実存主義
実存が先にある
実存主義=自分が選んだ行為は、自分が選んだということだけで尊重すべきだ。 理想も学問も技術も政治も何の役にも立たない。青年たちが絶望するのもあたりまえである。わずかに残っている誇りは、「自分の行為は、自分がとにかく選んだのだ」というかすかな思い。 実存こそ人間の本来あるべき状態である、とドイツの哲学者ハイデガーは言う。死と向き合い、世間のしがらみを捨てることで、人間ははじめて真に生きることができる。 逆にいえば、自分が死すべきものであることを忘れて、世間に埋没して生きているのは非本来的なあり方である。そういう世人(Das Manという)としての生き方から離れ、死からの呼び声に耳をすまし、独自の生をもう一度選び取るべきだ キルケゴール:主体的真理、あれかこれかと主体的に選ぶことが大事。実存の三段階,1美的実存(感覚的に生きる)2,倫理的実存(正義を自己表現)3、宗教的実存(神の前で単独者) 実存主義とは、19世紀のヨーロッパにおいて誕生した、「生きる道を自分で切り開く、今ここにあるひとりの人間の現実存在(=実存)としての自分のあり方」を求める思想です。 当時のヨーロッパでは、科学技術の進歩と資本主義の発展に伴い、社会が巨大化・組織化されていきました。そのなかで、人々が画一化・平均化していき、管理社会のもとで主体性を失っていると考えたのが、実存主義の哲学者たちでした。 彼らは、「すべての存在・事象は客観的な真理によって説明できる」とするそれまでの合理主義思想を批判して、すべての人間に普遍的にあてはまる本質を追究するのではなく、具体的で現実的な個々の人間のあり方を見つめるべきだとしました。そして、人々が自らの主体性を回復し、真実の自己を見いだすためにはどうすればいいかを考えたのです。 その先駆者とされるのはキルケゴールとニーチェです。20世紀には、ヤスパース・ハイデガー・サルトルらが実存主義の思想家としてあらわれました。
実存主義の思想家たちはそれぞれに考え方は違いますが、真実の自己のあり方・生き方を探究した点が共通しています。
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Wikipedia
サルトルによると普遍的・必然的な本質存在に相対する、個別的・偶然的な現実存在の優越を本来性として主張、もしくは優越となっている現実の世界を肯定してそれとの関わりについて考察する思想である、とされる(「実存は本質に先立つ」)。本質をないがしろにするような思想のものから、本質はこうだが現実はこうであり、本質優位を積極的に肯定せずに、現在の現実をもってそれをどう解決していくべきなのかを思索的に考えたものまで幅が広い。