2025/3/14
人生は長くなっているのに、物語は短くなっている?
少なくとも注意時間は短くなってきている
一方でライトノベルなどすごく長いシリーズも人気ではある
富豪的読書と並行読書の違い
概念的に整理すれば、大きなカテゴリとして並行読書があり、その特殊な形態として富豪的読書がある、と言えるかもしれない。
なんにせよ、並行読書というのは、一冊の本を読み終えるまで違う本は読まない、というタイプの読書ではないということ。
たとえば、朝は古典文学を読み、お昼は脳科学の本を読み、夜はライトノベルを読む、というのが一般的にイメージされる並行読書。
富豪的読書は、今から1時間の読書時間があるとして、最初の10分は古典文学を読み次の10分は脳科学の本を読み次の10分はライトノベルを読む、というような一つの読書時間単位の中で次々に移り変わっていくような読み方のイメージ。
並行読書をするためにも、たくさん本が必要なので、富豪的である必要はあるかもしれない。
だとしたら、並行読書と併置できる別のネーミングがあってもいいかも。
ちなみに、富豪的読書とは、富豪的プログラミングからの派生で、富豪的プログラミングとはかつてのコンピュータ環境は貧弱だったのでメモリをたくさん使わないような工夫が必要だったけども、今はマシンパワーにものを言わせて人間が書きたいように書いてもパフォーマンスにはほとんど影響が出ない、というニュアンスで、それは大金持ちのパソコンを使うというのではなく、「かつてのマシンパワーと比較したときに、あたかも富豪であるかのような方法が現代では採れる」ということなので、富豪的読書でも別にお金がかかっていることが前提ではない(江戸時代に、5~10冊の未読本を持っておくことと比較して、富豪的だというようなニュアンスでOK)
タイムライン(SNS)に投下するのでもなく、ブログほど敷き居が高くもない、という按配がこの生活ロギングにはあるのだろう。
オンラインで軽く集って話すために必要なこと
どうしても「わざわざ感」が出てくる
つまり、目的性が出てくる。
わかりやすいネガティブ・ケイパビリティとかPDCAサイクル自体にPDCAしないとか、何かメタ成分が低いものに物足りなさを感じるところが自分にはある。
Book Finder
『科学を否定する人たち: なぜ否定するのか? 我々はいかに向き合うべきか?』
『「運のいい人」の科学 強運をつかむ最高の習慣』
最近、一冊も漫画を読んでいない。
ステップを細かく設計していくタイプのプロジェクトと、大きな方向性だけあって、具体的には着手しながらやることを考えるタイプのプロジェクトがあるとして、当然タスクを扱う手つきは変わってくるだろう。
その際に、どうするか?
異なる手つきで扱う(二種類のアプローチを並行して走らせる)
何かしらの「変換」を行って、どちらか一つの手つきで扱えるようにする(統一化、インテグレーション、アダプテーション)
ちなみに、「BLACK LAGOON」は大好きだ。
「責任」という概念が機能不全を起こしているとして、「責任」という概念を全面的に破棄する議論はラディカルで面白いが、それが機能していた時代にさかのぼって考え直すことも有意義ではないか。 さかのぼって考え直す
間の話(関係性の話)、hoge(プロセスの設計)、あと何かもう一つで思考のトライアングルが完成しそうなイメージがある 物事をどう捉え、どう考えるのか
今これが「喫緊ではないが重要な考え事」になっていると思う。
囲碁で言うと、模様を広げる、的な。
デジタルでリマインドしてもいいけども、まずはアナログで補佐
https://gyazo.com/8d44486dcc8e84034041f46be0ca49dc
CORPの影響だと思われる。
しばらく要素をみてもいいが、さて、どうするか。
Cosenseを経由しなければいいわけで、直接ブックマークレットの中にコードを差し込む
改訂版を上のページに差し込んでおいた
こうすると微細の編集が面倒だけども、もう安定しているので問題はないだろう
コードの圧縮は、Geminiにしてもらった
ありがとうございます。以下のブックマークレット用のコードを、minifyがやるように圧縮化してくださりませんか。コメントは削除してもらって構いません。 (ここにコードをはりつけた)
『強いビジネスパーソンを目指して鬱になった僕の 弱さ考』という本が気になっている。
買うかも。
買った
https://gyazo.com/b16c5f1acf9fb51274447d78dd72a3c4
ヘーゲルの関心は「自由な私と自由な他者が出会ったとき、どうなるのか」です。 「私の自由」が実現した後のこと。 初めて「他者」を発見したと言ってもいい。 「私」と異なる価値観で生きている存在。 その「他者」とともに社会を形成する、つまり「私たち」となるには何が必要になるんだろう。
自立的、孤立的な自分が発見されたら、そうではない他者というものと遭遇する
自分という主体は、自分の支配者である→自分以外の(つまり自分の支配の対象にはない)他の人がいる→その人もまた自分の支配者である
そうした人間たちが集まって共同体をつくるとはどういうことなのか、という問題が生じる
これは領主や貴族がいかに民を支配するのか、とは別種の問題だろう。
ポイントとなるのが「弁証法」です。 「私もOK、あなたもOK」。 そういう社会になるために一度「自己否定」を通り抜ける。 自分の信じる「正しい」は本当に正しいのだろうか、と保留する。 そして「あなた」と向き合う。 頭ごなしに否定するのでもなく、かといって無批判に受け入れるのでもない。
自分を変身させる、作り替えることが避けては通れない
弁証法 Dialektik
そういえばもともとの言葉を知らないままに使っていた
すると『沖ツラ』でやっていることが「弁証法」かも。 「私」が、異なる文化背景の「あなた」と出会って「私たち」になる。 哲学とは、そうした物語を紡ぐこと。
振動する文章
熱量とは、原子の運動の激しさである。
熱は伝わる。波は伝わる。
数学ガールに感動するのは、そこに登場人物たちの感動があるからだ。
倉下の読書メモは、本の内容のまとめよりもこうした派生的な(振動が移ってきた)メモが多い
作りながら使う、使いながら作る
作りながら考える、考えながら作る
ひとついつでも有効な手は、問題そのものの性質や条件を、一度は真正面から考え抜いてみることです。たとえ解決はできなくても、理解することが力になります。 p.10
里程標という言葉をはじめて知った
距離を記して道路・線路のわきなどに立てた標識。 転じて、物事の推移・発展の一過程を示すしるし。
9人の翻訳家 囚われたベストセラー という映画。誰かも言及していた気がする。
「代り映えのしない毎日」
代わり映えとは何か?
交替や変化によって前よりよくなること
目立って良くなった部分が乏しく、あまり変化がないさまや、前のものと変わらないさま
刺激がなく、つまらない生活のこと
ネガティブな意味だが、しかし生活が(戦争や飢餓などによって)中断されずに続いているとも言える。
現代ではいっそ「映え」は「(インスタ)映え」くらいの意味合いがありそう。
毎日は、だいたい変わらない。
全国地図で見れば、すべての町が同じ点
ズームアップすれば違いはある
積分として、あるいは統計として見たときの変化のなさ
同じといえば同じだし、違うと言えば違うと言える。
違いに注目する?
いや、それは違うな
細部をみていくと、必然的に違いが浮かんでくる、という感じか。
「わたしを作った100のコンテンツ 」というようなnoteの記事がいくつか見つかる
rashitaを作った、と、倉下忠憲を作った、だとたぶん自分が書き出すものが変わってくる印象がある。
アイデンティティそれ自体が合金のようなもの。
簡素な椅子にかえて、極力背もたれを使わないように座ってみる
すぐに疲れる
ミドリのMDノートA5サイズが、最後のページにたどり着いた。
次どうするかは結構大きな問題
同じA5の無罫は買ってあるが、同様に続けるのかもう少しデジタルに寄せるのか
まだ進行中のページはあるが、新しいページを作ることはもうできない
自分が欲していることを、自分が把握しているとは限らない
行動の選択肢にそれが入っていない場合がある
自己認識は常に後からついてくる
4400日目
https://gyazo.com/266c31c7db7049834716c89a200d2884
Bike outlinerは、論理構造というかブロック感がゆるい
自分の日常を肯定する力
否定する行為が力を持ちすぎているからこそ肯定する力が大切だ、という話をどこかに書いたが、それは自分自身に対してもいえるだろう。
むしろそこが一番大きいかもしれない。
人間が行なっていることの多くは技能(スキル)
それはつまり、適切に練習すればだいたいは上達することを意味する
そもそも才能とは何か?
考えと考え方の違いは何か?
翠のおまけ
https://gyazo.com/51ae7279d119201b26cd5b3199f32a50
本日の夕食
名前を与えるのが若干手間になってきた