ジェイムズ・クリフォード
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ポスト文学的
まず近年の文学について述べ、その多義的で移ろい行く性質を明らかに、それを民族誌的在り方に適応させる。
最近、人間科学では「文学的」アプローチがかなりの人気を享受しはじめた。人類学でも、クリフォード・ギアーツ、ヴィクター・ターナー、メアリー・ダグラス、クロード・レヴィ=ストロース、ジャン・デュヴィニョー、エドマンド・リーチなど〜彼らはそれぞれきわめて異なったやり方で、芸術を科学から分かつ境界をぼかしてきた。〜ミシェル・フーコー、ミシェル・ド・セルトー、テリー・イーグルトンは近年、「文学」それ自体が変化しやすい概念であると論じた。〜ド・セルトーによれば、著者の感情や思索、主観的「才能」に広い自由を許し、文学的言語を使った物語は、自然科学と歴史学が使ういわゆるきわめて明瞭な「単一音声」をもたないために、科学からは非難をうける(美学的には称賛される)のであるという。この図式によれば、文学とフィクションの言説はそもそも本質的に揺れ動くものである、ということになる。つまりそれらは「意味の重層化を引き起こすのである。それはなにか別のことを伝えるためにあることを語る。つまり、限定や検証ができない意味、という効果を絶え間なく生むような言語を使って、自分自身を描き出すのである。」この癒しがたいほど比喩に富み多義的である言説は、くり返し科学から追放されてきたが、追放はそれほど成功していないこのようにみると芸術と文化というイデオロギーの構成物には永遠不滅で本質的地位などはない。それらは「文学」という特別なレトリックと同じように、変わりゆくものであり、相克するものなのである。 だがクリフォードにしてみれば、それをそっくり踏襲する気はない。「本書の論文は、じつのところ、美学や創造、あるいは人間性を発揮する領域のなかですでにはっきりと位置付けられているような文学の実践に呼びかけをするものではない。〜18世紀における芸術の意味〜実用的な工芸品の熟練した製作という意味での「芸術」であるわ、民族誌をつくることはまさに職人的な技であり、「書く」という世俗の仕事と結び付いているのである」として、民族誌のプロフェッショナリズムを明らかにする。
民族誌を書くということは少なくとも次の六つの制約がある。①コンテクストによる制約(民族誌は意味に溢れた社会環境から生まれ、そしてまた意味に溢れた社会環境を生み出す)。②レトリックによる制約(民族誌は慣習的表現を使い、また慣習的表現に使われる)。③制度による制約(書き手はある特定の伝統、規律、読者にしたがって、あるいはそれに対抗しながら書く)。④分類法による制約(民族誌は普通、小説や紀行文とは区別される)。⑤政治による制約(文化の実態を表現する権威は不平等に分配されていて、往々にしてそれらの権威は相克する)。⑥歴史による制約(以上の慣習と規制条件は時間の経過にしたがって常に変化する)。これらの制約要因が一貫性のある民族誌的フィクションという書き物を支配しているのである。
続けて「フィクション」の意味を示す
民族誌をフィクションであるというと、経験主義者の怒りをかうだろう。しかし、最近のテクスト理論が一般的に使うこのフィクションという言葉は、「真実に対立するもの」とか「偽り」といった単純な意味ではない。それは、文化的真実や歴史的真実の部分性、つまり、真実といわれているものがじつはいかに故意に整理されていて、また排他的であるかということを意味する。フィクションの語源であるラテン語のフィンゲレ(fingere)は「創られたもの、あるいは、装ったもの」という意味であるが、その意味において民族誌はたしかにフィクションであるといえる。しかし単に「創る」というだけでなく、現実にはないあるものを新しく生み出す、捏造するという意味もあることに留意することが重要である(「フィンゲレ」にはある程度の虚偽を意味する使い方もあった)。
リチャード・プライスの最近の著作である『ファースト・タイム』は、自意識的であり、かつ厳密に部分性を示した良い例である。〜プライスは「どんなサマラカの物語も(知識を伝える、という明らかな目的を持って一番鶏がなくときに語られる話をも含めて)問題になっている事件について、語り手が知っていることのほとんどは省かれて語られる」という矛盾する事実を受け入れなければならない。「一人の人間の知識はほんのわずかしか増えないものとされていて、人生のどんな局面においても、話し手は人々がすでに知っていると思うことよりもほんの少々つけくわえて、人々は慎重に話すのである」それを了解すれば、〜「ファースト・タイム」の知識の「完全」な原本などにく〜誰も-とりわけ、短期間訪ねてくる民族学者などには全く-この物語を知ることができないのである。「サマラカの歴史家それぞれが異なった話の改訂版をもっていることは皆が承知しているし、ある事件についてさしあたって手に入れたいくつかの情報の断片を自分でつなぎ合わせて、そして自分の改訂版を造るのが聞き手の仕事である」 だからプライスは『ファースト・タイム』に書いた膨大なテクストの集成を「サマラカの人々が集合した全体としてで保持している〜氷山のほんの一角」として認識している。「つまり「全生活様式」を描き出すという渇望がなかったわけではないが、部分性という彼のメッセージは一貫して『ファースト・タイム』全体に響き渡っている」とクリフォードは述べる。だからこそ彼は「私は真実を言えるかどうかわかりません〜私は私の知っていることだけしか話せませんから」と最後に引用する。
まとめるなら比喩に富み多義的で重層的な文学的性質を孕みつつ、複数の性質のもとに描く。そうした態度によって全容ではないが、あるパースペクティブにおいての氷山の一角(部分的真実)を"書く"ことができる。これこそ「ポスト文学」的態度なのである。
本書の主題
「文化について書くことは、まさに経験的かつ論理的行為」とし「文化の説明の人為的に造られた性格」とその根底にある「民族誌がいつも文化の表現ではなく、文化の発明にとらわれているという、民族誌の歴史的苦境」を明らかにする。そこでまず現代の民族誌的実践の問題点を下記だとする。
世界の多様性に全く行き過ぎといってよい首尾一貫性を押しつけ、どんな民族誌的実践も強固にそこへ押し込めてしまうような、氷河のように冷たく永遠の不平等〜知識の国際的流れを支配する「弱い」言語と「強い」言語関係に取り込まれざるをえない。民俗誌はいまだに絶対的な一方通行の知識と行為なのである。
そして本書の提言は下記のように、ディック感覚を呼び覚ますことだとする。 私がここで試みたように本書を歴史の一つの局面に位置づけることは、すなわち本書が立脚している揺れ動く基盤を明らかにすることであり、しかもそのためには、一貫した方向や未来を民族誌学に差し出すための人類学の歴史的発展というマスター・ナラティヴは必要ない。
つまり下記権力が働いているのだ。
民俗誌を書くことと読むことは、著者個人や解釈をする集団のコントロールを越えた最終的な権力によって、余りにも決定されすぎてしまっている。
ただクリフォードのいうビジョンは悲観的なことではなく、下記のような態度であるとする。
私たちは民族誌の詩的次元を認識すべきだとはいっても、いわゆる詩の自由奔放な戯れを得るために、事実と正確な説明をあきらめなさい、と要求しているのではない。〜本書に収められた論文は、民俗誌が「文学にすぎない」といっているのではない。私たちの主張は、民俗誌とは常に書き続けることにほかならない、ということにつきる。
上記はポスト文学の節で引用した『ファースト・タイム』のような、部分的真実を描き続けることなのである。
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シュルレアリスムと民族誌
シュルレアリスムの定義
私は、シュルレアリスムという用語を明らかに広い意味にとって、断片、奇妙な寄せ集め、意表をつく並置に価値をおく美意識、エロティック、エキゾティック、そして無意識の領域から通常とは異なったさまざまな現実性を引き出そうとする美意識と解している。
ただ「実際、私が取り上げるのは、せいぜいがブルトンの同行者が、ブルトンと訣別した離脱者たちである」。だがその「彼らは、私がシュルレアリスム的と呼ぶ共通の態度、すなわち民族誌的な領域を解き放とうとする態度として集約できる錯綜した傾向を共有している」という。そこでクリフォードがとりあげるのは「1929年の分裂騒ぎの際に」、「ブルトンのシュルレアリスム運動を離れた」、「反ブルトン派」のシュルレアリストの「フォーラムとして機能した」、バタイユの『ドキュマン』誌である。
この雑誌は、民族誌的シュルレアリストたちによる協同作業の意味深い事例を提供している。〜この雑誌は、明確に民族誌的な傾向をもっており、リヴィエールやリヴェのみならず、グリオール、アンドレ・シェフネル、レリスなど将来のフィールドワーカーの協力も得ることになる。〜『ドキュマン』誌の副題である「考古学、美術、民族誌、雑録」のなかで、〔多様な意味をもつ〕ワイルド・カードは「民族誌」であった。民族誌、規範に対して根源的な疑問を発することや、エキゾティックなもの、逆説的なもの、そして異様なものへ訴えかけることを意味していた。
民族誌の定義
私がここで用いている民族誌という用語は、フランスでは民族学、イギリスでは社会人類学、アメリカでは文化人類学と呼ばれたような、人文科学の経験的な研究技法とははっきり異なっている。私は、近代の人類学を貫いている、またこの科学が二十世紀の芸術や文学と共有している、より一般的な文化的傾向のことを言っている。民族誌というラベルは、異化された文学的リアリティの世界のなかでなされる参与観察という特徴的な態度を示唆している。
民族誌的シュルレアリスム
人類学的ヒューマニズムと民族誌的シュルレアリスムとが互いに排除しあうものと見る必要はない。それらは、歴史的かつ文化的な過渡的窮状のなかに置かれた二律背反として、おそらくもっともよく理解されるであろう。その対比の概略を述べれば、人類学的ヒューマニズムは、差異に始まり、―名づけと分類、描写および解釈を通して―差異を理解可能なものとする。つまり、見慣れたものにするのである。民族誌的シュルレアリスムは、それとは対照的に、他者性の侵入すなわち意外性を呼び起こすことにより、見慣れたものを攻撃する。二つの態度は、互いを前提としあっている。両者はともに、文化的な意味および自己と他者の定義を生み出す複雑な過程のなかの要素である。この過程、すなわち、相同と差異、見慣れたものと新奇なもの、ここと別のどこか、という永遠に続くアイロニックな戯れは、すでに論じたように、グローバルな近代性に特徴的なものなのである。 この二項対立は極めて示唆的な記述である。この「民族誌的シュルレアリスム」は『ドキュマン』誌を明らかに示唆する表現である。先ほど紹介したように『ドキュマン』では民族誌が「ワイルド・カード」として用いられ、「規範に対して根源的な疑問を発することや、エキゾティックなもの、逆説的なもの、そして異様なものへ訴えかける」ことができるとされた。これに下記言明は対応する。
急進的な批評家たちの〜目的はなじみ深いカテゴリーを脱権威化し、次いで拡張したり置換したりすること〜民族誌は、シュルレアリスムと一緒になって文化の高級と低給という区別を放棄していたが、非西洋的な選択肢の蓄えを提供するとともに、集合的生活の位階秩序と意味のなかでアイロニックな参与観察をするという、広く流布した態度を提示した。
その代表例としてアンドレ・マッソンという「アヴァンギャルドの画家を「民族学的に」研究」したカール・アインシュタインや、「バウルのドラムに彫られている人物像がライフルを持っているからといって、その純粋さを疑う原始芸術のアマチュア収集家たちが共有する審美的前提をあざ笑」うマルセル・グリオールを紹介し、民族誌的シュルレアリスムの三つの様相を明らかにする。 アインシュタインの論文のなかでは、民族誌的シュルレアリスムこ二つの主要な要素が顕著に見てとれる。第一は、いまやローカルであり人為的であると同定された現実への辛辣な批判であり、第二は、エキゾティックな選択肢の供給である。『ドキュマン』誌のページをめくってゆくと、こうした態度の第三の側面が読者の注意を引く。〜民族誌的シュルレアリストは、当時の典型的な芸術批評家や人類学者とは異なって、文化的な不純さや心をかき乱すようなシンクレティズムを非常に喜ぶのである。
こうした示唆的な論文が入ることでシュルレアリストたちの「『ドキュマン』誌そのものが、イメージや、テクストや、モノや、符牒などの一種の民族誌的な陳列、すなわち標本の収集と再分類を同時におこなう、遊び心に満ちた博物館なのである」。例えば下記のような「再象徴化された唾」は、伝統的な唾としての「ありふれたシンボルを動揺」及び「脱権威化」して、民族誌的態度で「創造的な再結合や並置」或いは「シンクレティズム」を行うことによって、「見慣れたものを攻撃」するような「通常とは異なった〜現実性を引き出」したのだ!
フランス語のクラシャ(Crachat)、まり「〔吐き出された〕唾」は、グリオールによってアフリカやイスラームの証拠を用いながら再定義された結果、霊魂と関係し、善霊とも悪霊とも結びつくものとなる。ヨーロッパにおいては普通、誰かの顔に唾を吐きかけることは最大限の侮辱である。しかし西アフリカでは祝福のひとつのしかたでありうる。「唾は霊魂のように振舞い、香油にもなるし廃物にもなる」。シュルレアリストと同様に、民族誌家も、人にショックを与えることを許されている。レリスはグリオールの定義を受け継いで、さらに進む。唾は、西洋においては知性と言語とに結びつけられている器官、すなわち気品ある口を汚しつづける精液のようなものである。このように再象徴化された唾は、逃げようのない神聖冒濱の状態を意味する。新しく作られたこの定義においては、話すことや語ることは射精することでもある。
こうして「『ドキュマン』誌は、〜統一された有機体の秩序というよりも、未完のコラージュがもつ秩序を創造している」。言い換えるなら「因果的な「身体〔各部〕-モノでありアイデンティティである-を解体する」ことで「この奇妙な博物館は、あまのじゃくな収集を、たんに記録し、並置し、相対化する」のである。
こうした民族誌的シュルレアリスムの博物館(美術館)ミュージアムは、改善されてより安定した持続的な制度へと方向づけられるべきものだった。 のだが「芸術の批評誌」として認められなくなり、「主たる財政支援者」からも見放されてしまい終わりを迎えるのだった。
シュルレアリスム的民族誌
『幻のアフリカ』は、書く行為に絡みとられたシュルレアリストの民族誌家、つまり他者たちを介しての彼自身を描いている。エチオピアにおけるザール憑依に関する重点的な調査期間の終わりに、特にレリスのためにと、一つの供犠が執りおこなわれる。彼は日誌に、自分はその動物の血を味わったが、グッリ、つまり憑依された者の踊りを踊りはしなかったと記録する。私たちの目には、ザール信者たちに囲まれて座っている彼の姿が見える。部屋には香と汗と香水の匂いが濃くたちこめている。彼の頭はバターを塗りたくられ、彼の額には―儀礼に定められているとおりり―殺された動物の腸が巻きつけられている。しかし、彼は片時もノートをとる手を休めない。 『幻のアフリカ』のなかでレリスは、「主観的」実践と「客観的」実践のあいだの科学的弁別に対して鋭い疑問を投げかけた。いったいどうして、私自身の反応(私の夢、身体的反応など)が、フィールドワークによって生産された「考証資料」の重要な一部とならないのだろう、と彼は自問した。〜すなわち、分析的に厳密であると同時に詩的であり、他者ではなく自己に注目し、その自己がもつ象徴と儀礼と社会的地勢の特異なシステムに焦点をあてるような民族誌である。〜レリスの場合、この態度は自己描写というライフワークを生み出したが、それは厄介で永遠に完成することのない社会化の過程だたった。〜彼の刺激的なフィールド日誌『幻のアフリカ』は、シュルレアリスム的民族誌のただひとつの孤立的な例であり続けている。 つまりこれはマッジとジェニングスの言葉を借りるなら「主観的ではあるが、観察者の主観性は観察の下に置かれた諸事象のひとつであるゆえに、客観的なのである」
その民族誌的収集には、美学的であれ科学的であれ、何の明確なガイドラインもない。そのページは権威的な視点を反映することも、公平な調子を装うこともできない。それらのページは相互に否認しあわねばならない。おまけにそれらは妙に細部にこだわっている。「私のブーツは泥だらけで、髪は伸び放題、爪も汚れている。でもこの汚さを私は楽しむ。そこでは、私が愛するあらゆるものがたいそう清く、遠い存在になる」。主観性の過多によって、ある種の客観性が、(逆説的にも)個人的民族誌の客観性が保証されている。
こうしたレリスの態度ゆえクリフォードは「シュルレアリスム的民族誌」の「純粋な事例は」、「レリスの『幻のアフリカ』を除けば」、「おそらく存在しない」と言わしめるのだ。
サイードはヒューマニストでフーコーは反ヒューマニスト、サイードは文化相対主義的でフーコーは自民族中心主義的という相違点があると論じる。
サイードのヒューマニスト的な視点は、フーコーから借用した方法と調和しない。フーコーはいうまでもなく、ヒューマニズムのラディカルな批判者だからで ある。しかし、そうした援用がいかに慎重かつ矛盾に満ちたものであっても、『オリエンタリズム』が広汎な文化分析にフーコーを体系的に使った先駆的な試みであることに変わりはない。この仕事が苧むさまざまな困難や成功 はしたがって、歴史家、批評家、そして人類学者たちにとっても、関心の対象であるにちがいない〜サイードによる、フーコーの言説概念をエキゾティックな存在の文化的構築の分野に敷衍する一般的な試みには、将来性がある。もちろん、フーコーの企図の全体は、徹底的なまでに自民族中心主義的である。ヨーロッパの思想の認識論的地層を特定する試みにおいて、フーコーはその他の意味世界へのあらゆる比較言及を回避している。野生の思考にも、ホピの言語カテゴリーにも、それに類した他の事柄にも、いっさい触れられることはない。フーコーはおそらく、そういっ たものの助けを借りることは方法論的に疑わしいと考えているのであり、『言葉と物』の冒頭で西洋文明をボルヘスの「中国の百科事典」と対比しているのも、 たんなる気まぐれからのことにすぎない。フーコーが興味をもっているのは、ある文化的秩序が、正気=狂気、健康=病気、合法=犯罪、正常=倒錯といった言説的定義を使っていかに自己を構成するか、ということである。非正当性の側にある諸カテゴリーは、法の及ばない自由の領域としてではなく、文化的に生産され、配置された諸経験として存在しているのである サイードはフーコーの考古学的アプローチではなく、後期における系譜学的アプローチに基づくと論じる
そしてサイードは、オリエンタリズムにおいて系譜学の2つの方法を用いたという。それが「共時的な(ある統一的体系のもとに、西洋のテクストに見られる東 洋のあらゆるヴァージョンを構成する)方法」と「通時的な(アイスキュロスからルナン、さらには近代的政治社会学や「地域研究」に至る東洋についての一言及を、ひとつの系譜にまとめあげる)方法」である。そんな系譜学の限界を以下のように論じる。
則、系譜学に基づく分析はイデオロギー的、ひいては恣意的な歴史解釈になってしまうということである。