2025/6/6
本日は2025/6。
配信=>下手くそな「カード」に手を入れる | メンバー限定記事 - by 倉下忠憲@rashita2
配信=>『ゼロからの読書教室―苦手な読書が好きになる!』(読書猿) – Honkure
/choiyaki/20250605日誌
ぼくは後者で使ってたということがわかった。確かに前者の時系列での前後では、リンクを書いちゃうと間にいれれない。
まさに、その問題意識。
★二軸の流れをどう呼ぶか問題
どう呼称するかは難しいところだが、議論の「流れ」というものをイメージすると次の話題、前の話題というのに「前、次(後)」を当てるのがよさそう。Cosenseでは単なる改行。Zettelkastenなら数字を加算するもの。
流れではなく、ある話題の詳細に入る切り替わりは、イメージとしてもインデントの表現としても「深さ」ではある。そうなると、浅い・深い、高い・低いというイメージが出てくる。つまり「上、下」という感じ。
しかし「上下」と呼ぶと、こうして一行に並べたときにややこしくなる。今回のように言葉のイメージが混乱することも起こる。
そもそもアウトライナーを使っているときでも同種の混乱は生じる。差異を強調するならば、「一つ上の項目」「一つ上の行」と言い分ければ、どちらを差しているのかはイメージしやすいだろう。この場合「上」という言い方は共通していて、オブジェクトを切り替えることで指し示す対象を変えている。
この呼び方を考えることは、リンクについて考えること、リンクの関係性のバリエーションについて考えることにつながるだろう。
少なくともアウトラインにおける「親子」ではない。しかし、あるものからの派生である( derivative )、というイメージは共通している。
「親子」に相当するもう少しフラットな名指しがあればいい。
派生元、派生先
Zettelkastenの番号の振り方、思い違いをしている気がしてきた。いや、あってるか。
あっていると思う。それに間違っていても致命的ではない。ようは自分がそれと分かっていればいい。
It's my rule.
/jinJIN/2025/6/5
継続していくものは、その変化を追いかけることができる
場合によっては、成長を感じ取れることも多い
トランジッション・ノート術は、ともかく一冊のノートを使うことになり、変化を追いかけることもやりやすい。個別にノートが分断していると、「書き方の変容」を捉えにくい、という点は無視できない。
もちろん、明確な役割を持ってノートを使い続けることを否定するものではない
★ノーティングは、それ自身がログを生む
"下手だと思った時こそ伸び時です。"
たまたま見つけたノート
/molog/Cosenseをカードとして扱う
まさしく。
というかこれがCosenseの本義的な使い方。
/shokai/1ページ1トピック
開発者が意識していることなので、Cosenseの機能も基本的にこの使い方をしたときにいい感じになるものが多い。
テキストを選択して新しいページに切り出す、という機能も一つのページに1つのトピックに限る、という思想から来ている。
その意味で、こうしたデイリーノートのような使い方が(強いて言えば)例外的なのだ。
デジタルノートはどういう使い方でもできるから可能になっている。
では、なぜこうしたデイリーノートを書くのかと言えば、私たちが思いつくこと、考えることを即座に1トピックにできないから。そうできるものもあるが、できないものもある。
できないものは、以下のどちらか。
複数のトピックが混じっている(混線)
まだ1トピックレベルに至っていない(未熟)
前者の場合は、ひとまず書き下ろしてから切り出して整えることで1トピック化できる。しかし、後者はしばらく置いておき成長を待つ必要がある。しかし、頭の中に保存してあるだけでは難しい。だから書く。また、書いているうちに成長して1トピック化できる、ということもおこる。そこで、まず雑多に書ける場所が必要→デイリーノート、という流れ。
で、このデイリーノートは別にCosenseでなくてもよい。別の場所に書いて、しかるべきトピックをよっこらせとCosenseに持ってくることもできる。Cosenseであればデイリーノートから1トピックノートへの変化・切り出しがスムーズ(シームレス)に行えるというメリットがあるが、絶対的な要件ではない。
さらに言えば、発表する文章を書く場所もCosenseでなくてもよい。考え事のいろいろをCosenseで行い、整った文章はエディタで書くということもできる。逆に、なんでもできるデジタルノートではCosenseで原稿を書くことも可能。
その融通の効く具合が広すぎて、使う人は混乱してしまう。
整理しよう
知的生産活動を進めていく上で、三つの場所が必要となる
雑多なものを書き留められる場所(一般的にメモと呼ばれるもの)
デイブ・ワイナーのランダムノートも似た感じがする
「考え」や「知見」を一つずつトピックとして扱える場所(カード法のカード、あるいはナレッジベース)
最終的な文章を書き上げる場所(エディタ、原稿用紙)
★知的生産活動を進めるために必要な三つの場所
なんでもできるデジタルツールは一つのツールでこれらを賄うこともできるし、コピペが簡単にできるので複数のツールの組み合わせで実現することもできる。
これがデジタル知的生産術の基本的な考え方、の出発点。
ややこしいのは、セルフマネジメント用途におけるデイリーノート(作業記録)と、ライフログ的用とにおけるデイリーノート(日記)もあり、それぞれで「いい感じの結果」が違っている点。これもデジタルツールならではの混乱を引き起こすだろう。
いろいろなノウハウ書を読んで知見を得ることが知的生産の技術レベル1だとして、そうした知見を整理して体系的に理解することは知的生産の技術レベル2とか3な気がする。少なくとも簡単なことではない。
そして、逆上がりはできないとすぐにわかるが、何かを理解することは、「まったくわからない」だけでなく「誤った理解をする」という形があり、後者の場合できていないと気がつくのが難しい。
★知識を体系立てて統合するのはハイレベル
雑多なことを書ける場所はデイリーでなくてもよい
ウィークリーでもマンスリーでもよい
倉下の場合、かなり縦に長くなってしまうが、日付を越えて連続的なものを扱うにはマンスリーでやってみてもいいかも、と思っていたら、かなり前にやっていた
2019年4月のアイデアライン
で、やはりこうして並べるだけでは不十分で、ここに並んでいるそれぞれのリンクを、何かより大きな文脈に位置づけないと「この月はこれを思いついたね」というライフログ性しか発揮しない
ここ数年でページの書き方の技能も向上しているので、今やったらまた違う感覚が得られるかもしれない。
ライフログ要素、セルフマネジメント要素の場合日ごとに別々のページがあった方がよいのはたしか。
★知的生産要素、セルフマネジメント要素、ライフログ要素で求める情報の振る舞いは変わる
さて、どうするか。
一覧できるのはよいが、それでも情報量が多すぎて、手を加えづらい感じはする。