2025/3/19
ひさびさにスタバ
https://gyazo.com/9e39c82050465f185fcb3c9c923af745
やはり考え事の塊をそのまま移植するのは「重い」気がするので、個別ページに切り出して、そこにpinを打つことにしよう。
思考のトライアングルはここに含まれているので、pinを移す。
固有名詞が頭の中で混乱しつつあるので、一度生成AIについての整理をしたい。
ライフハックの道具箱の準備にもなりそう。
これは前々から考えていることだが、アメリカではいわゆるジョブ型雇用であってジョブ・ディスクリプション(JD、職務内容記述書)がある。つまり、「これはあなたの仕事ですよ」という明確な線引きがある。
仕事すらも individual なわけだ。
だからその「自分の仕事」を減らすと、たしかにやることは減る。
一方で日本では仕事の責任の線引きは非常に曖昧で、みんなでやる(チームでやる、課でやる、会社でやる)という運用がなされている。そうしたとき、アメリカ型の仕事を減らすをしたとしても効果がないどころか、軋轢が生まれかねない。
日本型のライフハック(ワークハック)が必要で、言い換えれば日本の仕事の「仕事術」が別の軸として必要だと思う。
もちろん、私のようなフリーランスだったらアメリカ式の考え方は使える。
倉下が「自分なりの方法を」とたびたび呼びかけているのは、こういう前提条件の違いがかなり大きいから、という点がある。
僕も呼んだ文章の影響をすぐに受ける。
料理の基本、という大きいページができそうだが、とりあえずは切り方のページから。
知れば知るほど賢くなる、という命題は真と言えるか。
言えない気がする。
→ 今日のエッセイで書いた 2025/3/19
賢い人は、たくさん知っているということはある程度真だけども。
「ある程度真」な命題というのは存在しない。
方法をアドホックに創造せよ
絶対的な方法の完全な模倣だけが方法との付き合い方ではない。随時発生する問題に対してアドホックな方法をつくることもまた方法との付き合いだ。
絶対的な方法を完全に模倣することだけが方法とのつき合い方ではなく、そのときそのとき発生する問題に対して、アドホックな方法を作っていくことも方法とのつき合い方でしょう。→SNS投稿用
レシピの通りにつくることだけが料理ではない。レシピをつくることもまた料理である。
聞いているだけだと章構成がわからないことに気がついた
挑戦する生き方
挑戦には目標がある
ストレッチゴールに似ているがまったく同じではないだろう
退屈しないで生きる方法の一つ
たぶん「充実して生きる」という肯定系で語るのとはちょっと違っている気がする
→ 今日のエッセイに書いた 2025/3/20
何か新しいことを始めるときに、「島崎、〜」とつけることで、勇気が湧いてくるというライフハック
語りの力を借りる
ヒンメルなら、的なやつ。
これはたぶん心理的なコンテキストを動かすことで、認識をズラす効果があるのだろう。
模写(模倣)することで、いつもの(定形的な)自分の心の反応とは違うものにスライドしていく
大阪市阿倍野区王子町4-3-18
3/29あたりからプレオープンらしい
3/29(土) 11-20時 プレオープン
3/30(日) 11-20時 プレオープン
3/31 (月) 11-20時 グランドオープン
ちょっといってみたい。
一日一文だけの英語学習は、本格的な学習とは言えないので、スナック学習と呼ぼう。 自分の無責任さを許容することは、他人の無責任さを許容することにつながる
言い換えれば、ひとりの人間の能力の限界を認め、負える責任の量がたいしたことがないと理解すること
「こうすべき」という理念にがんじがらめになっていると、自分に対しても他人に対しても非難的態度になってしまう
「無責任さを許容する」というのは、なんにも責任を負わなくてよい、ということではなく「すべてのことに責任を負うことはできない(ある部分の無責任さは必ず出てくる)」ということ。
新自由主義などといったものはなく、単に資本主義から共感や感謝といった感情が抜け落ちたものがそこに残っているだけではないか。
晩御飯はケンタッキー。
「続ける」と「やめる」と「続かなかった」の関係性
サブカル的教養
教養としてのサブカルではなく、サブカルの中の教養。
たとえば、パズドラでコラボがあったときにコラボ作品を知っているとそうでないとでは楽しめる度合いが変わってくる
そういう意味での教養