必ずわかる〇〇主義の本
リバタリアニズムの原理は「ほっといてくれ! Do Not Disturb!」リベラリズムの考え=自然に備わった才能は特権であり、個人の努力の結果ではない。結局、人間は放っておけば自由に振る舞えるわけではない。自由であるためには、ある社会的条件が必要だし、その条件を国家・社会が保証してやらなければいけない。 そのためには、生まれつきよい条件の人から税金を取って、それを生まれつき悪い条件の人に分けて、悪い条件を緩和する必要も出てくる。これを「所得の再配分」 リベラリズムでいう「他者危害の原則」あるいは「愚行権の行使」と考えられるからである。 「他者に危害を加えないのならば、個人はどんな愚かなことをしたとしても許される」というのがそのエッセンス。保守主義の原理=理想や合理性をあまり信頼しないで、いまある社会や制度を大事にせよ。 「実存は本質に先立つ」(J・P・サルトル『実存主義とは何か』)。だから、いまある自分のほうが大切だ。自分はある状況の中にいるが、その中で思ったように行動してみる。そうすれば何か可能性が開ける。これを「被投的投企」などという。これをしちゃいけない、あれをしちゃいけない、などと周囲は文句を言えない。その人の選び取った行動なのだから、それだけで十分じゃないか。 私の心は私のもの。誰にも文句は言わせない。まことに潔い考え方だ。 ▼実存主義=自分が選んだ行為は、自分が選んだということだけで尊重すべきだ。 理想も学問も技術も政治も何の役にも立たない。青年たちが絶望するのもあたりまえである。わずかに残っている誇りは、「自分の行為は、自分がとにかく選んだのだ」というかすかな思い。 実存こそ人間の本来あるべき状態である、とドイツの哲学者ハイデガーは言う。死と向き合い、世間のしがらみを捨てることで、人間ははじめて真に生きることができる。 逆にいえば、自分が死すべきものであることを忘れて、世間に埋没して生きているのは非本来的なあり方である。そういう世人(Das Manという)としての生き方から離れ、死からの呼び声に耳をすまし、独自の生をもう一度選び取るべきだ、と言うのである。 平和時だが社会が発展したり混乱が見られたりするときである。これをアノミー(anomie)という。は否定、nomieは規則の意味。 つまり、いままで依拠していた社会的な基準・規則が役に立たなくなったときだ。こういう場合、人間は生きる目標を失い、自殺しやすくなる。 構造主義(structuralism)である。人間の心や行動の底には、意識だけではとらえきれない社会構造が潜んでおり、それを見なければ、いくら表面の現象だけを分析してもムダだ。社会の目に見えない構造を発見したと言うが、その解釈自体が現代西欧社会の無意識の構造に規定されているにすぎないのではないか? このように構造主義を批判したのが、ポスト構造主義(post-structuralism) ヨーロッパで十九世紀に極端に肥大した自我と個性は、二十世紀後半のアメリカ社会では「ただ生きている」ことの確認にまで収縮してしまったのだ。 要するに、古典主義を廃絶して自我と個性を拡大したロマン主義は、そのあと百五十年余りをかけて、あらゆる可能性を探求したあげく、ほとんど個性を沈黙させてしまったのである