アメリカの新右翼
ベルによれば、修正第一四条は、中産階級あるいは上層階級の自人たちの優越的な社会的地位を脅かすかたちでは、人種的平等をもたらす法的な救済をしない。つまり、人種の平等を達成しようとする黒人たちの利益は、それが白人の利益に集約される場合においてのみ受け容れられるのである。ベルはそれを「利益集約」の原理と呼んだ。
急進的なリベラルや左派が、アメリカ社会の礎となってきた古典的自由主義や、社会保障に連邦政府が予算を投じるようになったニューディール期以降のリベラリズムが、表向きのお題目とは裏腹に人種的不平等や経済格差を隠すものでしかなかったと批判することはわかる。だが、二〇一〇年代、右派のなかにも、それまでと異なる新しい傾向があらわれてきた。保守による従来のニューディール・リベラリズム批判を超え出て、アメリカの思想的核であると理解されてきた古典的自由主義にたいする不倍ないしは否定を隠さない、ポストリベラル右派と呼ばれる思想潮流が台頭してきたのである。
ポストリベラル右派たちは、今の段階では、戦後アメリカの保守の知識人たちのあいだの傍流でしかない。そうではあるが、このたび第二次トランプ政権のもとで副大統領に就任した
J・D・ヴァンス(一九八四~)は、このポストリベラル右派の人びとと密接に活動してきた。
ヴァンスはかれらのシンポジウムに参加し、ときにはみずから一緒に登もした。とくにパトリック・】・デニーン(一九六四~)、ソーラブ・アーマリ(一九八五~)、ロッド・ドレア(九七~)といったポストリベラル右派の論客との関係は『ポリティコ」誌でも報道されている。ということは、この第二次トランプ政権の四年間、ヴァンスを介して、あるいはヴァンとともに、かれらポストリベラル右派の思想は、なんらかのかたちで実際のアメリカ政治に影響を及ほしていくかもしれないということである。
戦後第三のニューライトの台頭
戦後のアメリカでは、前世代を乗り越える新しい右派「ニューライト」の台頭する時期が二回あった。
最初は戦後の時期である。一九五五年に「ナショナル・レヴュー』誌を創刊したウィリアム・F・バックリー・ジュニアやフランク・S・マイヤーらは、その他の保守の潮流との競合に打ち勝ち、主流の座を獲得していった。かれらはニューライトと呼ばれ、ニューディールを同時代的に批判したオールドライトたちを継承して、個人の自由と権利をなによりも擁護するリバタリアニズムの立場を探るとともに、カトリック信徒だったバックリー・ジュニアが典型であるように、個人を超えた道徳秩序の存在を言じた。またかれらは強固な反共主義者でもあり、孤立主義の傾向が強かったオールドライトとは一線を画して、東側の共産主義陣営との妥協なき対決を求めた。要するに、リバタリアニズムと伝統主義とも呼ばれる道徳主義を反共主義によって結びつけた融合主義(フュージョニズム)という思想が、戦後第一のニューライトが掲げた立場だった。
第二のニューライトは一九六四年のバリー・ゴールドウォーターを共和党の大統領候補とした選挙戦を画期として登場し、一九七〇年代にかけて隆盛を極めた。ポスト公民権の時期、アメリカ社会の既存の価値観の見直しや懐疑が進んだ反動として、キリスト教に根差した伝統的価値観の復権を掲げる社会保守が台頭した。第一のニューライトのなかの道徳主義をより強めた潮流が、第二のニューライトだった。かれらは、第一のニューライトの論者たちゃ、そこに合流していったネオコンが帯びていたエリート主義の傾向に批判的であったものの、戦後保守の正統な座を奪おうとすることはなかった。第一のニューライトたちは変わらず健在であり、それは一九八〇年代のレーガン政権のもとで最盛期を迎えた。ネオコンと対立したペイリオコンの人びとや、あるいは極右の諸集団や陰謀論的な人びとのように、主流とは相容れない傍流は引き続き脇へと追いやられていた。
しかし今日、状況は大きく変化しつつある。第一章でみたとおり、主流と傍流の区分を壊す突兵としてのオルトライトがトランプの登場にあわせて表舞台に躍り出たが、その後を継ぐかたちで、国外の動きとも連動した第三のニューライトが台頭している。この第三のニューライトをめぐっては、現在は複数の潮流が競合する状況にあり、最終的にそれがどのような形態をとるか、予測不能の部分が多い。
第三のニューライトを形成している潮流のひとつは、ナショナル・コンサーヴァティズム(国民保守主義)、略してナトコンと呼ばれる論者たちである。ナトコンの代表的人物として知られているのが、アメリカで教育を受けたイスラエルのシオニスト、ヨラム・ハゾニー(一九六四~)である。ハゾニーは仲間たちとナトコンの普及をはかるための団体「エドマンド・バ
1ヶ財団(The Edmund Burke Foundation)」を二〇一九年に設立し、アメリカ国内とヨーロッパで国際会議を継続的に開催してきた。国民国家からなる世界こそが最良であると考えるハゾニーは、リベラリズムに依らずに、聖書の宗教、つまりユダヤ教とキリスト教の伝統と価値に立脚した「保守民主主義」の確立を掲げている。ハゾニーの力点は主にナショナリズムに置かれてはいる。だが、国民国家を支える政治的原理を構想する際にリベラリズムに頼る必要はないと主張する点で、ポストリベラル右派と共同歩調をとっている。
デニーンは、二〇一八年に刊行された「リベラリズムはなぜ失敗したのか』の著者として日本でも知られている。オバマも称賛したということで一躍有名になったこの本で、デニーンは、リベラリズムの成功こそが現代社会のさまざまな問題を生み出しており、それをもってリベラリズムは失敗だったと主張した。アメリカをはじめとする今日の社会の病弊は、リベラリズムのさらなる徹底によって解決されるものではなく、リベラリズムを根本的に放棄することでしか治癒できないというのが、デニーンのスタンスである。とパトリック ・」・デニーン
くにかれはこの本のなかで、各所でトクヴィルに肯定的に言及する一方で、ジョン・ステュアート・ミルやジョン・デューイといったリベラリズムのおなじみの大成者たちを検討の組上にのせている。そのうえでデニーンは、リベラリズムを「アンチカルチャー」の思想であると批判し、個人の自律を
本書のまえがきで触れたように、こうしたデニーンの主張は表面的には明言されていないものの、抜きがたくカトリックの思想が滲み出ている。この点をぼかして書いていることが、「リベラリズムはなぜ失敗したのか」の後半に若干の歯切れの悪さをもたらしていると言えるだろう。それはひとまず措くとして、第三のニューライトという観点から見落とすことができないのは、デニーンがこの本のなかで、ロックとアメリカの建国の父祖たちにも根本的な批判を投げかけているという点である。「リベラリズムはなぜ失敗したのか」を繙けば、デニーンが「革新的リベラリズム」と呼ぶミルやデューイの系譜と、ロックがその源流である古典的自由主義の系譜のどちらもが、文化を成り立たせる自然、時間、場所から個人を引きはがし、それによってますます個人の国家への依存を強化する、原理的には大差のない思想であると位置づけられていることがわかる。
デニーンがもうひとつ、この「リベラリズムはなぜ失敗したのか』のなかで強調しているのは、アメリカは実際には強固な階級社会であり、それを隠蔽しながら階級格差を生み出し続けてきたのが、リベラリズムであるということである。デニーンの解釈によれば、ロックの古典的自由主義は、勤勉で理性的な人間と、そうではない人間のふたつの種類の人間がいることを示唆し、従来の貴族制とは異なる新しい「支配階級」がいずれ出現することを否定しなかった。
建国の父祖のひとりであるジェファソンにしても、あるいはフェデラリストたちにしても、口ックに端を発するその傾向は継承されたとデニーンはみなした。たとえばマディソンは、古典
的な共和制に代わる拡大した共和制のもとで、党派の弊害を矯正しつつ政体の活力を維持するために、人びとの野心にまた別の人びとの野心をぶつけることを構想したが、それは徳にたいする古代の賞賛や、あるいは共通善の追求を後景に退かせることを意味した。しかしアメリカの建国という初発の段階で、建国の父祖たちはそれを受け容れたのである。
その後の革新的リベラリズムも、デニーンに言わせれば、既存の慣習にただ従うことを軽蔑るという点では、それ以前の古典的自由主義となんら断絶するものではなかった。デニーンの、古典的自由主義と今日のリベラリズムがともに生み出していったエリート主義を「リベラークラシー(リベラルの支配)」と名づけた。デニーンの見立てによれば、リベラルなエリート
ちはグローバル経済に便乗して豚者の立場を手に入れ、能力主義という美名のもとでその成を自分たちの子弟にこっそり継承させる仕組み1大学がまさにそうである
もうひとつの進歩のかたちがピーターテイルの本のタイトルのとおり、ゼロから1を生み出すことである。ティールはそれを垂直的進歩と呼んでいる。この垂直的な進歩をもたらすものこそが、テクノロジーである。ティールはテクノロジーをコンピュータ等に限定しない。ものごとへの新しい取り組み方、つまりゼロから1を生み出す方法ならば、すべてテクノロジーである。水ィールにしたがえば、グローバリゼーションとテクノロジーは異なる進歩のかたちであり、方が同時に起きることもあれば、片方だけ進むことも、あるいはどちらも起きないこともある。
スタートアップの成功にとってチームは大切だというメッセージが表向きのもの、つまり顕教だとすると、スタートアップは君主制を基本とするという発言は密教である。ティールにとって仲間は大切である。しかしその仲間たちを率いる創業者は、封建諸侯をまとめあげる王のように、特別な才覚を必要とする。ベンチャーキャピクリストの陰に隠れた、民主主義に懐疑的で「封建的君主制」に共感を示す権威主義者こそ、ティールの本当の姿なのだろうが。
ディールにしたがえば、科学テクノロジーのもたらすユートピアへの不倍こそ、ポスト近代の証であり、この傾向はアポロ計画が頓挫するのと入れ替わるかたちで、一九七〇年代に始まった。今やわれわれは、無神論的悲観主義に陥っている。それが意味するのは、「自然の受容、つまり多くの陰鬱で倶発的なさまざまな出来事と、それらに伴う悲惨な側然の支配の受容」である。
このような無神論的な悲観主義に比べて、まだ相対的にマシなものが、啓蒙主義の無神論的楽観主義である。ティールはそれを、ゲーテが描いたファウストのなかに見出した。悪魔と契約を交わし、海を埋め立てて陸地を拡大するという壮大な計画に乗り出していくさなか、ファウストは絶命する。「わたしは、ファウストの誤った楽観主義をひどく恋しく思う」
注目すべきなのは、非ヨーロッパ移民の流入にたいする懸念を表明する際にオルバンが使った「大いなる」ヨーロッパの民の「置き換え」という表現である。これは、フランスの極右思想家として知られるルノー・カミュ (一九四六~)の「大いなる置き換え(great replacement)」を念頭に置いたものだった。
フランス社会の変容の「始まりの終わり」をもたらしているものが「大いなる置き換え」であるとすれば、フランス社会の変容の「始まりの始まり」をもたらしたものは、カミュによれば「大いなる文化の(Great Deculturation)」である。「大いなる置き換え」と「大いなる文化の略奪」は、いわば車の両輪のような関係にある。
カミュにとって「大いなる文化の奪」は、教養ある階級の文化が大来文化によって駆逐されていく過程であり、それとの連動で、文化が文化産業によって置き換えられる過程である。
教養をもつようになるということは、教養をもたない者とのあいだで不平等になることを意味する。しかし、そのような不平等が社会的に許容されなくなっているのが、今日の社会である。
これらの過程の前提にあるのは、民主主義の普及であり、とくにあらゆる領域にまで平等がいきわたることで、優越ということが許容されなくなる全的な民主主義が拡大している
カミュの見解によれば、ヨーロッパ人がしてきたことは、自分たちの文化に背を向け、それを嫌悪し、あざけり、忘れ去ることだった。学校での左翼イデオロギーによって、多文化主義を推し進めるリベラルなメディアによって、さらには消費主義、経済的グローバリズム、テクノロジーの勝利によって、かれらはそうするように教え込まれてきた。カミュはこれを「大いなる文化の略奪」と呼んでいるが、これはまさに同じ理由によってアメリカ合来国でも起きていることである。
文化を奪された人びとは、自分たちの文化が守るべき価値があるものとは思わなくなってしまう。そればかりか、カミュがそうであるように、伝統的なヨーロッパ文化を擁護しようとする者は、ファシストやレイシストと呼ばれることになる。
「テクノ・オプティミスト宜言」の冒頭で、Marc Andreessen/アンドリーセンは「嘘」と「真実」という小見出しを立てて、ふたつの語りを対置させている。「嘘」とは、テクノロジーは人びとから仕事を奪い、不平等を増大させるといった、未来にたいするペシミスティックな語りである。それに相対する「真実」が、アンドリーセン自身が採るテクノ"オプティミストの立場である。アンドリーセンによれば、テクノ"オプティミストは、泳ぎ続けないと酸素が足りなくなって死んでしまうサメのように、成長しつづけるか、さもなければ死ぬしかない。成長は進歩であり、活力、生の拡充、知識の増大、より高い良き生をもたらす。成長しないということは、そこにあるのは停滞であり、ゼロサム的な思考、内紛、劣化、堕落、そして究極的には死に至る。そして、成長の源泉は三つしかないとアンドリーセンは言う。人口の増加、天然資源の活用、テクノロジーである。
人間の欲求とニーズには際限がないが、起業家たちはそれらを満たすために、膨大な労働力や機械を用いて新しい財とサービスを生み出してきた。このような上昇のスパイラルは、資本主義を批判する共産主義者、あるいは機械に不倍感をぶつけるラッタイト運動といった勢力からの非難や攻撃にさらされてきたにもかかわらず、数百年にわたって続いてきたのであり、コロナ構による一時的な混乱はあれども、最高の賃金、最大の雇用、最高次の物質的な生活水準を生み出してきた。
このような歴史観に基づいて、アンドリーセンは、この上昇スパイラルが無限に続くよう、人工知能を含めたテクノロジーの発展を意識的かつ意図的に推進していくことを宜言する。アンドリーセンの立場は、いわゆる加速主義、より正確には「効果的加速主義(e/acc)」と呼ばれるものである。
アンドリーセンは、テクノロジーの進歩を生み出す者たちが備えるべきさまざまな価値を列挙している。そのなかにはたとえば、野心、勇敢さ、自由な探究、ローカルな知識などが含まれている。さらには、魂の卓越性(アレテー)をつうじた幸福(エウダイモニア)もそこに挙げられており、偉大さ、あるいは真理もまた、われわれが肩じるべきものとされている。他方で、アンドリーセンがテクノ"オプティミズムの敵として対置するのがさまざまな悪しき観念である。停滞、反能力主義、ステイシズム(安定至上主義)、権威主義、集産主義、あるいは官像制、規制の掌握、独占、カルテルなどが列挙されている。
アンドリーセンは「テクノ"オプティミスト宣言」のなかで、われわれは必ずしも左派であったり、右派であったりするわけではないと書いている。自分たちにとっての敵は、停滞であると謳っている。
テックビジネスと右派との関係を考える際、インパクトを与えているのは、ティールやアンドリーセンにとどまらない。テック業界のスタートアップ企業もまた軽視されてはならず、それら企業の意味づけはますます重要視されている。
二•二五年三月、アンドリーセン・ホロウィッツがワシントンDCで、通算して三回目となるアメリカン・ダイナミズム・サミット二〇二五を開催した。会合のメインタイトルにある「アメリカン・ダイナミズム/American Dynamism」という概念を打ち出しているキャサリン・ボイルは、アンドリーセン・ホロウィッツのゼネラル・パートナーという肩書を有し、人工衛星のイノベーションを目指すスタートアップ企業、エイペックス・スペース社の理事会にも名を連ねている人物である。
ボイルは、停滞という道筋から唯一アメリカを引き戻すことができるのは、アメリカの国益を支える企業を創業しているテクノロジストたちだということを強調してきた。ボイルにしたがえば、テック業界のスタートアップ企業は、ニッチなところでテクノロジーを追いかけているマイナーな存在ではもはやなく、ビッグテックとともに航空宇宙、インテリジェンス、防衛といった従来であれば政府が主導してきた分野に進出し、政府の活動を緊密に支えるまで
ハーツが出版した「夜明けの薄明』のまえがきを書いているのはヴァンスである。
ロバーツはこの著書で、父親のアルコール問題、両親の離婚、兄の自死といったみずからの家族の来歴を率直に明らかにしっっ、家族の価値の復権を唱えているが、ヴァンスは、ロバーツは生まれながらのカトリックであるのにたいして、自分はのちに改宗したという違いはあれども、ともに家族の不安定さに苦しみながら、祖父母や親族というファミリーの厚みに助けられ、あるいはまた、家族の基礎を成す経済の安定を掘り崩すような地元での工場移転を目撃するという同じ境遇を経験してきたと書き記している。それゆえに、過去の間違った政策を単に取り除く以上の政治が、われわれには必要である。われわれに必要なのは「再建」であり、「攻めの保守主義(offensive conservatism)」である。ヴァンスはロバーツの本文に先立って、そう記した
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