工学は何をめざすのか
《シンセシスの方法論もその構築には多くの困難が予想される。それより、とにかくモノを先につくるほうが重要であるとして、モノづくりの体系構築には努力してこなかったのではないか。そうはいっても、シンセシスの体系がいつできるか、めどはまったく立っていない。》(工学は何をめざすのか) 《二一世紀の工学では二〇世紀に細分化された学術の新たな統合が求められる。そして、大規模で適応性がある複雑なシステムについて挙動を理解する方法論が追求される。しかし、実際にはこの新しい方法論の追求はまだ端緒についたばかりである。一方、これらのシステム挙動の掌握とは別に、ある挙動を示すシステムの設計方法もまた研究されなければならない。本章のそこかしこで主張してきたように。シンセシスの方法論も求められるのである。
しかし実際には、簡単な非線形微分方程式一つですら初期条件に対する結果の推測が難しく、システムの挙動理解に苦しんでいる。われわれの工学は長い期間、線形性が強く支配する世界のことを扱ってきた。そして、拘束の強い要素のモデルを重ね合わせて全体を理解することを追求してきた。もちろん、われわれの力不足でそれしか扱えなかったのであるが、複雑な現実世界を拘束の弱いモデルで表現することを「役に立たないこと」として捨ててきたのではないだろうか。シンセシスの方法論もその構築には多くの困難が予想される。それより、とにかくモノを先につくるほうが重要であるとして、モノづくりの体系構築には努力してこなかったのではないか。そうはいっても、シンセシスの体系がいつできるか、めどはまったく立っていない。それゆえ、現段階では、情報技術の進展による量的な拡大を武器として、将来、上述のような複雑な問題が扱えるような準備をするしかない。システム化、総合化の観点から統合し、システムを解明し、発現するリアルワールドから学習し、新しいシステムをつくり出していく原理を確立するような、いわば「システム創成の工学」を推し進めていくことが強く期待される。》 p.244-245
佐波正一《工学とは何かを問われるのは、一般的にはきわめて難しい問題ですね。たとえば設計では、機械設計とか電気設計というように目的におうじて分かれていた。分野によらない共通の設計はあるのだろうかと思っていたら、吉川先生が一般設計学という考え方を提唱され始め、いまでは東大ではそういう講義があるんですよね。そこから考えると、工学全体について共通な基礎を教える、何も冠のつかない「工学」という講義あるいは講座が、やはりこれからできてきてもいいのではないでしょうか。》
中島尚正《おっしゃるとおり、電気とか機械とか建築というのと同等の意味での「工学」という専門が確立されるべきでしょうね。》 p.296