仏教
仏教
बौद्धधर्म
ພຸດທະສາສະໜາ
Buddhism
世界人口の7%である5億2000万人以上が仏教徒であり
特に東アジア、東南アジア、南アジアで広まっている
国教に準じた地位としているのはタイ・スリランカ・カンボジア・ラオス・ブータン
教義
苦の輪廻からの解脱を目指す
原因と結果の理解に基づき、諸々の現象が縁起するとされる 釈迦仏
いくつかの方法でまとめられている。
考古学的見解からは紀元前6世紀頃にインドの北東部で始まった
他の宗教者の主張であるアートマン(真我)の存在を否み無我とした 自己ではないとしただけで無我とはしていない。ブッタという男p162
釈迦の死後数百年で部派仏教が生まれ、大衆部と上座部に分かれた
更に細分されたが、今なお大きな勢力として続くのは、
南方に伝播した上座部仏教で、初期の教えを模範とする。
紀元前の終わり頃に北方に伝播し日本にも伝わることになる大乗仏教が始まり、教義や団体は多彩に発展しており、禅那の瞑想法の様々、チベットや日本の真言宗に残る密教、一方で浄土信仰のような信仰形態の変化など多様である。
『日本書紀』は、日本に伝来したのは552年(欽明天皇13年)とする
本来の仏教の目指した最低限のことは、
①徹底して平等の思想を説いた。
②迷信やドグマを徹底的に否定した。
③絶対神に対する約束事としての西洋的倫理観と異なり、人間対人間という現実において倫理を説いた。
④「自帰依」「法帰依」として自己と法に基づくことを強調した。
⑤釈尊自身が「私は人間である」と語っていたように、仏教は決して人間からかけ離れることのない人間主義であった――などの視点である。
1と2とかは結構ブッタという男で否定されてた気がする??
釈迦ほぼ修行していない説
修行マニュアルは後世で整えられた
仏教の世界観は
インドの世界観である輪廻と解脱の考えに基づいている。
人の一生は苦であり永遠に続く輪廻の中で終わりなく苦しむことになる。
その苦しみから抜け出すことが解脱であり、修行により解脱を目指すことが初期仏教の目的とされていた。
前世、、生前の業、および臨終の心の状態などによって次の転生先へと輪廻するとされている。 大乗仏教ではこれに修羅を加えた六道の転生先に生まれ変わるとされる。 生前に良い行いを続け功徳を積めば次の輪廻では良き境遇(善趣)に生まれ変わり 悪業を積めば苦しい境遇(悪趣)に生まれ変わる。
また、神(天)とは、仏教においては天道の生物であり、生命(有情)の一種と位置づけられている。 そのため神々は人間からの信仰の対象ではあっても厳密には仏では無く仏陀には及ばない存在である。
仏教は、物事の成立には原因と結果があるという因果論を基本的考え方に据えている 一切の現象(サンスカーラ)は原因によって現れ、
「偶然による事物の発生」
「(原因なく)事物が突然、生じること」
「神による創造」などは否定
生命の行為・行動(体、言葉、心でなす三つの行為)にはその結果である果報が生じる業論があり、果報の内容如何により人の行為を善行と悪行に分け(善因善果・悪因悪果) 人々に悪行をなさずに善行を積むことを勧める。
また、個々の生に対しては業の積み重ねによる果報である次の生・輪廻転生を論じ 世間の生き方を脱して涅槃を証さない(悟りを開かない)限り、あらゆる生命は無限にこの輪廻を続けると云われる。 輪廻・転生および解脱の思想はインド由来の宗教や哲学での普遍的な要素 生きることは苦であり、人の世は苦に満ち溢れている
そして、あらゆる物事は原因と結果から基づいているので、人々の苦にも原因が存在する。
したがって苦の原因を取り除けば、人は苦から抜け出すことが出来る。
また、仏教においては、輪廻の主体となる永遠不滅の魂(アートマン)の存在は「空」の概念によって否定され、輪廻は生命の生存中にも起こるプロセスであると説明されることがある点でも、仏教以前の思想・哲学における輪廻概念とは大きく異なっている。
輪廻の主体を立てず、心を構成する認識機能が生前と別の場所に発生し、物理的距離に関係なく、この生前と転生後の意識が因果関係を保ち連続しているとし、この心の連続体、心相続によって、断滅でもなく、常住でもない中道の輪廻転生を説く。
仏教では生きることの苦から脱するには、真理の正しい理解や洞察が必要であり、そのことによって苦から脱する(=悟りを開く)ことが可能である(四諦)とする。 そしてそれを目的とした出家と修行、また出家はできなくとも善行の実践を奨励する(八正道)。