仏教の存在論
仏教そのものが存在を説明するものとなっている。
変化しない実体を一切認めない
仏教は無我論および無常論であるとする人は
仏教はすべての生命について魂や神といった本体を認めないとする。
そうではなくて釈迦が説いたのは
「無我」ではなくて「非我」である(真実の我ではない、と説いたのだ)とする人もいる。
衆生(生命・生きとし生けるもの)と生命でない物質との境は
ある存在が識(認識する働き)を持つか否かで区別される。
また物質にも不変の実体を認めず
物理現象も無常、すなわち変化の連続であるとの認識に立つ(サンカーラ) 物質にも精神にも普遍の実体および本体がないことについて
「行為はあるが行為者はいない」
一切の現象は原因によって現れる
すなわち「偶然」「突然」「神による創造」などは否定される
reira.icon原因があるから結果がある、偶然は処理の問題では?
原因を突き止められないから偶然なのでは?
原因が突き止められないものなどないつまり、偶然などないということ?
なんか違う気がする
これは身体と4種類の心理機能のことで、精神と物質の二つで名色とも言う。
本来、釈迦は我、アートマン (आत्मन्、ātman) を説くことはせず、
逆に、諸法無我(すべてのものごとは我ならざるもの (अनात्मन्、anātman) である)として、いかなる場合にも「我」すなわち「霊魂」を認めることはなかった
根本教義において一切魂について説かず、「我が存在するか?」という質問については一切答えず(無記)
直接的に「我は存在しない」とのべず
「無我(我ならざるもの)」について説くことによって間接的に我の不在を説くだけだった。