2025/3/20
自分がやっていることを記述し、考えた後で「メモすることは大切」と語ることと、初めから大上段で「メモすれば成功する」と語ることは同じではないだろう。
これはノウハウの書きかた(表現の仕方)においてかなり大きなポイントであるように思われる
行儀の良い消費者や労働者として分断的に教育される我々。
物を買うときに、どんな風に作られ、提供されているかがイメージされない
労働するとき、消費者の顔が、あるいは生活が思い浮かばない
私たちは、生活者としての統合を取り戻さなければならない
勉強用のノートと手帳のようなことをするノートは求めるサイズが違う気がする
勉強用のノートは、B5以上のやや広めのノートを使いたい
手帳のようなことは、バイブルサイズやそれよりも少し小さいサイズを使いたい
特殊相対性理論と一般相対性理論の違いは、慣性系だけではなく加速度系(つまり重力を含む運動)も含まれているどうか、ということ。
いつやるかを決めることにもいろいろある
具体的な日付と時間を決める
具体的な日付を決める
具体的な週を決める
具体的な月を決める
特定の曜日を決める(ルーティーン)
毎日やること、に任命する
〜〜ヶ月後にやる、と決める
まれにやること、に任命する
ガソリン給油:リッター169円
iPhoneでCosenseに書き込む際に入力が面倒なら、draftsアプリなどに書いてそこから投稿ということも一応できるが、なんとなくやらない方がいい気がしている。
ある連続性の中で書く、というのが大切な気がしている
これまでのiPhoneのメモはここごとく、「手軽に書ける」という点を重視しすぎて、連続性を軽んじていたように感じる。
ようするにそれは、タイムラインを一切みることなく、ただツイートするだけと同じ。
それは少なくともSNSをつかっているとは言い難いだろう。
「ロギング仕事術」をしているときに、デイリーページに書き込もうとするときにその日の「文脈」が回想されるというのと同じ。
それはそれとして、今「メモから始める」でリンクを探したらいろいろ出てきた。
あとで読もう。
気になっている本
『中動態の世界 意志と責任の考古学』(新潮文庫刊)3月28日
『平和という名の廃墟 上 (ハヤカワ文庫SF)』
ラジオ英会話(のどれか)
acquired taste →癖になる味(納豆など、慣れるのにちょっと時間がかかるというニュアンスがあり)
一方で量的研究から学べることもあると思う
たしかに。
読んでいて、すごく当たり前のことを発見したのだけども「仕事術」は、仕事の関数なのだ(仕事という概念に依存する)。
「日本式の仕事」「ある職場の仕事」というものがあり、そのための仕事術というのがある。
日本の仕事は、work、job、なんならtaskを包摂している。
「自分の仕事の進め方」だけを完全に切り取って、他に影響を与えない範囲で(ある種の箱庭で)何かしら工夫するというアプローチと、自分が行っている仕事の領域全般に目を配って工夫する(エコロジー的発想)というアプローチが、少なくとも必要。
プログラミングにおいて、オブジェクト指向が複雑性を減らすために用いられるのと同じように、「individual」なものはその管理もシンプルにできるのだということ。
プログラミングでは「凝集度」「結合度」が気にされて( 高凝集と疎結合 )、ある変更が他に影響を与えないようにデザインされる。それはつまり、個人が仕事の進めかたを変えたとしても他に影響を与えないようになっている、という構図と重ねてみることができる。 しかし、日本式の職場はそうなっていないことが多い(良し悪しの価値判断はしていない)
生成AIの中にはめちゃくちゃ大量のデータがつまっている、そういう「袋」だと想定する。
そこから何をどのように引き出すのかの「技能」が必要
その技能は、生成AIに特化したもの(プロンプト・エンジニアリング)もあるが、ごく単純に言語を適切に運用する能力と重なる部分は多い
たしかに、そんなものかもしれない。だって、プロンプトは「ブログを書く」とほぼ同じだから。
一つのノートを育てていくこと
今のところは単に書き足しているだけ。そういう「手を加える」ことを行っている。
このノートは一つの話題を扱っているという意味でトピックノートと言えるかもしれないし、サブジェクトノートと言えるかもしれないし、ぜんぜん別の名前を与えられるかもしれない。
少なくとも、そのような細かく分けるでもなく、一つにまとめるでもなく、日々少しずつ書き足していくという形の育み方もあるだろう。
ノート「整理」のバリエーションが少しずつソリッドになってきている気がする
今目の前の原稿を進めるための時間と、知的な基礎体力をつけるための時間と、将来の仕事のための種まきの時間とを考えて、それらの配分を意識すること。
2と3ばかりやっていたら破産するし、1しかやっていないとどこかで自分の仕事が頭打ちになる。
塩梅/按配が大切 Anbai is important.
基本的には大きな割合を1に置くのがよいだろう。
こういうときにはだいたい8:2の比率を意識するとよい。
メインの仕事に8、それ以外に2と決めて、さらに2の中身を配分する
一日の作業時間がn時間増えると、作業以外に使える時間もn時間減る。
作業時間の増加は、作業量の増加および作業の疲れも増加させるが、その回復のために使える時間をも減少させる
二重に効いてくる
「努力目標」という言葉の意味がいまいちわからない。
ここで、例の「得意なことをすべき」という社会的共通感覚が合わさるとどうなるでしょう。「ケアが得意な人はケアをすべき」という規範につながるわけです。そして、ケア担当者は経験を積んでることでケアが得意ですから、「ひとたびケアを担当した者」は自ずと「(得意であるがゆえに)ケアを実施すべき者」としての立場を帯びやすいということになります。
最初に任された人がどんどん得意になり、他の人はそこに参加しなくてもいいかとなる。
逆に、これからそれに取り組もうとしている人が排除される(観光客の拒絶)
考えるべきこと
生活の中では不得意なこともやらなくてはいけない
たとえば妻が熱を出して寝込んでいたら料理・掃除・看護が不得意だからやりません、というわけにはいかない
もちろん、ある程度は外注できるにしても
愛情を伝えるのが不得意だからといって、それをしなくていいという話にもならない
仕事においてもフリーランスなら不得意とか苦手とか言っていられない作業はある(たとえば事務)
逆に、こういう仕事は自分の倫理観に違反するのでやりませんという拒絶はできる
「好きなことで生きていく」と「好きなことだけで生きていく」の違い
ある時点で不得意だと拒絶していたら、永遠にその能力は成長しない
不得意なことを避けていたら、自分の人生の「可能性」は小さくなる
人間にとって誰も得意ではない仕事は誰がやるか?
ロボット / AI?
複雑さを(意図的に)抑制すること
Cosenseではツリー構造での全体の整理ができないので、ツリー構造が複雑になることが初めから抑制されている
意図的に複雑さを抑え込む
自分のやる気が一番小さいときでも運用できるようにしておく
時間が経つと、情報量とタイプが増え、その整理が困難になる
ツールの開発でも、ユーザーが増えると要望が増え、機能の整理が困難になる
「書かれたもの」には欠点がある。 それをプラトンは二点指摘しています。 一つは「知の外部化」、もう一つが「書かれたものの一人歩き」。 この二つは、「話されたもの」であるなら起こらない災いである、と。
「話されたもの」であるなら起こらない災いが箱の中からすべて出てきたあと、箱の中には希望が残っていた。
せいさんに教えてもらった。
2024.01.11公開記事を再編集して再掲しています。
こういう再編集はライフハッカー・ジャパンではよく行われているのかいなか。
『片づけをプロジェクト管理してみたら汚部屋が生まれ変わった』という本
逆に、多くの人たちは「片づけ」とどう付き合っているのか
たとえば、引っ越しという大きなイベントは、「プロジェクト管理」の手つきを持ってこないとかなりしんどいのではないか?
段取りのノウハウは生活の技術の一つ
ツールとその使い方
あるツールを「どう使うか」という知識は、癒着していない。その使い方を別のツールに適用することができる(少なくともそのように試みることはできる)
もちろん、あるツールについて「どう使うか」は複数ありえる。
ツールの話と使い方の話は、関係しているが切断的関係になっている。 「情報整理とは何か」というトップダウンによる(つまり絶対的真理の)探究ではなく、「あれも情報整理と言えますね。これも情報整理と言えますね」という家族的類似をベースにした情報の整理。 雑多さを許容する
ちなみに、家族的類似がリンクになっていなかったのでちょっとびっくりした
やはり、Cosenseを使っていながら「十分には」使っていなかった時期がある。
単純にここに書き込む量(絶対量)が少なかった。
こうして書いていれば、必然的にいろいろ出てくる。
「とにかく書く」ことから始める。
こうして書いていると、「うわっ…私のメモ、書すぎ…?」という感じが強まっていく
WorkFlowyとかツイートしているときはあまり感じないのだけども。
「うわっ…私のメモ、書すぎ…?」のアイキャッチ画像を gemini に作ってもらった
https://gyazo.com/13be8aa8529e49843908f00487e31f12
そういえばアイデアラインというページもかつて作っていたのだった。
ランダムにこうして読み返してもいい
そういえば、一年これを続ければ「一年前の今日の日ごとノート」を読み返す、という動線が生まれるな。
一ヶ月のメモをまとめていたが、倉下の記入のペースだと長くなりすぎる問題があったのだろうなと予想。
あと「他の人が読むかも感」が今よりも薄かった気がする
読み返しを考えると、一ヶ月分がまとまっていた方がスムーズではある。
月ノートの運用は念頭においておきたい。
ロギング日報のinfoboxをいったん停止
やはり編集しているときに右が動くのがどうにも気になる
日記を書き、それをinfoboxで拾う、という静的な運用ならばなかなかよいだろうと予想
特に夕食の献立を拾うのは抜群にうまかった
そのような「定形」の情報を扱うのは得意ということだろう。
❌ラジオ体操という形で書いておき、実行したら✅ に書き換えるという方式
なんとなく、未着手はただの四角で表したい気持ちがあるが、上記のやり方だと書き換えられなかったものは「できなかったもの」として残る。
で、たぶんバツのままで残したくないからちょっとやろう、という気持ちも生まれやすいのではないかと予想
110のアフターで「生産性」について話をした
これはもう少しdeepにthinkingしたい
トピックスによるインデックス
アドラーは、古典を選び、また2000のトピックからはじめ、それを102のグレート・アイデアズに集約していった。
そして織り込まれるトッピクスは上位概念に束ねられ、相互のトピックが互いに関係し合いネットワークを構成する。それらのアイデアを、グレートブックスに入れられた全ての古典について、どの箇所がそうなのかを参照づけしていくのである。
シントピコン(Syntopicon)
うちあわせCastの収録終わり
感性保存の法則
人は自分が間違っていたことを認めたがらない
何か判断を下すとして、その判断が間違えていないことが重要なのではない。下した判断と出てきた結果について考え、間違っていたらそこからの行動を改めることが重要
しかし、人は自分が間違っていたことを認めたがらない
というよりも、それまで信じていたことをひっくり返したくない
何かを判断するときはそれが正しいと思って判断する。その「正しい」を保持しようとする
おそらく最初に「間違っている」と思ったものも、同様に間違えていたことにし続けたいベクトルがあるはず。
ある心理的、精神的な力とは、その保存則に抗える力のことではないか。
読書についての話題
フローチャートを使ってみたい
「あなたは本が読みたいですか」
「あなたは小説が読みたいですか」
「あなたの残業は月○時間までですか」
みたいな分岐で処方箋を変える、みたいな。