設定どおりに描いている
もともとmk.iconは、絵を描く過程は大事だと思っている 絵は描くのも見るのも好きで、見る側のときもそう
絵の興味の対象には過程も含まれるのが自然だと思う
過程は作者のものの考えを内包する
次第に、この考えをアップデートする必要があると感じてきていた
完成形の意味 / 結果に依存している人が多い
一方的な考察も起こる
過程=作者が簡単に無視される状況
途中式は不要だと思われている?
85%は過程にまで踏み込みにくいことも判明している この範囲の人がよく表面だけで考察する
公開された表面に考察の余地がある=よくできたエンタメ、とは言えるかもしれない
mk.iconの最新の見解は「設定どおりに描いているので、そのとおり見てもらえればいい」 作者なので保証できる
過去の絵も併せて見るとなおいい
完成してから設定することはできない
設定どおりに描くのは過程ベース
もし、完成するたびに設定を見出すとしても、それは場当たり的に終わる
再確認の亜種にとどまる
今回描いたものは次回につながるのかが重要
「今回描いた」には過程のすべても含む
場当たり的だと、作者が同じである必要性が薄れる
単体の完成度が尺度のとき
完成形の意味 / 結果が尺度のとき
たまに聞く「キャラが勝手に動く」=今につながった