう。一応目標は立てて、それを目指しはするが、途中で変えたりやめたりしても良いという戦略である。
こう書くと、いかにも不真面目そうだが、それでいいのだ。少なくとも何もしないよりははるかにマシである。最初のうちはまともに機能しないかもしれないが、続けていくうちに「わかってくる」。自分が大体何を目指しているのか(あるいは目指していないのか)とか、目標は何個くらいなら並列にしてもいけそうかとか、目標の設定単位は週月年のうちどの辺が良さそうかとか、目標の中身は定量的にして習慣トラッカーのごとく毎日進捗感が見えるようにした方がうまくいくとか、逆にそういう管理はせずに格言のような文言を貼り付けておいて見返すだけで日々意識できて良い感じがあるとか、あるいは(これは私の場合だが)とりあえず今の自分に見えている範囲のタスクを全部洗い出してこれらを潰せばおしまいだと紛いなりにも言えるほどの俯瞰をつくりきってしまった方がうまくいくとか、そういったことがわかってくる。わかってきたら、わかってきたことを尊重する形で、あなたなりの目標管理をすれば良い。 もちろん「だよなー、俺はそもそも自堕落に生きたいだけなんだよ。働きたくないでござる。目標なんてクソくらえでござる」のような結論に至ることもあろう。それはそれで良い。ただ、それでも「立てたくなったら、立ててみれば良い」ことは意識しておくべきだ。自分の自虐的なスタンスに意地になってこだわり続ける(意地でも立てない生き方を選び続ける)、という行動はよくある。悲劇のヒロインを演じて気持ちよくなれることもあり、中毒性があるとさえ言える。そのような登場人物を、フィクションで何度か、あるいは何度も見たことがあるのではないか。何なら現実でも見たことがあろう。この手のしょうもないマゾは珍しくない。そんなものと同列に陥ってはいけない。
戦略を3つほど紹介したが、実はこれらはさらに「自分で立てる場合」と「人や環境に立ててもらう場合」に分かれる。重複も考えると、結果として以下の戦略がある。
a: 立てない。
b: (自分で)立てるし、変えない。
c: (自分で)立てるが、変える。
d: (他人に)立ててもらい、変えない。
e: (他人に)立ててもらうが、変える。
目標の話になるとa,b,cにのみ目が行きがちだが、実はdとeもある。
自分の(a,b,cのうちどれを採用するかという)選択がいまいち腑に落ちない場合は、dとeにも手を出すと良い。他人に人生の主体を渡しているようで気が引けるかもしれないが、それでも目標とうまく付き合えない日常よりはマシであることが多い。
といっても、他人に「私の目標を立ててくれ」と言っても通じないことが多かろう。たいていは「環境が規定する目標」に従うことと同義となる。たとえば学校では宿題や課題、テストの点数などがあるし、仕事では一定の成果物やパフォーマンスが要求されよう。資格取得の空気もありがちだ。
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2 リプ的
quote:xxx
計画・レビューのサイクルきつくない?はるひ.icon
はるひ.iconは明確に「xヶ月以内にこれやりたい、こういう状態になりたい」というのがある
沢山ありすぎて無理になる
Project内のタスクの分類も、思いとともにさらにSomeday、Project、月、週、さらに重要度・緊急度などと複雑化していく。その割に効果を発揮しなかったり自分でよくわからなくなったりしてしんどい・・・(アホ)
Logseqには行の埋め込み、クエリ、逆リンクによる串刺し(NextタグをクリックするとNextのついた行が全てフラットに見られる)などといった機能を使って色々できてしまう
重要なのは 思いとともにシステムが複雑化していく という所か。ここを詳しく見たい
xヶ月後、0.1割も達成できない。
今気づいたけどGTDこねてる時、だいたい「めっちゃハードワークして全部こなしてやる!」とか意気込んでるわ。
結果、優先度の低いタスクをどう切り捨てるかという課題になる
未来を諦める心理的負担がでかい
アイゼンハワーマトリクスのDにあるタスクでも、(高度に対して重要度も緊急度も低いけど「今やりたい度」は高いのでこれはNextだな・・・)ってなってしまう
超どうでもいいソシャゲとか人付き合いとか・・・
まさに怠惰。
それをやらなかった1ヶ月後の自分、半年後の自分を想像してみるか
おおかたの場合、特に問題はないはず
コロコロ目標が変わるということはあまり経験しないが、 人によっては一週間経ってしまえばやりたいことがすっかり変わってる人もいるだろうし
「他にもこれやってみたい」というのは沢山出てくる
School、Clubタグとカレンダー案件以外のタスクは問答無用でSomedayにぶちこむとか
流石にやりすぎだ
割り込みタスク
やらなきゃいけないこと、やりたくなってしまったこと、計画漏れ・・・
結局は記録・振り返りなどによって、計画の立て方の改善を回していくというのが解決のひとつか。
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ウォント(やりたいこと)が多すぎる状態
まとめると、オーバーウォントに対処するためにはまずウォントの総量を減らし、減らしたそれらに集中を注ぎ込んで深耕していく必要がある。ただし、減らせない段階に留まってしまう者も少なくない。優劣はないので、MBMPにやっていけば良い。 1 減らすためにはミニマリズムやエッセンシャル思考など「ごっそり捨てて1%に注力する」みたいな自傷が必要
この自傷をするためには「これは別に重要じゃないから捨てていいな」がわからないといけない。もっと言えば自分(の指向と志向と嗜好)を理解すること
(あるいは「俺は何が何でも "これ" をやるんだ!」という強烈な執着でもいいけど、こっちは難しいのでここでは扱わない。sta.iconもできてないし →やりたいことがない) ここが理解できていないと、何が重要で何がそうじゃないか判断しようがない(判断基準がないから)ので、あれもこれも状態から脱せない
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より一般的に言えば、信念という名の判断基準が必要という話。だからこそミッションステートメントみたいなものがあるし、最近の仕事や新規事業や組織論の文脈でもビジョンがどうとか心理的安全性(これはちょっとわかりづらいが、チームが心理的安全になるためには皆が個を捨ててチームの信念を向く必要がある)とかいった拠り所が最重要視されている
もっと言えば宗教。そもそも人は怠け者のクズなので、精神的な幻想に頼らなければほとんど何もできない。
2 減らせたら、あとはその残った1%に集中する
もっというと熱夢集するためのテクニックやメソッドや習慣を利用する ここでポモドーロなど各種テクニックが役に立つ
ただ、1は誰にでもできることではない
たとえば取捨選択ができないためこみ症みたいな人もいるし、自分と向き合うのが怖い(自分の欠点を言語化してそれと向き合うのがきついとか)って人もいるし、自分に興味がなくてモチベが湧かない(報酬系バグってるADHDは典型例)人もいる できない人はオーバーウォントから脱せない
レビューについては、やってみて鍛えよ、くらいしか言えないsta.icon
何も努力せず、食いしばらずに100mの遠投ができないのと同じように、レビューを習慣的に行うこともトレーニングを要する
面倒くさかろうが、向いてなかろうが、時間がなかろうが、それでも日次、週次、月次レビューを全部行ってみなくてはならない
話はそこからなのだ
その辺のスポーツなら教室や指導者がいるが、レビューにはいないのがきついかもしれないsta.icon
しかもスポーツなら一人でも対戦相手や共同相手がいるから孤独感も紛れるけど、レビューにはそれもないsta.icon
独学で、孤独に鍛えなければならない
独学で何らかのスポーツを一人で始めるのと同じくらいのハードルがある
ここを超えられる人がかなり少ない
そういう意味では、何かスポーツを始めてみるのがいいのかもしれないな
一番かんたんなのはランニングとか筋トレ
(注: ここで言うスポーツとは「独学かつ孤独」であるもの。そうじゃないもの、たとえば部活動はここでいうスポーツの経験には入らない)
q: サイクルきつくない?
ans: yes。きつい
でも慣れる
もちろん人による
あとはタスクプール + ゲーミフィケーションもいいかもなぁsta.icon
タスクプールとは、空き時間にサクッと行えるタスクを貯めてるエリアのこと(とっさの造語)
空き時間ができたら消化していく
これは主婦向けのアナログ手帳術で、主婦はスキマ時間をいかに活かすかが肝なところがあるので、付箋パッドという「スキマ時間ができたら消化するタスク」エリアがある
このタスクはトリガーコンテキストで分けておく。たとえば「夫がいないとき」という領域をつくり、その中にタスクをはりつけておく。すると、夫がいないとわかったときに、そこを見て「じゃあこれをやるか」がしやすい 印象だけど、はるひ.iconさんはinput系(~~を読みたい)のタスクが多い気がしている
なので、忙しい主婦にも通用するタスクプール的な考え方が良いのではないかと
逆にこういうタスクをいちいち管理していると、管理コストが肥大化してだるく感じる
何十個も並べて何度も見返して判断したりとか
~~のためにこれをする、みたいに仮目標つくって紐づけたり、サブタスクぶら下げて消化具合を管理したりとかも
タスク管理にもかなりの認知資源を使う(SNSやネットサーフィンで消耗するのと一緒)ので、細かいタスクは実はあまり管理しない方が良い
何なら下手に管理しない方が良いレベル
人がタスク管理を嫌うのは、認知資源の消費を本能的に嫌っているからだ説もあると思っているsta.icon
階段を使わずエスカレーターを使っちゃうのと同じ感じとでも言えばいいのか
ただ、モチベの担保が問題
主婦は「やらないといけないこと」ばかりなので、モチベは自然と湧く
が、はるひ.iconさんのinput系タスクはそうではない
そこでゲーミフィケーションが良いのではないかとsta.icon
ゲーム化する
たとえば習慣トラッカーみたいに毎日何個読んだかを可視化して、俯瞰できるようにする。うへへ、13記事/dayが安定してきたぜ~、と自分に酔えるかもしれない
井戸端とかで今日は7記事読みます、みたいに宣言してもいいかもしれない
昨日勉強の配信してたけど、まさにそれもコミットメントsta.icon
つまり、タスク管理だと疲れるので、「貯めておいて」「空いたらそれらを見て取り出して消化していく」みたいな単純なモデルにする
で、その単純なモデルを続けるモチベを担保するためにゲーム化する
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3 sta.icon個人の話
日はともかく、週・月・年の目標は立てる?立てない?
週
立てる
月
立てるときもある
年
立てない
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仕事、あるいは「~~をつくりたい」みたいなでかい目標がある場合に、立てるときがある
が、あくまでも仮説でしかないので、参考にはするけど盲目的に完遂しようとはしない
ちょっとしんどいなと思ったら平気で延長するし
なんか微妙だなとわかって軌道修正することもある
ただ、それでも何も掲げないよりはブレにくいので、前進していく
1日500文字書いたとして、10日で5000、100日で50000、300日で15万になる
文庫本一冊が15万文字なので、(500文字/dayという単純計算だが)1年でラノベのような分量が一つ書けるということになる
500文字/dayの苦痛に1年間耐えるだけで書けるようになる、とも言えるsta.icon
ちなみに、仕事ではWBSレベルで厳密に計画書かされることが多いが、sta.iconは苦手としている できない
毎回上司やチームメンバーに反発してぎすぎすしているw
できないものはできないのでsta.icon
言うて僕も怠け者のクズなのですよ
未だに平社員だし、恋人一人さえいない
僕は、
目標立ててそのとおりに動けるほど単細胞ではない(あるいはひねくれている) 上手い目標を立てるだけの才能や感性はない
ただ、それだと何もできないので、せめて仮説として適当でもいいから立ててみて、羅針盤にしている
別に立てたそれにしたがわなくてもいいが、なにもなくてなにもできないよりはマシ
立てた仮説目標があれば、それを見てあれこれこねることができるのだからsta.icon
✅
これは取り上げたい
目標やレビューの付き合い方という、割と万人に刺さるテーマであろう
で、向き合えるかどうかはほぼその人の資質に依存するという残酷な事実を突きつけるのだ……