工学とは
個別の○○工学ではなく、無印の「工学概論」という本を見たり講義を受けたことのある人はほとんどないと思われます。
工学に共通する原理を探究する話は前からありますが、まだこれからなのかなという感じも受けています。
書籍では2010年に「エンジニアのための工学概論」というのが出ていて、まんまな表題なのはこれくらいなのでしょうか?
中島秀人 編著「エンジニアのための工学概論 ー科学技術社会論からのアプローチー」ミネルヴァ書房、2010年
あとは吉川先生の一般設計学、人工物工学がそれに近い狙いで進められてきたように思われます。
わたし自身いちおう人工物を作ることを学んできて、また生業としているのですが、日々なにをやってるのか学んでるのか長年に渡りよくわからない、というのが工学とは何なのかと改めて手を付け始めた理由です。
あと、個人的には須永剛司先生がずっと「情報デザイン学」とは何か?と問われてきたことを、わたしは工学とは何か?と読み替えて考えなくてはならないと思ったため。
情報デザインと工学はいろいろ似ているのですが、でもたくさん違うはず。
新しい文献を開くごとにどうも、わたしのバックグラウンドの影響(個人知識管理・インタラクションデザイン)で工学の捉え方が偏っているのも判ってきたのですが、その偏った見方にすらまだ曖昧模糊とする部分があるので、しばらくこのまま続けてみます(20201123)
以下、書き散らしとなります。
「工学」はわからない?
未踏の領域なのでこれからどんどん面白くなるのだと思います。
工学とは? - 徳島大学工学部
《ところで、従来から「工学」や「技術」に関する用語は明確な定義がなく、色々な提案がなされていますが、広く受け入れられているものはないのが現状です。したがって、工学、工学者、技術者、工学技術者、科学技術者、工学教育、技術者教育などの用語は絶えずその意味が時代とともに変更改善されています。わが国では通常、工学は、欧米のエンジニアリング(engineering)よりもはるかに広く、かつ理学の分野も含んでしまうような意味合いで使われています。》
《シンセシスの方法論もその構築には多くの困難が予想される。それより、とにかくモノを先につくるほうが重要であるとして、モノづくりの体系構築には努力してこなかったのではないか。そうはいっても、シンセシスの体系がいつできるか、めどはまったく立っていない。》(工学は何をめざすのか) 目の前に見えている問題を解決するニーズ指向の工学
まだ誰も見たことのないものを作ることによって、誰も気づいていなかった大事なことを顕在化するシーズ指向の工学
もしかすると意外かもしれませんが、工学においても、それが何の役に立つの、という問いがどうも的を外していることはあるのです。
工学において、新しいものやこと、新たなインタラクションをつくり出すことによって、わたしたちの知覚できる対象を広げようとするときには、やってみなくては判らない、しかし当てずっぽうにやってるわけでもない、ということがある。
工学において顕在化してみせることの醍醐味
《真理を掘り出すことが科学者の仕事なら、作り出すことで心身の世界を広げることが工学の仕事。皆がこれまで気づいてなかったことを顕在化してみせることが醍醐味であるのは共通。》(西田豊明先生)
スケッチは未知の対象を眼前に現出させる
《表現する行為がなければ、知覚の対象は「すでにその世界に在るもの」だけになる。デザイナーはそれら既存の対象にとどまらず、常に新たな表現をつくり出すことで、未知の対象を眼前に現出させる。そして自らが表現した未知の対象を見ることで、発見と気づきという創造の源を手に入れる。》(須永剛司「デザインの知恵」p.270) 表象の科学としての認知科学
現実世界とのかかわりのなかで、吟味の道具として、活動の目的と状況にあわせて表現(スケッチ)が行われる。そして、その表現の妥当性はそこにあらわれる非道具的存在の追跡によって獲得する以外にない。(佐伯胖「認知科学の方法」) また、従来工学が対象してこなかった領域に取り組むとき、取り組むべき課題としての認識が広まるまでに時間がかかる、という場合もある。
たとえば、音楽情報学
《しかし1990 年代までは,音楽情報処理の研究の重要性が認知されておらず,なぜ研究するのかをよく聞かれる状況であった.これは,2000 年代に入ってから一般の人々が計算機上で音楽を聴いたり,音楽配信が普及したりするようになると一変した.上記のように,今日ではそれが重要な研究分野であることが広く認知され,世界中で新たな研究者が参入し続けている.10 年以上前には,音楽情報処理は「遊び・趣味」でなく「研究」であることを認めてもらうための説明が必要だったのに対し,今日では,そうした誤解は過去のものとなったのである.ここまで変わったのは,すべての音楽がディジタル化され,創作・配信・利用・共有されることを,人々が実感として理解し始めたからである.》
後藤真孝「特集 新しい○○情報学 音楽情報学」情報処理 Vol.51 No.6 June 2010, p.661-p.668
上に挙げた、自身でもやってみなくては判らない状態と、取り組むべき課題としてまだ広く認識されない状態というのは、ひとつの研究における早期の段階とそれより後の段階、として現れる場合もあると思います。
奈良県立図書情報館のレファレンスで回答頂いた資料
『工学の歴史』
村上陽一郎著、岩波書店、 2001.7
『工学の歴史 : 機械工学を中心に』
三輪修三著、筑摩書房、2012.1
『工学部 :中高生のための学部選びガイド』
漆原次郎著、ぺりかん社、 2018.5
工学とは? - 徳島大学工学部
一般設計学、人工物工学
詳細は未習
(関連)第2種基礎研究
認知科学の観点から
情報デザインの観点から
デザイン学が工学の隣接分野として伸張してるので、そことの差異も難しいように思えるのです。あまり何学何学と分けられないところがある時代にせよ。
理学と工学、ないし科学と応用、ないし理論と実学の区別
実学的というのがどういうことなのかもよく判らないところがあるのですが、理論的な学問とはそこそこ区別できそうだという直感はあるかと思います。
中島秀人「エンジニアのための工学概論」第1講(2010年)より、以下日本の大学の学部の話。
《理科系という日本語には、科学技術の現実を理解するための言葉として誤解を招きかねないところがあるのです。図1-3は、2003年の理科系の学生の分野別構成のデータです。これを見ると、所属が一番多いのは工学部で、全体の3分の2が所属している。理学部で自然科学をやっている人は、12パーセントしかいません。医学部は6年制で統計の取り方が難しいので、医学は無視して保健学だけが入っていますが、工学と農学などを合わせると、理科系の人のほとんどは実学をやっていることになる。ノーベル物理学賞を受賞する「小林・益川」のような分野の人は非常に少ない。ですので、「理科系」というより「理工系」という方がまだましな表現です。その中でも、工学を専攻する学生が圧倒的に多いのです。理論的な理学と、実学的な工学の差は非常に大きく、これらを専攻する人の行動パターンまで違いますが、世間では、理学と工学の区別が十分に付いていないように思われます。》
世間では理学と工学の区別が十分につかないことの一因として、実学(応用)をめざすうちに全く新しい概念や考え方が生まれて、それが基礎科学へ繋がってゆく事例を見聞きするのが多いということがあるのではないか。
中島尚正編「工学は何をめざすのか 東京大学工学部は考える」東京大学出版会、2000年、第3章 3.1節 p.134-135
本節の担当は、小宮山真先生、新誠一先生、前田康二先生
《工学が理学のたんなる応用であることを意味するものではない。むしろ科学の歴史では、応用のなかからまったく新しい概念や考え方が生まれ、それが基礎科学に昇華していった事例のほうが圧倒的に多い。天文学は農耕や航海という人間の営みの中で長年蓄積された経験が整理され理論づけられる形で発展したし、熱力学は蒸気を用いた鉱山用の揚水ポンプから始まった。量子力学は溶鉱炉の温度を炉が輻射する色を使って推定する技術から生まれたのである。こういうなかで、逆に理学が応用された例は天文学の航海術への応用ぐらいであった、と極言するも者さえいる。》
上記の例は、そういう風に言えるものなのかよく判らないのと、わたしが別の例を挙げることはできないのですが。
これは例について考えておきたい。
ただ、少なくとも下でいうようなシーズ指向に近いことが起こっているようには思えて、作ることで新たな概念が開拓されるとき、結果だけをみるとそこへ寄与した理と工の区別がつきにくいということはあるのではないか。
在野の工学者というのはあり得るのでしょうか
それは町の発明家と同じなのか、違うのか、企業の開発者と同じなのか、違うのか、ということは考えるところです。